VIA DOLOROSA・・・・悲しみの道・・・・誰もが一度は歩いてみたい道の一つだろう - Today→Tomorrow

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1/11/2014

VIA DOLOROSA・・・・悲しみの道・・・・誰もが一度は歩いてみたい道の一つだろう

ここがゴルゴタの丘・・・・

この記事は2013年12月24日の内容です。
この内容は前回の続きです。前回の記事はこちらへ

エルサレム中心部の日陰部分にはまだ雪が残っている。
 バス停でバス待ちの女性のバックに見慣れたマーク。日本航空のツルマークだ。
 ベツレヘムとエルサレムは10kmくらいしか離れていないので、わりと時間がかからない。
 いつもの駐車場(ヤッフォ門前のショッピングモール地下)に車を停める。平日なので割高料金。休日なら1日20-30シュケル(約600-900円)なのに。
 そしてヤッフォ門。エルサレムにはまだ3-4回しか来たことがないが、だいぶわかってきた。
 ケニアから来た友人一行は、かなり感激している様子。
 お腹が空いているので、まずは細い商店街を抜けて、
 レストランを探す。
 雑貨類を売る商店はたくさんあるが、レストランは探すのが大変だ。
 そして見つけたレストラン。どれも観光客向けの値段とメニュー。
 子供たちも手伝うほど忙しい。
 友人が見せてくれたケニアの紙幣。これは綺麗なお札で、普段使われているのはかなり薄汚れているとのこと。アフリカのお金を初めてみた。いずれ僕もアフリカに住むことがあるかも知れない。
 食事後、再びヤッフォ門を目指して商店街を通り抜ける。
 旧エルサレムはどこもこんな感じの狭さ。初めての時は、これは道を覚えるのは不可能かと思ったが、慣れてくるとそうでもない。
 いろいろなモノを売っている。ユダヤ国家らしい宗教グッズや
 中東らしいアクセサリーの数々。
 そしてスカーフ。
 こんな雑貨の中でも目を引くのが”面白Tシャツ”。とにかく、バカバカしい。
 ヤッフォ門近くのダビデの塔から、
 外壁を右回りに回る。
 アルメニア人地区にある聖ヤコブ大聖堂。
 イエス12使徒のひとり、ゼベタイの子ヤコブが殉教したと言われている場所に建てられてた教会(11世紀建立)。イエスの死後、教団に加わったイエスの弟ヤコブもここに祀られている。内部の見学は15-15半のみ開放されている。
 再び外壁に沿って移動。
 間もなく通るのが、このシオン門。
 こんな狭い門だが、車が通行するので注意が必要。
 シオンの丘に行く道に続くので、シオン門と呼ばれている。1967年のヨルダン領地だった旧エルサレムを巡ってイスラエルとの間に起こった第三次中東戦争の銃弾の跡があちこちにあった。
 シオン門から更に進む。
 やがて前方にケデロンの谷が見え、左前方にオリーブ山が見える。
 そこを道のりに、左に進むと金色に輝くドーム状の屋根(岩のドーム)が見えてくる。
 ここまで来れば、聖地はすぐそこだ。
 ケニアからの友人一行が感激していたのはやはり岩のドームと嘆きの壁。
 嘆きの壁に入る前に、無料レンタルのキッパを頭に載せる。
 そして祈る。決して嘆いているのではない。前回ここに来た時の記事でも取り上げたが「嘆きの壁」の名前は、壁に生えた雑草についた夜露で壁が泣いたように濡れるのが由来。
 腕にロープを巻きつけるのも儀式。
 ひと通り嘆きの壁を案内。今回初めて気がついたのが、嘆きの壁の正面にある建物にある
 この文字サイン。「DAN FAMILY OF CANADA BUILDING」と書かれている。ここにもCANADAがあった。
 嘆きの壁から移動して、アラブ人地区へ。この入口の中に入る。
 トンネルのような商店街を抜けた先に岩のドームがあるが、ムスリム以外は立入禁止。友人は、とりあえず警備員が立っている場所から岩のドームの写真を撮らせてもらった。
 さらに先に進む。

