キューバ革命達成は、このボートから始まる!厳重に警備されたグランマ号/国民的人気はやはりカミーロ!キューバ革命での伝説の指揮官ゲバラとカミーロは賛否両論あるものの、やはりカッコいい/ブッシュ大統領の額にハーケンクロイツ!?革命後の歴史をキューバ目線で展示中。レーガンとブッシュ親子を最も敵視しているのがわかるパネルが興味深い/カテドラル広場を一望できるテーブルで贅沢なランチ at El Patio - Today→Tomorrow

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4/12/2013

キューバ革命達成は、このボートから始まる!厳重に警備されたグランマ号/国民的人気はやはりカミーロ!キューバ革命での伝説の指揮官ゲバラとカミーロは賛否両論あるものの、やはりカッコいい/ブッシュ大統領の額にハーケンクロイツ!?革命後の歴史をキューバ目線で展示中。レーガンとブッシュ親子を最も敵視しているのがわかるパネルが興味深い/カテドラル広場を一望できるテーブルで贅沢なランチ at El Patio

オールドハバナを広場を眺めながらの素晴らしいランチ。キューバ革命前は一部のキューバ国民だけが楽しみ、今は観光客だけが楽しめる・・・。キューバの一般庶民が楽しめるようになったとき、初めて革命が成功したと言えるだろう。

この内容は4月12日のものです。


当初、ゲバラは軍医だったが、革命軍のラジオ放送局を立ち上げや政府軍との戦闘の中でその忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才を遺憾なく発揮し、次第に反乱軍のリーダーのひとりとして認められるようになる。
上陸から1年後の兵員増加に伴う部隊の再編成に際して、カミーロやラウルらを差し置き、カストロから第2軍のコマンダンテ(司令官)に任命。指揮権と少佐の階級を与えられ、名実ともにカストロに次ぐ革命軍ナンバー2に抜擢される。ゲバラが使用した電話が展示。
一方、ゲバラが自分の子供(長男)に「カミロ」と名づけるほどの敬愛と信頼をされていたカミーロ。裕福な家庭に育ったカストロとゲバラとは対照的に庶民の家庭に生まれ育ったカミーロは、庶民階級出身として兵士から愛され、その人気はカストロとゲバラを凌ぐほどだった。
ゲバラとともに西方に進軍したカミーロ。この写真(下)は、あのヤガイェイの戦闘前に撮影されたもの。兵士からの信頼が厚いカミーロは、この戦闘で大勝利をもたらし、それ以降、「ヤガイェイの英雄」と呼ばれる。
ゲバラの部隊は、1958年12月30日にサンタ・クララ郊外で武器輸送中の列車を襲撃。この襲撃により、バティスタ政権軍は武器補給を絶たれ、逆に革命軍は大量の武器弾薬を手に入れる。ゲバラによるこの襲撃がキューバ革命の決定打となる。
翌日の1958年12月31日、バティスタはコロンビア兵営で催された新年祝賀パーティで突如辞任を発表。翌日1959年1月1日にクバーナ航空でドミニカ共和国に亡命。数時間後、政府軍の将軍カンティーヨが「臨時政府」の成立を宣言したが、カストロはこれを認めずカミーロにハバナ突入を命じる。
ハバナ出身で民衆からも愛されたカミーロを迎えるハバナ市民。
まもなくハバナはカミーロ率いる革命軍部隊によって制圧。8日にはカストロがハバナ入りし、名実ともに革命軍の勝利が確定した。

