この奥の小さな家からキリスト教が世界に伝わった・・・・
この記事は前回の続きです。前回の記事はこちらへ。
イラナ・グール美術館を見た後は、さらにオールド・ヤッフォを散策。
美術館の道路を挟んで反対側にある狭い通路を歩く。道は長くはないが、このあたりも歴史を感じるエリア。
この通路の突き当りが目的地。
美術館から歩いて2-3分で到着。ここは新約聖書にも登場する”皮なめしシモンの家”。場所は、広場から離れた一番奥にある。皮なめしの仕事上、動物の死骸や皮など匂いや人が敬遠する作業が多いためこの場所にある。またすぐそばに海岸があるのは、作業工程で動物の皮を海に浸し,石灰で処理してから毛を剃り落とす作業があるからだ。
可愛い道の標識。ユダヤ人たちは皮なめし職人を見下げる風潮があったが、イエスの弟子の一人で初代ローマ教皇になるペテロは、西暦36年の秋からしばらくの間、このシモンの家に身を寄せ。奇跡を起こしたと伝えられている。
現在は、アルメニア系の家族が実際に住んでいる普通の住居。以前はドアを開けて、中を案内してくれたそうだが、現在では家族が高齢のため見学はできない。
タビタという女性信徒は、良い働きや施しをしていたが病気より他界。人々は彼女の身体を洗って屋上に安置しました。その安置した場所がこの家の屋上です。
彼女を慕っていた一人がたまたまここヤッフォから近い土地ルダにイエスの弟子の一人ペテロが来ていると聞いて、ペテロをこの家まで案内。ペテロは亡くなった彼女に呼びかけ、生き返らせるという奇跡を起こしたと伝えられている。
「ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起きあがった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。ペトロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した。」シモンの家の全景。この屋上で空腹のペテロは空を眺めていると、天から大きな入れ物が下りてきて,その中にあらゆる動物が入っているのを見た。そして神様の声が聞こえる。
(使徒言行録:9章40~43節)
神: 「どれでも好きなのを食べなさい」
ペテロ: 「清くない物は食べません」 (ユダヤ教の食べ物の戒律(コシェル)を守り、清くないものは食べないため)
神様: 「神が清めた物を清くないなどと言ってはいけない」
この押し問答が3回続く・・・・
我に返ったペテロは「今の幻は何だったのだろう」と考えていると、ペトロのもとへ訪問者が来た。
その訪問者はカイザリア(テルアビブから北にある都市)に住むローマ軍の隊長コルネリウスに、「ペテロを招いて話を聞きなさい」という天使のお告げがあり、迎えに来たということ。
当時、ユダヤ人が外国人と交際することや訪問したりすることは律法で禁じられていたが、ペテロはさきほどの幻を思い出し、「どんな人をも清くない者とか,汚れている者とか言ってはならない」と感じ、コルネリウスを訪ね、そこで初めて外国人であるコルネリウスにイエスの教えを伝えました。
「彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」 すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」 こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、「ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」 ペトロは、その人々のところへ降りて行って、「あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここへ来られたのですか」 と言った。すると、彼らは言った。「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。」それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。」この出来事以前は、イエスの教えと言えども、ユダヤ教の一宗派でしかなかった。しかしこの一件から、民族や国籍を問わず”どんな人でも悔い改めれば救われる”という世界宗教としての「キリスト教」が誕生しました。
(使徒言行録:10章10~23節)
シモンの家の奥は、ほぼ行き止まり状態。キリスト教徒の人にとっては、この家はキリスト教の異邦人伝来の発祥地として一度は見てみたい場所だろう。
再びイラナ・グール美術館前まで戻り、階段をのぼる。
階段の横には、フランス軍兵隊さんの案内。
古い家並みを見ながら、短い階段をゆっくり上る。
階段の上にあるのは、広場。
この広場の周辺には、オシャレなレストランが点在する。
この広場がケドゥーム広場。1740年に初めて移民してきたユダヤ人が宿舎を築いた場所だ。
再びフランス軍の兵隊さん。1798年、フランス軍司令官ナポレオン・ボナパルトはエジプト攻略に成功し、パレスチナまで攻め上がってきた。勢いそのまま、ここヤッフォを占領したが、フランス軍陣営ではペストが流行し、多数の死者を出すことになる。
ナポレオンがヤッフォでペストに侵される兵士を見舞う絵がルーブル美術館にある「ペスト患者を見舞うボナパルト」(アントワーヌ・ジャン・グロ作)だ。
この絵についての詳細は、http://www.salvastyle.com/menu_romantic/gros_jaffa.html
ステージのようなものがある。ここでイベントなどがおこなわれるのだろう。
大きな噴水があり、観光客が記念撮影をしていた。入り組んだ石造りの家並みの隙間から、
地中海に浮かぶヨットが見えた。
広場でちょっと休憩。
観光地だったらどこにでもあるスタンド。ここでジュースを購入。
そしてこんなものまで売っていた。左列の下から2番めにイスラエルと日本の国旗バッチがあった。ちょっと嬉しい。
広場のお店の片隅に、
観光案内所がある。
中で無料の地図がもらえる。
広場から階段を上り、高台へ。
この高台にこの地に残る古い言い伝えに基づいて作られた橋があるはず。
それがこの「願いの橋」だ。伝説によると「この橋を渡るものは、星座のサインを触りながら、海を見ると願いが叶う」ということ。
残念ながら、橋は非常に危険なため通行不可。標識によると、あまりにも大勢の人が渡りすぎて、橋が崩落の危機となっているそうです。人類はなんて強欲な生き物なのだろうか!!
