この記事は前回の続きです
この小さな小屋のような場所で、入場料金を払う。
そしてこれが第一ゲバラ邸だ。
入口にはいつものように超ミニスカートのスタッフがお出迎え。なぜかどこの観光スポットも女性スタッフばかり。
入口に入って、目の前にあるのはご覧の肖像。ゲバラの額の星は、独立を表すシンボルだ。
そして入口のすぐ右の部屋が、
ゲバラの執務室だ。この邸宅に滞在しているときは、ここが彼の仕事部屋。
この写真は1959年に撮影。いっしょに写っている女性は同じキューバ軍で戦闘をともにした二番目の奥さん Aleida March。見るからにしっかりものの嫁のような雰囲気がある女性だ。
机の上にあるのは、ゲバラ特製の箱に入ったTabaco?? ここの女性スタッフも英語が話せないので、詳細は不明。
この邸宅は、そんなに広くはない。ゲバラの家族は、ここに住んでいなく、泊り込みの業務をしていたときの家です。
この部屋には、ゲバラの写真が飾られている。
ゲリラの勝利者として名声だけでなく、彼をもっとも有名にしたのは、なんと言ってもそのルックスだ。
愛嬌のある姿だけでなく、仕事のときの表情も魅力的だ。
さらに奥へ。
次の部屋は、ゲバラが寝室。かなり質素な家具。ベットの上には、
持病の喘息の症状がひどくなったゲバラを見舞うフィデル。この部屋で撮影された写真だ。
一番奥の部屋では、ゲバラの遺品を展示している。
ショーケースに入っている布は、ボリビアで処刑されたゲバラの遺体を運んだときに使われた担架。
部屋の中央に飾られているは、
あの有名な写真「英雄的ゲリラ」のときに着ていたジャケットだ。
そのほかにも展示物がある。
この小さな丸いプラスティック容器に入っているのは、
ボリビアで看護師がカットしたゲバラの頭髪。
ゲバラの遺体を検死するさいに使われた医療道具も飾られていた。
キューバ革命後、ボリビアでの革命を模索したゲバラは、1966年11月に現地に入る。その後、激闘の末、1967年10月8日にアンデス山脈のチューロ渓谷で政府軍に捕らえられる。その翌日に処刑された。
わずか39歳でこの世を去ったゲバラの人気は、現在でも健在。アルゼンチンの裕福な家庭に生まれ育ち、医学を学んだ彼の影響もあり、今日のキューバは第三国の中で最も高度な医療技術をもつ国になる。ゲバラを処刑した元兵士が後年、目の治療のためキューバを訪れ、なんなく治療を受けることができたことは何とも皮肉だ。
1997年、キューバとボリビアの合同捜索隊により、死後30年を経てボリビアで遺骨が発見される。その後、ゲバラの遺骨はキューバへ。
遺骨の移送のときに使われた小さな棺。上に小さなキューバ国旗が置かれていた。
生前の1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバ使節団を率いて日本へ。7月23日には、愛知県のトヨタ自動車工場や三菱重工の飛行機工場を訪問。25日には、急遽予定を変更して広島を訪問し、原爆資料館と原爆病院を視察。広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に公式に献花もしている。キューバに帰国したゲバラは広島の歴史を教育に盛り込み、キューバでは現在でも初等教育で広島と長崎の原爆投下を取り上げている。
次の部屋は、応接間。
この部屋にもゲバラの絵があり、
写真が飾られている。これらの写真は、
現在のキューバ国家評議会議長であるラウル・カストロがここゲバラ邸を訪問したときの写真。
その横には、スタディールームがある。かなりモダンで洗練された備品に少し驚いた。
このテーブルは、ゲリラ戦闘中にゲバラが外科手術をするときに使われていたもの。
ゲリラ活動中の貴重な写真も飾られている。
大きなモダン画があちこちにある。
またガラスケースがあった。
中には、コップなど身の回りのものや、
タイプライターが展示。どれも説明書きがスペイン語のみなので、詳細は不明。
このケースの中には、女性のものがある。
ゲリラ側の女性スパイ Tamara Bunqueの所持品だ。
展示されていたカメラは、
Made in Japan。
靴もある。Tamara Bunkeはボリビアでのゲリラ活動中に村民達の裏切りにあい、浅瀬を渡っているときに襲撃され死亡。遺体はピラニアのえさになった。
またケースがある。
これは、ゲリラ活動中に使われたトラップ。
そして何とも恐ろしい拷問器具のようなものは、ゲリラ活動中に小麦を挽く道具。キューバ革命でゲバラが捕虜を殺害しなかったことは有名。
以上が、ほぼ全ての展示。
ゲバラ邸の正面からハバナ港を見下ろすことができる。
第一ゲバラ邸のその他の写真>>https://picasaweb.google.com/109343164122809862992/20130411chegavana
ゲバラ邸からランチのため、ハバナ市街へ移動。
途中、ゲバラ邸に行くときに見た戦闘機などが並べられた場所に立ち寄る。
キューバ軍の戦闘機や機関砲などが多数展示。
車を止めると、若い兵隊が出てきて、見学するなら料金を払わなければならないといってきた。
「ここから写真をとってもいいか?」を聞くと、「いいよ」と快い返事。そのまま去っていった。兵隊も親切だ。
特設ステージに置かれた飛行機の翼がある。
これはキューバ危機の最中の1962年10月27日、キューバ上空を偵察飛行していた米軍偵察機U-2の翼。ソ連製地対空ミサイルにより撃墜されパイロットは死亡。この事件は、「暗黒の土曜日」と言われ、第三次世界大戦が勃発する寸前の出来事だった。
ひととおりの見学を終えた後、海底トンネルをくぐって、
ハバナ市街へ。
町は相変わらずの喧騒だ。
マンゴやオレンジを売る露店など、食料は豊富。みなの表情も明るい。
交差点の角にミートのイラストが書かれていた。肉屋さんだろうか?