カミーロとゲバラが武器の入手先の情報を集めるときに使われた人形。女性は武器と軍需品を服の下に隠して運んでいた。
カストロが戦闘中に着ていたズポン。
1959年1月2日にコロンビア兵営を制圧した兵士たちに囲まれるカミーロ
1月3日に撮影されたカバーニャ要塞を制圧したゲバラ。葉巻をくゆらせながら、部下に指示を出す姿。
そしてフィデルの写真でこのコーナーは終了。
次の部屋へ。
この部屋では、亡くなった英雄達の遺品が展示されている。
もちろんこの二人の展示もある。
カミーロの靴。革命軍に加わる前、カミーロは、画家を目指していた。
ゲバラのカメラ。ゲバラは写真愛好家。
女性がじっくりと見ていた展示は、
キューバ革命で亡くなった女性兵士の展示。
次の部屋は、ギフトショップ。
ここを素通りして、次の部屋に入る。その部屋にあるのは、ゲリラ戦でともに戦うカミーロとゲバラの蝋人形。
ゲバラの医療用具。
そしてゲバラとカミーロの機関銃。そして二人のトレードマークも展示中。
カミーロが愛用していたカウボーイハット。
そしてゲバラのベレー帽。
これら展示と一緒に展示されている二人の写真。
1928年6月14日、アルゼンチンの裕福な家庭に生まれ育ったチェ・ゲバラ。本名は、「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna)」。「チェ」はキューバ人が付けたあだ名。
2歳のときに重い喘息を発症して以来、生涯にわたって喘息に悩まされる。ブエノスアイレス大学医学部に進学。
大学時代にオートバイで南米放浪の旅に出る。そこでラテンアメリカをつぶさに見聞。
1953年に通常6年かかる修学過程を3年で終了し、医師免許を取得。当時軍事政権下にあったアルゼンチンで軍医になることを拒絶し、アルゼンチンを発つ。1954年にメキシコに亡命。翌年、結婚。1956年に長女が誕生するものの、メキシコ亡命中のカストロ兄弟に出会い、従軍医としてキューバ革命軍に参加。
1957年、指揮官(少佐)となり少佐の階級章(一つ星)をつけた黒いベレー帽(騎兵章をつけることもあった)を着用。
キューバ革命後は、国立銀行総裁、工業大臣に就任。
こちらはカミーロの写真展示。
1932年2月6日、ハバナ市内でスペインから亡命してきた庶民的な家庭のもとに誕生。
カミーロは、ゲバラのような高い教養や社会主義イデオロギーは持たなかったが、キューバの格差社会に疑問を持ち、貧しい庶民たちを救済するために革命軍に参加。ヤガイェイでの戦闘では、ゲバラ以上の軍略と言われる戦いを行い、革命軍の勝利に貢献。
しかし革命達成間もない1959年10月28日に、搭乗していたセスナ機の航空事故で他界。常に厳格なゲバラよりも、いつも笑顔で冗談を言っていた庶民的なカミーロの方が人気が高かった。
リンク先;http://hastasiempre.blog104.fc2.com/?tag=%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%82%B9

この部屋は、レセプションなどに使われるのだろう。非常に豪華な装飾が施された部屋だ。
この部屋の奥には、
キリスト教の祭壇がある。
よく見るとボロボロだが、遠目で見ると本当に立派な建物。
先ほど3階から眺めた大ホール。
天井絵も見事だ。
この吹き抜けフロアーには、なんと・・・・
リンカーンの彫刻が飾られている。
先住民族から初めて選出されたメキシコ大統領、ベニート・ファレスの彫刻もある。
エレベータ・・・・。とても乗る気がしない。
次の展示会場は、キューバ革命以降の時代。
大きなドラム缶が中央があった。
革命政権樹立後まもない1959年4月、フィデル・カストロはアメリカとの友好関係を維持しようとアメリカを訪問。しかしアイゼンハワー大統領は会見を拒否。大統領の代わりにニクソン副大統領と短時間の会見をしたものの、キューバに強い影響力を残そうとしたアメリカに対抗姿勢を表すようになる。同時に、ソビエトとの接近を試みた。
アメリカの石油会社Essoのロゴプレートが展示されている。
アメリカ資本の支配下にあった農業を改革した農地改革法を制定し、1960年8月6日には西側が所有していた財産をすべてキューバに国有化する社会主義政策を実施。Essoなどアメリカの大企業とマフィアはキューバに所有していた財産をすべて失うことになり、これをきっかけにアメリカはキューバに対し、現在に至るまで経済制裁を実施している。
1961年4月、ケネディー大統領はキューバ革命政権打倒を目的にピッグス湾事件を起こすが失敗。これを受けて5月に革命政権は、キューバ革命を社会主義革命と位置づける。
これ以降、キューバは東側政権との関係を強化。1964年12月にはゲバラが国連でアメリカを非難する演説を行い、その際、合言葉「祖国か、死か」を紹介する。
バットを構えるフィデルの写真。
キューバは教育とスポーツに力を注ぎ、同時に医学を学んだゲバラの影響で医療分野にも注力する。
ソ連崩壊後、経済的な困窮に陥るが、同時にアメリカから支援を受けていた国の軍事政権も1990年に多くが崩壊する。それらの国々は、キューバとの国交を回復。
国力を回復したキューバは、アメリカに強い姿勢で挑むプーチン大統領のロシアからの経済支援のほか、ベネズエラなど反米政権下にある南米各国との経済交流が活発になった。
高齢となったフィデルの時代が終わりつつあるキューバ。同じく高齢の弟ラウルの時代も長くはないだろう。カストロ兄弟後のキューバの今後に注目したい。
展示の最後のパネル。左からバティスタ、レーガン、父ブッシュ、子ブッシュ。
それにしても、子ブッシュの描写が・・・・。このパネルだけ、スペイン語、英語、フランス語で表記されていた。
一階ロビーに飾られている陶器。
描かれているのは、フランスのナポレオン。
中庭と通り抜けて、博物館裏へ移動する。
その途中にある売店では、ゲバラTシャツを販売中。
革命博物館の裏にある設備。
キューバ軍兵士が厳重に警備中。
階段の先には、
火が点っている。

