「勝利よ永遠に」、「いいだろ フィデル」・・・日本でもファンが多い2人の革命闘士、そしてラテンアメリカの英雄が見守る革命広場は、まるで大きな駐車場!?/高さ109mから見下ろすハバナの絶景!ホセ・マルティ メモリアルからは巨大な共産党本部もすぐそこに見える/バタバタとうるさい3輪バイクに乗って不快的だが楽しいドライブ/そして雰囲気抜群のレストラン La Paellaでパエリアを食べる - Today→Tomorrow

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4/10/2013

「勝利よ永遠に」、「いいだろ フィデル」・・・日本でもファンが多い2人の革命闘士、そしてラテンアメリカの英雄が見守る革命広場は、まるで大きな駐車場!?/高さ109mから見下ろすハバナの絶景!ホセ・マルティ メモリアルからは巨大な共産党本部もすぐそこに見える/バタバタとうるさい3輪バイクに乗って不快的だが楽しいドライブ/そして雰囲気抜群のレストラン La Paellaでパエリアを食べる

チェ・ゲバラ・・・・。右下には、「 勝利よ永遠に 」の文字が見える・・・。


手間に幅の広い自動車道路があり、向こうに見える大きな駐車場のような広場が有名な革命広場だ。
 内務省にはチェ・ゲバラのモニュメント。
 右下の文字は、「勝利よ永遠に」。
 そして情報通信省には、死後50年を記念してカミーロ・シエンフエゴスのモニュメントが2009年10月に作られた。
 右下の文字は、「いいだろ、フィデル」と書かれている。
この二人は、フィデル・カストロとともにキューバ革命を勝利に導いた戦友。この二人の肖像画や銅像はあちこちで見かけるが、フィデル・カストロのものは公共の場で見ることはほとんどない。キューバは、フィデル・カストロの独裁国家のイメージが強いが、他の独裁国家にありがちな指導者賛美のプロパガンダはまったくない。 これは政治指導者の偶像化を避けるため、法律で存命中の人物のモニュメントを公共の場所に飾ることを禁じているためである。

革命広場に対面する位置にあるのが、このタワー。さっそく坂を登る。
このプレハブで、このタワーに入る入場券と手荷物を預ける。
 ハバナ市内からは、どこからも見えるこのタワー。高さは109mあり、ハバナ市内で最も高い建造物だ。タワーの形は五角形の星型になっていて、以前は共産党本部オフィスビル。現在は、ホセ・マルティー メモリアル / ホセ・マルティ記念博物館 として一般に開放している。
 このタワーの前にあるのが、高さ18mの巨大なホセ・マルティの彫刻。
 タワーの中へ。中に入ると、冷房が効いていて、ひんやりしている。
 一階部分は、ホセ・マルティの歴史パネルを展示中。
 すべてスペイン語表記で英語がないため読むことができなかった。
 ホセ・マルティの幼少期の写真と家族写真があった。
ホセ・マルティーは、19世紀のラテンアメリカが生んだ最も偉大な人物の一人として名があがるほどの英雄。 1853年にスペインから移住した両親のもとに生まれる。4歳の時に、一旦スペインに移住するが父親の健康上の理由で2年後に再びキューバへ。キューバに戻ったマルティーは、詩人で独立思想家ラファエル・マリア・メンディベが校長を務める学校に進学し、そこで詩人としての才能と独立への思想を育んだといわれる。
ケースの中にあるのは、
鳥の剥製?なぜ、ここにあるのか、スペイン語がわからないのが残念。