あわててシャッターを切ったので、ピンボケしてしまったが・・・・アメリカの大人気アニメであることは間違いない。ミッキー人気はキューバでも健在だ。
車であちこち連れて行ってくれたK氏とはここでお別れ。車を下りた場所は、ここ。友人が紹介してくれたレストランがあるはずなのだが・・・。赤いポロシャツを着た下の男性に声をかけたら、この上にレストランがあるとのこと。
そのビルの正面入口は、ご覧のとおり。
上を見上げても、レストランがあるとは到底思えない。
とりあえず中へ。入口では地元の人たちが集まってドミノと呼ばれるボードゲームをしていた。
ゲームをしている人たちにレストランを聞くと、やはりこの上にあるとのこと。
とりあえず半信半疑のまま、階段を上る。
階段から見た建物内。どう見ても廃墟寸前の建物だ。
2Fにあがると、見事に装飾されたボロボロの空間が出現。建設当時は、ものすごく豪華だったことが推測できる。
よく見ると、洗濯用のロープが張られている。この場所で洗濯物を乾かすとは、ある意味、非常に贅沢な空間の使い方だ。
美しい?カーブの階段があるので、また上る。
中庭の様子はご覧のとおり、どこもボロボロ。
そして最上階に着いた。どうやらこの奥に、レストランがあるらしいが・・・・
本当に会った!
扉を開けると、、、別空間が出現。
店内は狭いが、居心地のいい空間だ。
La Guarida 【トリップアドバイザー】www.tripadvisor.jp › カリブ諸島 › キューバ › ハバナ › ハバナ レストラン 評価: 4.5 - レビュー 483 件
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とりあえずテーブルにつく。サーバーは、笑顔が素敵な親切な女性。
とりあえずメニューを開く。メイン料理でも15CUC(約1500円)の料金。オタワよりも断然安いメニューだ。
テーブルから見える外の景色。
料理が来るまで、バルコニーから撮影。店内はごちゃごちゃしているが、これが良い雰囲気を出している。
そして未だ現役の青い冷蔵庫。
まずは冷静スープ。白い器にナッツ類だけがのせられて来て、ポットでスープを注ぐ。
澄んだシックなピンク色のスープ。食べてみると・・・・超絶品。ひんやりしたトマトベースのスープは、トマトの味が濃厚。
続いて、パスタ。カナダではめったに食べられないアルデンテ。味付けは、ケベック州にも引けをとらない。
そしてボリュームあるチキン料理。どれだけ美味しいかは、見ただけでわかるだろう。
お腹がいっぱいだが、とりあえずデザートも注文。チョコレートケーキは、、、、、、程よい甘さで、、、これなら満腹でも無理して食べる価値は十分だ。
このお店は、キューバ・メキシコ・スペインの合作映画「苺とチョコレート」で撮影にも使われ、数日前には、文化活動の一環?で訪問中のビヨンセ&ジェイ・Z夫妻も訪れたレストラン。
帰りは、再びボロボロで豪華な建物内を見ながら・・・・
こんな場所に、こんな素敵なレストランがあるとは・・・・。ハバナを訪れたらMust Goなお店だった。
上りでは気が付かなかったが、階段にはフィデル・カストロの言葉とともにキューバ国旗が描かれていた。
続く・・・・