市場が大好きだ!!
シリアとイランは、「シリアが攻撃されれば、テルアビブは燃えるだろう」と報復攻撃を公式報道。
当のテルアビブの朝は、いつもとちがう。
路面を見ると水の痕跡??
交差点が水浸しだ。どうしたんだろうと思っていたら・・・原因はコレ!消火栓の故障だ!僕だけでなく、通りかかる市民もスマホで撮影していた。
半年間水が一滴も降らない土地なのに、故障とはいえ、とんでもない水の無駄遣いだ。
それ以外は、いつもとまったく変わらないテルアビブ市内。いつ攻撃されてもおかしくない街の様子とは思えないほど、いたって普通。
緊迫する事態の中、不謹慎だと思う人がいるかもしれないが、市内どこを見ても食料品を買い漁る人や緊迫しているような人は皆無。僕は鉄道に乗って、南へ移動。
憧れの2階建て列車がホームに到着。
列車に乗り込み、もちろん2階へ。
まるで特急列車のようなシート。
見晴らしも最高だ。
しかも電源コンセント付き、無料WiFiは当然装備されている。これがイスラエルの普通列車だ。
列車は南へ移動。緑地が広がる土地も、
徐々に緑が少なくなる。
シートに新聞が残されていたので、ちょっと眺める。ヘブライ語なので全く読めないが、
写真を見ると、左はミサイル防衛システム「アイアンドーム」(日本のパトリオット・ミサイルと同じようなもの)、右は毒ガスマスクの配給風景を伝えていた。これだけ見ると、テルアビブがかなり逼迫しているように見えるが、実際の街の様子はいたって普通。毒ガスマスクは市民には無料で配給。統計では6割以上の人がすでに自分の毒ガスマスクを持っている。
Tel Aviv Shalom駅から約1時間でBe'er Sheva University駅に到着。
場所は下の地図で。
イスラエルは日本の四国程の大きさしかないので、列車で一時間ほどでガザ地区よりも南、そしてエジプトまで50kmほどの場所まで来てしまう。御存知の通り、ガザはイスラエルとの関係がもっとも緊張したエリア。ここでは毎日のようにイザコザが絶えない。ちなみにイスラエルでのイザコザとは、撃ったり撃たれたりを意味する。50kmしか離れていないエジプト・シナイ半島付近はあのアルカイダの勢力がもっとも強いエリアでもある。
駅から徒歩で、ベエア・シェヴァのダウンタウンへ向う。
いかにも郊外というような雰囲気。フェンスに南国の花、
白いブーゲンビリアが咲いていた。
ベエル・シェバはネゲブ砂漠の玄関口と言われる都市。
砂漠の玄関口の一般的イメージとはまったく印象の違う大都市だ。
攻撃が近いと言われているので、人が少ないのではない、ただ単に暑いので屋内のショッピングモールに人が集まっているだけだ。
こんな建物があちこちにある。
ダウンタウン付近に到着。
ダウンタウンは、都市計画で美しく生まれ変わる工事がされていた。
ここにベエル・シェバの中心駅があるのだが、現在、路線整備のため閉鎖中。
駅の隣には、大きなバスターミナルがある。
1980-1990年代は自爆テロで近づくのも危険と言われていたバスターミナルも、現在はこんな感じだ。
この街も紀元前4000年頃からの歴史を持つので、あちこちに遺跡がある。
更に歩く。地図では墓地を左に曲がるとあるが、、、、これが墓地?
