右手の扇子は、目的地ローマを指している・・・。
この記事は4月12日の日記です。
キューバに来てから、毎日かかさず朝食を食べている。
朝食のレストランに向かう途中にあるこの彫刻を見るのも、毎朝の日課。
それにしても、なんだか緊張感のない雰囲気の安っぽい彫刻。ただ、どことなく親近感が湧く。安っぽいリゾートホテルのようだが、キューバではかなり”当たり”なホテル。
朝食も”そこそこ”美味しい。ただひとつ、すごくおいしいものがある、それがピンクオレンジ色の果汁、濃厚だが程よい酸味がいいグアバジュース。もちろん絞りたての果汁100%。
今朝も30℃近い気温。
ホテルロビー中央のフラワーアレンジメントが枯れて始めてきた。無性に手入れをしたくなる。
定刻15分遅れでシャトルバスが到着。ハバナ新市街にあるホテルから、オールドハバナへは無料のシャトルバスが運行中。
外見と内装とも、ハバナ市民が使うバスとは比較にならないほど豪華。先進国では当たり前のバスだが、キューバでは非常にありがたく感じる。先進国に住むことは多大なストレスがあるが、非常に恵まれた環境であることはまちがいない。
ハバナの5番ストリート周辺のホテルを巡る。
広い陸上トラックの裏にある
キューバの外務省を眺めたり、
可愛らしい壁画が楽しい公園を眺めたり。
ホセ・マルティの銅像あり。指差す方向には、
おびただしい数の旗を掲げるポールあり。
そしてそのポールの後ろには、アメリカ政府の建物もある。
アメリカとキューバには国交がない。核戦争も起きかねない程の緊迫感もあった二国間関係は、現在でも敵国同士。そのためアメリカ大使館はキューバにないが、アメリカの政府機関は実在する。おもに商業や文化交流などを目的とする機関と言われているが、それだけではないだろう・・・実際のところは決して表ざたにならない・・・。ご存知のとおりキューバとアメリカは隣国同士だが、直行便はゼロ。しかし実際には、政府関係者やアメリカに住むキューバ人などが行き来する直行便がマイアミ、ロスに接続しているのは周知の事実。
バスを下りた場所には、屋外劇場 anfiteatro de la habana がある。
その周りにいつくかの彫像があった。これはインドの詩人でノーベル文学賞を受賞したタゴール。
こちらはオスマン帝国の将軍で、のちにトルコ共和国の初代大統領に就任したアタチュルク。
屋外劇場のとなりには、ちょっとした遊園地もある。
入場口に人が集まっていたので、見てみると・・・
おもちゃや帽子が売られていた。ディズニーキャラクターものやキティーちゃん、そしてメッシとロナウドのパネルもある。
遊園地内を見ると、北米の移動遊園地とさほど変わらない。
ハバナ港に続く運河沿いに、たくさんの中国製最新型バスが停まっている。
遊園地と車道の間の細長いスペースに、懐かしさを感じる公園がある。
公園の入口にあるパネル。よく見ると、
日本語だ。
この公園を寄贈した仙台育英学園の寄贈の主旨と寄贈した団体名が書かれている。
とりあえず公園内へ。
ヤシの木が生えているが、どことなく和を感じる公園。
小さな石篭があり、
石で水を表現して、アーチ状の橋もある。
これが一番奥の場所。
仙台までここから11,850kmの距離。
公園奥にあるモニュメントの中央に立つのが、支倉常長の像だ。
空を見上げると、
太陽を中心にした円状の虹のようなものが出ていた。初めて見る虹のようなものは、日暈(ひがさ)だ。
これは太陽や月に薄い雲がかかったときに現れる光の屈折による現象。
彫刻と重ねてみた。この像は2001年4月、支倉常長一行が390年前に立ち寄ったとされるハバナに建てられた。腰に日本刀をさし、袴と羽織姿で右手の扇子は目的地ローマを指している。
1613年、伊達政宗の命により欧州貿易の活路を求めて仙台を出発。サン・ファン・パウテぃスタ号(500トン)に乗った支倉常長ほか約180名はメキシコ経由でスペインに到着。スペインで洗礼を受けた支倉常長は、1615年にローマでローマ法王パウロ5世に謁見。しかし通商交渉は失敗し、1620年に帰国。帰国した時には日本はキリシタン禁制になっており、常長は失意のまま2年後に亡くなったとされている。
この銅像は、佐藤忠良作で仙台開府400年を記念して寄贈された。
銅像の周りに、これまた懐かしい写真が飾られている。
私がパネルを見ている間、キューバ人女性が銅像に近寄り、じっと眺めていた。この公園も銅像もキレイに清掃され、市民の中にも気にかけてくれる人がいることが嬉しい。
昨日乗ったツアーバスが目の前を通過。今日もこれに乗ろう!
観光エリアなので、オシャレなお店も点在。向こうに見えるのは、革命博物館。
そしてハバナの一等地に立つスペイン大使館。
この大使館の周りが騒がしい。
よく見ると、大使館に続く長蛇の列があった。ビザ申請をする列なのか。
大使館は、高い塀に囲まれている。
その塀に、比較的新しい車があったので撮影。黒いナンバーは、外交官用。
この古い車も黒ナンバー。
大きなマキシモ・ゴメスの像がある。ドミニカ出身でドミニカ独立戦争に参加したのち、キューバに亡命。キューバで農業を営むが、キューバ独立の気運が高まる中でキューバでも独立運動に参加。1868年10月、ドミニカから亡命していたメンバーを集めて小隊を組織。ドミニカ独立戦争で学んだ戦術で功績をあげ、軍曹から将軍に昇進。その後、ホセ・マルティーと知り合い、キューバ独立に尽力した人物だ。
この像のそば、そしてハバナ港入口にあるのがプンタ要塞。
ハバナの町と同時期に作られた要塞。
現在では博物館になっている。
この扉から中に入るのだが、入口にはスタッフがいて入場料金を払う必要がある。
入場料金は1CUCと聞いていたが、なぜかこのスタッフは3CUCを要求。そのため館内に入らなかった。
ハバナ港入口の向こうには、モロ要塞が見える。このプンタ要塞が完成した後、違う高さから挟み撃ちで砲撃するためモロ要塞が建設された。そしてこの二つの要塞の間には船舶の出入りを制限するため、チェーンを結んでいた。
ハバナ港の方面をみると、カバーニャ要塞も良く見える。
堀の間隔が広い。
足元には、
プンタ要塞の形状の履歴を図で紹介。
敷地は広いが、お堀と要塞の間が広いので要塞自体は小さい。
プンタ要塞の自動車道路を挟んで向こう側ある大きなモニュメント。
1871年11月27日、スペイン軍主将ドン ニコラスは、8人の罪のない医学生の殺害を聞いて自分自身の剣を壊しました。そして、彼は、『人と正義は、祖国よりも重要だ。』という言葉を残します。その後、ニコラスは軍隊キャリアを断念します。このモニュメントから近い場所にもうひとつ、厳重に守られているモニュメントがある。
それがこの建物。
まるで牢屋のような建物。
スタッフがスペイン語とジェスチャで説明をしてくれたが、チンプンカンプン。ホセ・マルティがここに繋がれていたと言っていたようだが、真意は不明。
再び、一等地にある革命博物館が見える。
私がハバナで見る限り、旧国会議事堂の次に立派な建物。この建物の中にキューバ革命の歴史がある。
続く・・・