キューバは1492年にコロンブスによってヨーロッパ人に発見され、それ以降、スペインの植民地となる。
砂糖産業と奴隷貿易で栄えたキューバは、1868年にアメリカとの併合を望むカルロス・マヌエル・セステベスにより、第一次独立戦争が勃発。このとき16歳だったマルティーも独立戦争に参戦。1869年に逮捕され投獄される予定だったが父親の尽力でキューバ内の孤島に追放されたあと、スペインに亡命する。この独立戦争は、1877年にスペインから自治権を認められ、1878年に休戦する。
 手錠の展示もあった。
 展示エリアは全部で4つあり、その間には休憩所もある。、壁にはマルティがかつて述べた言葉の引用文で装飾されている。
 この剣は、、ベネズエラの政治家ウゴ・チャベスが2002年にキューバを訪れた際、フィデル・カストロに贈呈したシモン・ボリバルの剣のレプリカ。
 1871年にスペインに送られたマルティは、サラゴサ大学等で文学、政治、哲学を学ぶ。その後、フランス、メキシコ、グアマテラに移動。1878年に友人の援助により、キューバに戻るが独立運動が理由で再び亡命。その後、各国を転々としながら、ベネズエラのカラカスで落ち着くが、そこで現体制への批判により追放。その後、アメリカのニューヨークで14年間の生活を送る。その合間にも、キューバ独立の夢は消えず、結婚していた妻は夫の独立運動を理解できず、息子を連れてキューバに帰還。一方、マルティは知識人として知られ、パラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイの駐米領事を歴任する。それでもキューバ独立の思いは消えず、それらのキャリアを捨てて、1892年にニューヨークでキューバ革命党を結党した。
 詩人であり、文学者であったマルティが残した言葉の数々。
 米国に滞在中、精力的に執筆活動に励み、各種雑誌への寄稿、そして子供向け雑誌の発刊もしている。
 マルティの衣服も展示。
 1894年、キューバ独立運動のためメキシコに資金調達に赴き、1895年4月11日に十数年ぶりにキューバに上陸、そして第二次キューバ独立戦争が勃発。マルティーの銃も展示されている。
 優勢を保つスペイン軍との死闘は激しく、5月19日にマルティーは被弾し、キューバ独立を見ることなく他界する。
第二次独立戦争は、1898年に島半分以上をスペインから解放。しかし独立戦争の勝利目前に迫ったある日、アメリカ人保護のために停泊中だった米国戦艦メイン号がハバナで謎の爆沈を遂げる。それに激怒した米国民の支持を背景にキューバ独立戦争にアメリカが介入。1898年にスペイン・アメリカ・キューバ戦争が勃発すると、アメリカ軍は瞬く間にキューバ全島からスペイン軍を駆逐し、戦争はアメリカ合衆国の圧倒的な勝利となった。 その勝利の後、アメリカの軍政が敷かれることとなる・・・・。

フィデル・カストロがキューバ国旗を手に持ち、海に向かって直立している写真。
 次の展示へ。
 このタワーを建築している過程を紹介するパネル。
 そしてホセ・マルティの肖像画が印刷された紙幣とコイン。
 タワーのデザインは、コンクールなどで決められる予定だったが、結局、当時のバティスタ政権で労働大臣を務めるエンリケ・ルイス・バレーラ率いる建築家集団がデザインしたものに決定。これを猛烈に避難した国民らにより、一部デザイン変更を強いられた。
 工事はマルティ生誕100周年を記念して、1953年に開始され1958年に竣工。そしてマルティ他界の101年目にあたる1996年に博物館としてリニューアルオープンした。
 キューバ革命の闘士 チェ・ゲバラ、フィデル・カストロ、カミーロ・シエンフエゴスの三人が揃ったパネル。
 革命広場に集った人々。
 マルティの巨大像の前で演説するフィデルのパネルもあった。
 そしてこれも革命広場に集った人々を撮影したパネル。ただしこれは、1998年にローマ・カトリック教会のヨハネ・パウロ二世が行ったミサのときの写真。
 以上で、展示コーナーは終了。休憩エリアには、
 マルティの顔があちこちにある。
 もうひとつの展示スペースは、美術品の展示コーナー。
 繊細で美しい絵が飾られていた。