下から見る「願いの橋」。確かに華奢だ。
再びケドゥーム広場へ。この広場のシンボル的な存在なのが、
この聖パテロ教会だ。1654年に建造された教会は、名前の通り、皮なめし職人シモンの家に滞在していたペテロ由来のもの。
入り口から早速中へ。
入り口には、聖母子像の絵が飾られている。
そして礼拝堂。
こじんまりした教会だ。
こちらが入り口側の写真。
そして祭壇正面。
祭壇には、イエスではなく、
ペテロがシモンの家の屋上で神からの声を聞いている姿が飾られていた。
教会から海へ抜ける通路がお気に入りの場所。
なんだかタイムスリップしたような景色が広がる。
このような場所があちこちにある。
トンネルを抜けると、
まだタイムスリップ状態。
垂れ下がる緑は、ブドウの木だ。
まるで迷路のような道にギャラリーや
お店も点在。
ここが海側からオールドヤッファにつながる階段。
住居エリアにも関わらず灯台が立っている。
ここがヤッフォ港。紀元前18世紀に開港したといわれる4000年の歴史を持つ港。
現在では、再開発がされオシャレな観光スポットに生まれ変わった。
ここでもマーケットが開かれている。
あちこちに壁画アートもある。アートと一緒にポーズを撮る観光客。
バスカーもいる。
古い歴史とアートが一体化した面白いエリアだ。
港にある小さなモールへ。
モール内のオシャレなショッピングエリア。
通り抜けると、オープンテラスレストランの向こうには、
漁港。現代から3000年前の紀元前10世紀のダビデ王の時代には、ここヤッフォに陸揚げされた輸入品がエルサレムに運ばれた。エルサレムの神殿建築に使われたレバノン杉もこの港から運ばれている。
港を散策。
この界隈には、大きな魚屋さんもある。新居からここまでジョギングをしているので、今度、ジョギングついでに魚を買ってみたい。
大きな倉庫では、
無料で見学できるアート展が開かれていた。
モダン建築の模型が飾られていたり、
家具などもある。
こちらの倉庫は、モダンアートのコレクション。
再び、ショッピングモールへ。
平日は空いているが、やはり土曜日はかなりの混み具合。
レストランもある。
生ジュースのスタンドも・・・。
テルアビブから歩くと40分くらいの場所だが、まるで外国に来ているような楽しいエリア。
すぐ裏には、4000年の歴史もあるので、非常に楽しい。
ヤッフォ港の入江にも、伝説がある。
それがこの岩・”アンドロメダの岩”だ。
ギリシャ神話の英雄ペルセウスは、岩に美しい女性アンドロメダが縛られているのを発見。アンドロメダはエチオピア王の娘で、彼女の母親が自分の娘アンドロメダは海の神より美しいと自慢していたため、海の神はエチオピアの国を荒らしてしまう。これに困り果て、ついにアンドロメダを海の神の生贄にしてしまった。そのアンドロメダが縛られていたのが、この岩と言われている。英雄ペルセウスは、縛られている彼女を助け、彼女を妻にした伝説が残っている。
さらに海岸沿いを歩く。
僕のジョギングコースだが、朝と違い人が多いのでいつもと違う雰囲気。
向こうにテルアビブのダウンタウンが見える。
この周辺はアラブ人地区なので、モスクも点在。
海と町を眺めながら歩くと
時間を忘れる。
ビーチの人出も多い。
歩道で集まっているのは、賭けカードをしている男たち。かなり熱中している様子。
ビーチは10月下旬までオープンしている。
テントで休む人たち。
バスからはアラビックの人々が降りてきた。
この景色は、中東のイメージを変える。
向こうにヤッフォが見える。
なぜか馬がいた。観光用だろうか?
かなり高い場所に上る子供達。
妹が乗るブランコをこぐお兄ちゃん。
ビーチ沿いから自宅へ戻る途中に見た
寿司レストラン。
カタカナが書いてあるが、意味不明。
中華料理レストランより寿司レストランが多い、特殊な街テルアビブ。
イスラエル人は親日家が多いが、日本のイメージを保つように日本政府の努力が必要でなないだろうか。