ここで再びお金を払う必要があるのかないのか。スタッフがだれもいなかったので、そのまま通り抜ける。
目の前に大きな屋外展示。
警備兵がいるので、恐る恐る近づく。
大きなミサイルがある。1962年10月27日、のちに「10月危機」と呼ばれる事件が起こる。アメリカの偵察機U-2がこれと同型のミサイルで撃墜された。
これが撃墜された偵察機のジェットエンジンの一部。
1931年のピッグス事件で撃墜されたB-26爆撃機の尾翼。国籍を伏せているのでアメリカ空軍のサインはない。
この巨大なガラスケースの中に船体が見える。
兵士は険しい顔をしていたが、「Hallo!」と声をかけるとニコッと返答。
この中にあるのが、1956年にカストロ兄弟とゲバラほか82名を乗せてメキシコからやってきたグランマ号だ。
前方に進む。
当時、15000ドルで購入したこの中古ボートでキューバまで5日間漂流。
定員を大幅に上回る82名は、このボートに揺られ、キューバに到着したときは疲労困ぱい。しかもバティスタ政権の待ち伏せに会うなどして、結局、壊滅的な状況に追い込まれることとなる。
見学ステージから下を見下ろすと、ピッグス事件で活躍した戦車ほかが見える。
PSP(旧キューバ共産党)が打倒バティスタ政権のため武器を運んでいたポンティアックの車。
アルメイダが乗っていたジープ。
Toyota製のジープも展示されている。
これに乗っていたのは、ラウル・カストロ。
Toyotaジープの運転席
キューバ革命で活躍した革命軍の戦闘機。
大統領官邸を襲撃するときに、革命軍兵士を運搬したトラック。
車体に残る
無数の銃弾の痕が、戦闘の激しさを物語っている。
サンタクララでの激闘で、ゲバラ部隊に使われていた装甲車。
革命博物館の裏側。
そしてグランマ号が飾られている屋外展示場。
以上で、革命博物館の見学は終了。
Other photos>> https://plus.google.com/photos/109343164122809862992/albums/5867671847032633745

革命博物館から散歩。
手の込んだ落書き。
そして市民が集うバー。
ボロボロの町並みを歩くことに慣れてきたが、さすがにこれには驚いた。よく見ると・・・・
壁から生えた木が育っている。
甘そうなケーキを運ぶ男性。
そして露店。
赤ナンバーなので、レンタカーなのだろうか。
事務所の壁には、フィデルの肖像画が飾られている。
どんどん歩く。
キレイな町並みになってくるということは、この先は観光エリア。
ギフトショップも増えてきた。
そして大勢の観光客の姿。
路地裏にこんなに大勢の観光客が集まる場所は、
ヘミングウェーが通った有名なレストラン&バー La Bodeguita del Medio
店内は来訪者の落書きだらけ、ヘミングウェのサインと写真もある。
外壁にまで落書きが続く。
あまりにも混んでいたので、このお店はパス。その近くで思わぬものを発見。それが、
この男性。着ているTシャツ「関西国際空港」が嬉しかった。
ヘミングウェゆかりのレストランからほど近い場所にある人気にレストランでランチをとることに。
お店の名前は、El Pathio。ライブ演奏の歌声が素晴らしい。

El PatioHavana - Restaurant Reviews - TripAdvisorwww.tripadvisor.com › ... › Havana Restaurants
このページを訳す 評価: 3.5 - レビュー 69 件
El PatioHavana: See 69 unbiased reviews of El Patio, rated 3.5 of 5 on TripAdvisor and ranked #110 of 225 restaurants in Havana.


私が座った席は、カテドラル広場が一望できるテーブル。
目に前にカテドラルと呼ばれる教会がある。
このテーブルでの食事は、おススメです。
広場の向こうにある建物にあるのは、
巨大なブーゲンビリア。
日陰にオシャレなハバナ市民が座っている。
彼女がこの付近で有名な占い師だろうか?
頭上には、まだ日暈(ひがさ)が輝いている。
このレストラン。あまりの混雑で、注文した料理が出てきたのは、数十分後。
まずはシーフードのスープ。見かけどおり美味しい。
そしてメインのチキン料理。
こちらは牛のフィレステーキ。カナダと比べて、牛肉はちょっと硬いのであまりおススメしません。
それでも眺めが非常に良いので、このレストランはかなりおススメです。

続く・・・・

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