 タワー内の壁の装飾は、とにかくお見事!
 よく見ると、小さなタイルがひとつひとつ”ちぎり絵”のようにして貼り付けられている。
 タワーの中央には、エレベータがある。
 エレベータに入ると、エレベーターガールとしてはかなり年配な女性がイスに座り、チケットを拝見。
エレベータは、途中で止まることなく一気に最上階へ上昇。
そして扉が開くと、また細やかなタイルの壁画。
 そして窓の外は・・・・
 ハバナ市内が一望できる。
 タワーが星型なので、向こうの展望室も見える。
 足元には、パネルがある。
 TOKIOの文字と12135の数値、ここから東京まで12135kmあるらしい。
 また違う場所から外を見る。
 眼下に見えるのは、革命広場。まるで広い駐車場だ。メーデーなどの国家評議会議長の演説の場に使われ、多い時には数十万人もの人が広場を多い尽くす。
 ハバナの向こうには、大西洋が広がる。
 違う角度から見るため、移動。
 ハバナ市はかなり大きな都市なのがわかる。オタワの十倍以上の規模だ。
 ここにも足元に各国の都市への距離数が表示されている。ここからパリまで7729kmの距離。
 反対側の窓からは、
 すぐそこに巨大な共産党本部の建物がある。現議長のラウル・カストロもここで働いているのだろうか。
 上り階段と下り階段があるが、封鎖されていた。
 次の展望室へ。
 OTTAWAがある。距離は2545km?こんなに近いとは、思わなかった。
 再び、中央にあるエレベータで地上階へ下りる。
 ホセ・マルティが、いかにキューバにとって重要な人物なのかを象徴する建物。
 タワーの最上部に、展望室の窓が見える。

ホセ・マルティ・メモリアルのその他の写真>>https://picasaweb.google.com/109343164122809862992/20130410memorialjosemarti

タワーを見学した後、革命広場で目立っていたこの乗り物に乗る。
オールドハバナまで8CUCと言われたが、5CUCに値切ったら、悩んだあげく快諾。
ハバナ市内のドライブは動画で・・・風切り音とエンジン音がうるさいので音楽を挿入。

写真館を発見。
 ウェディングドレスもあった。
 ハバナの町を快走中。この乗り物は、乗り心地は悪いが楽しい。
 20分くらいでオールドハバナに到着。ランチをするとドライバーのおばちゃんに伝えると勝手にあるレストラン前に駐車し、中からレストランのスタッフが出てきた。あまり良さそうなレストランではないので、断る。レストランとドライバーは、何らかの提携をしているのだろう。発展途上国ではよくあるできごとだ。
 ここからは徒歩で移動。公園の周りは、古本市場になっている。
 このあたりは、観光エリアなのでどの建物も綺麗にリニューアルされている。
ただし、町のあちこちで工事中だった。
 車の進入止めは大砲を利用。
 工事中にもかかわらず、住民と観光客はすみを歩いて横断。
 そして目的地に到着。入口によりかかる男性に声をかけると中に案内された。
ハバナLa Paella - トリップアドバイザーwww.tripadvisor.jp › カリブ諸島 › キューバ › ハバナ › ハバナ レストラン 評価: 4 - レビュー 4 件
La Paellaに行くならトリップアドバイザーで口コミ、地図や写真を事前にチェック!La Paellaハバナで131位(219件中)、4.0点の評価を受けています。

 これがレストラン内。
 すごくいい!このようなレストランは、キューバではあちこちにあるのが嬉しい。ちなみに奥で座っているおばちゃんはトイレの番人。トイレを使うときは、チップを渡すことを忘れずに・・・。
 さっそくサラダが出てきた。素っ気ない感じだが、新鮮で素材の味が美味しい。
 そしてパエリア。大きさは40cmくらいあるので、ボリューム大。これ一個で十分満腹になる。魚介類がふんだんに入っていて、とくにロブスターが美味しかった。このパエリアでも12CUCくらいだった。
食事中は、すばらしい演奏を聴きながら・・・
動画もあります

続く・・・・


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