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この記事は8月17日の内容です。
ベツレヘムからテルアビブ近郊を経由して、カイザリアに到着。カナダと違い、国が小さいので移動に時間がかからない。順調に行けば、車で90分くらい移動できる距離だ。
カイザリアの海のすぐ近くにある駐車場に車を停め、まずは駐車場近くのある遺跡を見に行く。
駐車場に隣接した入り口に入り、
通路を歩いて、
まもなく広場に出る。
柵の向こうには、遺跡がある。
この遺跡は、ビザンツ時代の道路跡。
道路上には、美しいモザイクが今も健在。
道路に書かれたモザイク文字もはっきり認識できる。
道脇には、白い大理石と黒っぽい斑岩で作られた彫像が残り、白い彫像はカエサルを、斑岩のものはヘロデ王と言われている。
この道路跡を後にして、海側に移動。ここにカイザリア国立公園がある。Caesarea National Park - רשות הטבע והגניםwww.parks.org.il › דף הבית › Parks › Parks&Reserves
このページを訳すA New Year's gift: Caesarea National Park and audiovisual presentations in one ticket! Settlement at what became Caesarea, on Israel's central Mediterranean coast began in the third century BCE during the Hellenistic period as a small ...
国立公園は入場料を払わなければならない。大人一人40シュケル(約1200円弱)を払う。イスラエルには国立公園が全部63あるが、もしあちこちを回る場合は全国立公園共通の年間パスがあるらしい。このパスを紹介しているウェブサイトはヘブライ語のウェブサイトなので、国立公園のチケット販売所で聞いてみるのがてっとり早いだろう。
とりあえずこの公園の入場料金だけを払い園内へ。木造の陸橋を渡る。これは公園周辺に、まるで日本の城のような空堀があるため。この城壁は1251年にマルヌーク朝の攻撃に備えて十字軍によって築かれたもの。
城壁の入り口はここ。
入り口の中は、
かなり広い空間が広がる。
正面からまっすぐ海へ続く道があるが、見たい場所の閉門時間が迫っているため、
あえて左手に進む。
こんな素敵なアーチをくぐる。このアーチは12-13世紀に作られたものだ。
さらに遺跡を歩くと、
目の前に城壁に上る階段と、
城壁の下に続くトンネルがある。これも12-13世紀に作られたもので、秘密の出入口に続くトンネルだということ。
城壁の広場の下には、
古い遺跡が海に沿って広がっている。
海沿いの遺跡の方向へ進む。
このあたりには、数軒のお店がオープン中。
青々とした芝生では、
ブライダル写真を撮る新婦の姿。
海沿いの遺跡目指して進むと、
ゲートがあった。このゲートをくぐると目の前に海沿いの遺跡がある。このゲートをくぐるには、座っているスタッフに国立公園の入場料金を見せる必要がある。つまりこのゲートの向こうが有料エリアとなっているようだ。このゲートの手前までの遺跡やお店は無料で出入りは自由。
ゲートをくぐると目の前に海が広がる。すぐそこに遺跡が見る。
これはビザンツ朝の総督公邸にあったお風呂「The Governor's Palace Bath」。非常に興味深い遺跡だ。
このトンネルのような建造物は、ミトラ教の聖堂。歴史が非常に長いので、いろいろな宗教なども重なりあっている。
まだまだ遺跡は続く。さすがにヘロデ王がこの地をアテネに匹敵するほど大きな港湾都市を築こうとしただけ規模がある。
カイザリアはもともと紀元前2世紀頃に「ストラトンの塔」というフェニキア人の港町だった。ヘロデ王による増築以来、この町は大いに栄え、ローマ皇帝カエサル・アウグストゥスの名にちなんでカイザリアCaesareaと呼ばれるようになった。
このような美しいモザイクがあちこちに残っている。
遺跡の前は大きな広場。
その広場にこんなモニュメントが置いてある。馬に引かれる馬車。この広場は、当時、chariot racingと呼ばれる競馬のようなものが行われていた競技場だった。
右手は地中海。
左には観客が座るひな壇(観客席がある。)競馬場に一直線にレンガで線が引かれている。
観客席の片隅にあるのは、
地層。この場所が地に埋もれ、発掘される前の様子がよくわかる。
一段高くなっている場所は、
カイザリアが栄えていた時代は、まさにビザンツ時代のピーク時。砂浜のど真ん中にこんなガーデンを作るほど栄えていた。
再び競馬場に戻る。これはchariot racingの競争コースの真ん中の部分。
当時の様子の再現図を見てみると、競馬場の様子がよくわかる。
参照元: Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Chariot_racing
競馬場を過ぎ、丘の上に続く上り坂を進む。
なだらかな坂を上り、右に進むと大きな建造物がある。
ここが入り口。
強固な石造りのトンネルを抜けると、
大きな円形闘技場が姿をあらわす。これが1960年代に発掘されたローマの遺産の一つ。保存状態がよくいまでもコンサートなどに使われている現役の遺産だ。
ちょうどコンサートの準備をしていた。2006年6月にはこの場所で、相撲の海外巡業が行われた。佐渡ヶ嶽部屋の琴欧州関もここで相撲をとっていた。この様子を紹介しているサイトはこちらへ。
会場セッティングをしているスタッフと機材を見てみると・・・「東京」!!??
スタッフの背中にも「東京」の文字。
ドラムセットにも「東京」。あまりにも気になるので、忙しく準備をしているスタッフに聞いてみると、会社名がなんと「東京」。ちょっと微笑ましい・・・・。以前、世界を覇権したSONYがSAMSUNGにとって変わったように、「東京」が「ソウル」になる日も来るのだろうか!?
現在は平和主義に使われているが、ローマ時代にはここで多くの人がライオンと戦わされた。カイザリアにはオール・アキバ村があるが、この村名の由来になったラビ・アキバもここで殺された人の一人だ。
この闘技場は、直径170mの半円形。海からの風向きという自然の音響効果により広い闘技場の隅々まで音が響き渡るように工夫されている。
闘技場と海の間は、
柱などが飾られ、当時の技術を紹介している。
こんな大きな石の棺桶もある。
柱に利用するため繰り抜かれた石材。
なめらかな穴が開いた石材もある。当時の技術力の高さがよくわかる。
石の調達ルートを紹介するパネル。
このエリアの閉門時間はまもなく。なんとか全部見終わり、ひと安心。
再び、競馬場の方向へ歩く。
海岸線の向こうに見える大きな煙突は、火力発電所だ。
美しい地中海に、鮮やかな帆が美しいヨットが浮かんでいた。このあたりの海の下には、海に沈んだカイザリアの港があるのでスキューバダイビングの人気スポットにもなっている。
ちょっと時間がないので、次回へ続く・・・・