やっぱりゲバラとカミーロ!世界中にファンが多いゲリラの英雄は、やはり革命博物館でも別格です/戦場のギタリスト・アルメイダのギターもある!/荘厳だがボロボロの博物館にも驚く - Today→Tomorrow

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4/12/2013

やっぱりゲバラとカミーロ!世界中にファンが多いゲリラの英雄は、やはり革命博物館でも別格です/戦場のギタリスト・アルメイダのギターもある!/荘厳だがボロボロの博物館にも驚く

キューバ革命を語る革命博物館のメインは、やはり彼らでした。

これは4月12日の日記。


これがキューバで最も立派な博物館だろう。それは革命博物館。
博物館の前に戦車が飾られている。
 1961年4月、アメリカ亡命した在米キューバ人部隊がアメリカの支援を得て、カストロの革命政権転覆を試みた事件(ピッグス事件)が勃発。そのときカストロは、この戦車に乗って米海軍船Houstonを砲撃した。
 さっそく館内へ。
 ここが入口。
 入口に入ると、正面の階段にホセ・マルティ像がある。
 手荷物を預け、ここで入場料を払う。
 レジスターはCASIO製だった。
 エントランスホールにあった展示。
 1961年4月のピッグス事件で国民が掲げていたフィデルと書いた文字。ピッグス事件は、CIAがキューバ軍の戦力を過小評価していたこと、そしてキューバ軍一部の謀反が起こらなかったこと、そしてケネディー大統領の指揮が二転三転したことが原因で大失敗に終わる。アメリカからの奇襲部隊2000名の内、90名が戦死、1200名が捕虜、そして残りは逃亡という結果。
エントランスホールで上を見上げると、天井の装飾が素晴らしい。
 スタッフに言われるまま二階へ。マルティーグッズが展示されていた。
 そして3階へ。
 階段を上ると、カミーロとゲバラの大きな写真が正面にある。
右手に吹き抜けホール。

 大きな壁画は、戦闘中の模様を描いたもの。
 その壁画の下のドアを開けると、大ホールがあったが・・・工事中。
 大ホールの向かい側にグランマ号のパネルがある。
 美観を保っている場所は以上。廊下を歩くと、だんだん
 ボロくなってくる建物。これが革命博物館とは・・・。
 この建物は、1959年の革命前は大統領官邸として利用されていた。アーチと回廊が建物の周りをぐるりと囲むスパニッシュ・コロニアル様式の建物。
 まず始めの展示室は1953年から1958年までの歴史。
 展示室の内部。
 1953年7月26日、若者を中心とした革命グループ121名が米国支援を受ける独裁的なバティスタ政権打倒を目論み隆起。
 革命グループは、サンチアゴ・デ・クーパのモンカダ兵営を襲撃。モンカダ兵営はキューバで二番目に大きな軍事拠点。襲撃した日(7月26日)は兵営でカーニバル後のパーティが開かれていた。兵士達の気が緩んでいたときの奇襲作戦だったが失敗。121名のうち61名が死亡し、カストロを含めた他のメンバーは逮捕される。
 奇襲のときに使う武器やユニフォームを隠していた場所。
 モンカダ兵営でカストロが発した言葉。スペイン語なので詳しい内容は不明。
 展示室の窓からカメラを構える女性。その先には、
 野外展示場がある。
 これはカストロが使ったラジオ送信機。
 展示室のガラスケースは、一昔前の年代品。
 この部屋の真ん中には、革命グループが奇襲攻撃を計画していた部屋の模型がある。
モンカダ兵営と関連施設の模型。

 奇襲後のモンカダ兵営。銃痕が生々しい。
 ユニフォームについた血痕が、戦闘の激しさを物語る。
 次の展示室へ。
 回廊の途中にある売店。
 売られているのはキューバ革命の書籍。
 次の展示室の中へ。

 この部屋にカストロとともに戦い、2009年に他界したファン・アルメイダのギターがある。
 ミュージシャンでもある彼は、戦地でもギターを弾いていた。晩年は国家評議会副議長の職にあり、同評議会の第3位の地位を占めていたが、庶民的で温厚な人柄により国民に慕われていたという。
 このギターの持ち主アルメイダ、そしてフィデルとラウルのカストロ兄弟らは、モンカダ兵営奇襲で逮捕され、メキシコに亡命。
 メキシコ亡命中に使っていたフィデルのサングラス。
フィデルが狙撃をチェックしていた望遠鏡も展示。キューバ革命の希望を捨てず、亡命後でも革命の準備を怠らなかった。
 そして1956年11月、現地調達したプレジャーボート「グランマ号」(定員25名)に乗って、再びキューバへ。
搭乗していたのは、なんと82名。グランマ号の備品の展示もある。
 グランマ号の羅針盤
 そして航海に必要な六分儀
 当時、キューバで使われていた拷問道具。 
 爪剥ぎ取り機もある。バティスタ政権の非道さがよくわかる展示物。
 キューバに再上陸したグランマ号に乗った革命軍は、上陸早々、政府軍の攻撃により壊滅状態。カストロ兄弟とアルメイダを含む十数名だけが辛うじて生き残る大惨敗だった。革命軍はキューバ南東部の山地に逃げ込み、ゲリラ活動を開始。
革命軍での女性の写真。銃弾をタスキ掛けして戦地で戦っていた様子がよくわかる。
 フィデルが女性兵士らとミーティングしている写真。
 1953年7月26日のモンカダ兵営奇襲の思いをかけて、
 革命軍は、この旗(7月26日運動)を掲げて政府軍と戦っていた。
 旗と同じ色のロケット弾。1958年に革命軍は再び戦闘を開始する。
 戦闘を開始した革命軍は、2つの部隊に分かれて進軍。

1953年に革命の旗を掲げ、モンカダ兵営奇襲に失敗し、ともにメキシコに亡命したカストロ兄弟とアルメイダが指揮するのはキューバ東部の前線部隊。


そしてもう一方は、首都ハバナを目指して西へ進軍する部隊。
この部隊は、メキシコで新たにキューバ革命メンバーに加わった指揮官が指揮をとる。
それが彼だ・・・
 そして彼も指揮をとる。

ゲバラとカミーロが指揮する部隊は首都ハバナを目指し、一気に進軍。

時間がないので今日はここまで、次へ続く・・・・


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