朝9:00。友人らと車2台でドライブ。土曜日(安息日)の今日は、車がかなり少ない。
テルアビブから1号線をエルサレム方面へドライブ。赤枠の番号の道路は一般道(らしい、不確か)。
緑枠の道路は、高速道路(らしい)。
高速道路の制限速度は、110km/h。
途中、6号線に分岐するがここは直進。ちなみに6号線は有料道路。”6”の左に道路とコインマークがあるが、これが有料道路のサイン。友人Y氏によると6号線のみ有料道路だということ。
1号線を直進すると、一般道433号線になる。1号線でも433号線でもどちらの道路でもエルサレム方面に行けるが、433号線のほうがアップダウンが少なく、排気量の小さい車だとこちらのほうがスムーズにドライブできるそうだ。
しかも途中でこんなものを見ることができる・・・・。
飛行機の残骸だ。これは尾翼。
その他の部品。
これは主翼だ。第二次世界大戦中に墜落した輸送機の残骸とのこと。
テルアビブを出発して25分くらいでModi'inの町に到着。
アパートメントの建設ラッシュで新しい建物がどんどんできている。
町を通過して間もなく、対向車線にチェックポイントがあった。
丘には、先ほどのModi'inの町並みとは雰囲気の違う家並みが見える。
やがて家が一件もないエリアを通過。
丘の上のには、モスクの塔が見える。
これがいわゆるグリーンベルトと言われるエリア。
地図を見ると、国境ではないのに点線がある。左がイスラエルのエリア、右側がパレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区だ。点線の間のエリアが今走行中のグリーンベルト。
ヨルダン川西岸地区は、1948年の第一次中東戦争ではヨルダンに占領されたが、1968年の第三次中東戦争でイスラエルが占領。その後、パレスチナ人による自治区となる。ヨルダンは、1996年にこの地区の領有権を放棄した。
車道をユダヤ教正統派の男性が歩いている。このエリアは西岸地区ではないらしい。
間もなく私達の車線側にもチェックポイントがあった。ここでは一旦停止をして、監視員(イスラエル軍の兵士)からチェックを受ける。
どうやら通過している辺りは、イスラエル軍の管轄地域らしい。イスラエルの国旗がある要塞のような建物は刑務所だ。
この刑務所では、パレスチナ人の政治犯などが収監されているらしい。
さらに443号線をドライブ。両側に壁が続く。再び、パレスティナ自治区・ヨルダン川西岸地区なのか?
監視塔があちこちにある。
イスラエルとパレスティナ自治区の境は、非常にわかりにくい。かなり境が入り組んでいるようだ。
テルアビブから45分くらいで、丘の上に大都市が見えてきた。
右の丘の上には、
洗練された住居が見える。家並を見ただけでここがイスラエルだということがわかる。
背の高いモニュメントが見えてきて、
トンネルを潜る。
まるで東京の首都高速を走っているような道を進む。ただし今日は安息日、車両は少ない。
日本の地方大都市にような街並みが続く。これが世界三大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地エルサレムだ。私が持っていたイメージとは、だいぶ違うが、間違いなくエルサレムだ。
私にとって初エルサレムだが、今日はこの街も通過。
間の前の巨大な建造物は、スタジアム。
その隣にも巨大なアリーナがある。
可愛らしい路上モニュメントもあちこちにある。これが実際のエルサレムだ。
すぐ向こうに背の高いコンクリート製の壁が続く。その向こうにも街並みが続くが、向こうには直接行くことができないようだ。
私達を乗せた車は壁にどんどん近づく。そして壁にあるチェックポイントでイスラエル軍のチェックを受けて、
壁の向こうの町を走る。
間もなく「Welcome to Bethlehem」のサイン。ここがパレスティナ自治のA地区・ベツレヘムであること確認できた。
ちなみにパレスティナ自治区は権限により地区が3つに分けられている。
- A地区…パレスチナ自治政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。2000年現在で面積の17.2%
- B地区…パレスチナ自治政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区(警察権は、パレスチナ自治政府と共同の地区も含む)。2000年現在で面積の23.8%
- C地区…イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。2000年現在で面積の59%
A地区とB地区はイスラエルが全権を握るC地区に包囲されているので、パレスチナ人の移動はすべてイスラエルに監視されている。
パレスティナ自治区の車は、独自のナンバープレート(白地にグリーンの数字)がある。
これが世界で批判の声が数多い西岸地区の分離壁だ。この壁は、イスラエルナンバー(黄色地に黒数字)の車両は自由に行き来できるが、パレスティナの車両は通行不可。車両はもちろん、パレスティナ人の行き来も厳しく制限されている。
強く非難されている分離壁だが、この壁ができて以来、イスラエルの都市で自爆テロ事件の発生件数が激減したのも事実。東西ドイツのベルリンの壁や南アフリカのアパルトヘイトはすでに過去の歴史となったが、この壁は現実の問題。自爆テロとは無縁の地域に住む人にとってこの分離壁は人権無視の厄介物だが、実際に自爆テロがいつ起こるかわからない場所に住んでみると、その思いは複雑だ。
パレスティナ自治区の街並み。これも私がイメージしていた場面とは全く違う。
街にはケンタッキーフライドチキンKFCがある。前回、ナザレでも見たが、なぜかパレスティナ自治区でよく見かけるKFC。テルアビブでは見たことがない。
そしてスターバックスも見つけた!!!・・・・・・が、、、ちょっと違う??
良く見ると、ぜんぜん違うお店だった。商標権も自治なのか・・・・。
パレスティナ自治区のパトカー。三菱自動車の車両だった。
車を駐車場に止める。路上に車を停めることは、いつデモが起こるかわからないので避けたほうがいいらしい。この坂を上り、
左には大きな教会が見える。屋根の上に十字架があるので、キリスト教の建物であることは一目瞭然。
駐車場を警備する警官は、
当たり前のように機関銃を携帯。
他にも警官が数人警備。この教会の警備は厳重だ。2002年、パレスチナ・ゲリラがこの教会に立てこもりイスラエル軍が包囲。包囲は約一ヶ月続く。その間、イスラエル軍はゲリラをかくまった聖職者たちにも必要物資(水や食料など)を十分供給せず、国際的な問題となった。この事件以来、警官の厳重警備が続く。
さすがのイスラエル軍でも教会での戦闘は躊躇したに違いない。しかもこの教会はただの教会ではない。もしこの教会で何かあった場合は、世界中のキリスト教信者が絶対に許さないだろう。
なぜなら、この教会はあのイエス・キリストが生まれた場所として伝えられている教会だからだ。
次回へ続く・・・。