良く見ると墓標が立っていた。
墓地からすぐそばの場所に、
大きなマーケットがある。
シリア情勢でイスラム組織が活発になると言われている状況、しかもここはガザ地区とも近いのに市場は雰囲気はこんな様子。かなり賑わっている。
新鮮な野菜と果物が豊富。
その他に売られているものは、以下のとおり。
日曜雑貨のお店もたくさんある。
こちらは隣接している別のマーケット。
女性の服装から判断して、こちらはアラブ人のマーケット。
「外国にいる」と久しぶりに感じた。
賑やかなマーケットから離れ、大通りを越える。
なんだかいい感じ。アラブ人で仲の良い友人が何人かいるが、みな優しくいい人達だ。
右手に小高い土の丘。
急な斜面を登っていく車を何台か見かけたので、登ってみると・・・
ここにも小さなお店があった。
商品数は少なく、とても小さいマーケット。
売られているものは、生きたままのニワトリなど先ほどのマーケットとはちょっと違う。
再び、バスターミナルに戻る。こちらは市内バスのターミナル。
31番バスに乗ると、目的地 Israeli Airforce Museumに行けるはず。バスが来て運転手に英語で話すと英語が全く通じない。すると乗客の一人が片言の英語で「そのバスは、中・長距離バスのターミナルの31番だよ」と親切に教えてくれた。日本も英語が話せない人が多いので、日本にいる外国人旅行者の気持ちがよくわかった。そして観光客も少しはその土地の言葉を覚えないといけないと思いつつ、自分を省みて反省する。バス停の時刻表すら満足に読めない・・・・
親切な乗客に教えてもらったとおり、隣の中長距離バス・ターミナルに移動。結局、チケット売り場のおじさんも英語ができないので今日、Airforce Museumに行くことは諦めた。車を所持してから、改めて行こう。
マクドナルドでインターネット。店内は多くの兵士が談笑中。女性も男性も機関銃を持参してのマック。
「地中の歩き方 イスラエル」によると、毎週木曜日にベドウィンの市場が開かれていると紹介。先ほどの土の丘の上の小さなマーケットが、そのベドウィン市場だと思ったら、どうも場所が違うらしい。
正確な場所は、下の地図。
もう一度、歩いてマーケットを探索。バスターミナルから10分ちょっとで街のはずれに到着。
大きな駐車場に、たくさんのお店が並ぶ青空市場があった。
ここがベドウィンの市場 Bedouin Market。ベエル・シェバやネゲブ砂漠のベドウィンが集まり毎週木曜日にこの場所で青空市場が開かれる。
ベドウィンとはアラビア語で「砂漠の民」の意味。いわゆる遊牧民を指す言葉だ。
お店で売られているのは、以下のとおり。
中国製製品も多いが、アラブ人らしい洋服も売られている。
肌を露出したユダヤ人、そして全身身を包んだアラブ人、みんな仲良く買い物中。
駐車場には、お店の経営者とお客の車が多数駐車中。いまどきのベドウィンは車で移動?そんなことを感じさせる光景だ。
市場の近くには、「アブラハムの井戸」。
アブラハムは、ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。彼が掘った井戸と言われているが、これは次回に訪れる。この井戸のそばに流れる川。河原は広いが、
水流は非常に少ない。
アブラハムの井戸の横には、ユダヤ人のモニュメントがある。
お約束の寄付者を紹介するレリーフ。
この井戸から北に伸びる道は、ベエル・シェバの旧市街。
PANDAというヌードルレストランがあったり、
「SEN SEI 先生」??という看板を掲げるレストランがあったり、
「Ber Bari バーバリ」?というレストラン&バーがあったり・・・・
北に向かうほど、とおりがオシャレになっていく。
イスラエルではウェディングドレスのお店をよく見かける。この街にもたくさんのドレス屋さんがあった。
かなりオシャレな通になってきた。
ただしプロムナードのお店は、いまいち。
気候といい雰囲気といい、なんだか4月に訪れたキューバのシエンフゴスを思い出す。
この辺りが旧市街のメインエリア。
導水橋のようなモニュメントがある。
水も流れるようになっていた。
その他、この街にもテルアビブ同様にあちこちにモニュメントがある。
旧市街の中心に
ネゲブ美術館がある。美術館は、1906年のオスマン朝末期に建てられた建物だ。
美術館の隣には、イスラム寺院の建物。この建物は、考古学博物館として利用されている。
こんな砂漠地帯のど真ん中の土地に、かなり近代的なビルもある。この街を作ったユダヤ人そしてアラブ人の努力の結晶だ。
大きなショッピングモールもあった。
カジュアル衣料チェーン HOODIESもある。3着で100シュケル(約2800円)のセール中。まるでユニクロのようなカジュアル衣料店だ。
現在、工事中の駅 Be'er Sheva center駅から行きに利用したBe'er Sheva Unibercity駅まで無料の送迎バスが出ていた。
帰りは、この無料送迎バスで営業中の駅まで向う。
再びBe'er Sheva University駅に到着。
駅前にある立て看板が、無料送迎バスを示していた。全部ヘブライ語なのでまったく気が付かなかった。
再び2階建て列車に乗り込む。
別にシリア情勢が緊迫しているので、こんな光景が見られるのではない。これも普段の光景。20歳くらいの今どきの女の子がマシンガンを携帯しながら友達と楽しくおしゃべりしている姿を初めて見たときは驚いた。
今度は、下の階の席に座る。
相わからず非常に快適な車内。この時間帯は、帰宅時の兵隊さんが多い。
今度はかなり低い視点だ。
駅を出発し、北へ向う。
こんな景色がずっと向こうまで広がる。
放牧中の牛。
北に向かうにつれ、緑の畑が増えてくる。
一時間ほどでテルアビブ中心の駅に到着。
スナイパーが使うようなライフルを持った女の子。イスラエルは女性も徴兵義務(21ヶ月)があるので、ほぼすべての女の子がこんな経験をしている。
次の駅が、私の最寄り駅だ。
2日前にハイファに行った様子や、一週間前にエルサレムに行った様子などを先に紹介したいが、
シリア情勢が緊迫している中、現在のテルアビブがどんな様子なのか気にかけている人が多いと思うので、ここ数日間はテルアビブの毎日を紹介したいと思う。