 ずっとこんな道が続くが、
 これから歩くのはこの道だ。
 壁に道の名前プレートがある。
 とりあえず道を進む。
 途中にはお店が何軒か営業してるが、人通りは少ない。
 そしてこの辺りが出発地点。
 これから歩く道の地図はこれだ。(1)から順番に次の番号を目指して歩く。

Via Dolorosa - the way of grief - BibleWalks.comwww.biblewalks.com/Sites/ViaDolorosa.htmlこのページを訳す2012/07/02 - Via Dolorosa ("Way of Grief" in Latin) is a road in the old city of Jerusalem, a path where Jesus was lead in agony, .... the Damascus (Shchem) gate to the Dung (Ha-Ashpot) gate in the south, as seen in the Madaba map.
ここが(1)の地点だ。

(1)エル・オマリヤ・スクール
この学校の校庭には、かつてアントニア要塞があったと言われている。
ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガラリヤ湖周辺で民衆への説教と数々の奇跡を起こしたイエスは自らを神の子と称し、ユダヤ教の律法学者から反感を買うようになった。
 もともとイエスはユダヤ人だが、イエスの説教がユダヤ教の一神教に対する冒涜だとして律法学者たちはこの地方を統括していたローマ帝国総督ピラトにイエスを裁くように進言する。これによりローマ人ピラトは、この学校の校庭にあったとされる要塞でイエスに死刑を宣告する。
 こんな重苦しい宗教史が生まれた学校の軒先では、キンキラギラのギフトショップと鮮やかな赤色のコカ・コーラの広告を掲げる食品店が営業中。
 もう一度、この道が「VIA DOLOROSA 悲しみの道」であることを確認する。

(2)ムチ打ちの教会 
死刑判決を受けた現在の学校から道を挟んで反対側にこのムチ打ちの教会がある。
 この教会はイエスが十字架を背負わされた場所。
 教会の内部は明るく洗練された雰囲気。十字架を背負ったイエスは、この場所でローマ人兵士によってムチ打ちの刑を受ける。
 祭壇のステンドグラスはこの時の様子が表されている。
 ムチ打ちの刑に処されたイエスの頭には、イバラの冠。それを表しているのは天井にある。
 このイバラの装飾だ。
 ムチ打ちの教会の横には博物館があるが、時間の関係でパス。
 当時のエルサレムの立体模型が置いてあった。
 博物館の横にも礼拝堂がある。この祭壇にはイエスが十字架を背負う姿が描写。
 ムチ打ちの教会の出口を出るときに見つけたのは・・・・大きな十字架。「まさか!これをもって歩く体験ツアーか!?」と思ったが、毎週金曜日に修道士らが十字架をもってVIA DOLOROSAを歩く儀式をしているのを思い出した。これはその時に使うアイテムだろう。
 ムチ打ちの教会からVIA DOLOROSAを歩く。
 数千年の歴史を持つ旧エルサレム市街は今も昔も基本的に建物の様子は変わらない。
 この道をイエスが歩いたとは・・・
 突き当りに到着。
 まずはこの小さな入口から。

(3)イエスが最初につまずいた場所
この場所にポーランドのカトリック騎士団が小さな聖堂を建立。
 聖堂の入口上には、十字架を背負ってつまづくイエスの姿がある。
 聖堂の中へ
 祭壇には、つまづくイエスの姿がある。
 出入口の上にも絵がある。
 3番のすぐ横にあるのは、

(4)聖母マリアがイエスを見つめていた場所
 入り口上には、イエスとマリアの親子の姿。
 入り口の奥にはアルメニア人が建立した「苦悩の母マリア教会」がある。
 そしてその入り口横では、
 生ビール販売中。
 再びVIA DOLOROSAを歩く。
 T字交差点に到着。

(5)シモンがイエスに代わって十字架を背負う
 この角でクレネ人のシモンがイエスに代わって十字架を負った。
 この建物には、イエスが手をついた場所とされる箇所がある。
 それがこれだ。
 ここからVIA DOLOROSAは上り階段になる。
 ここからの道は商店街になっている。
 一瞬目を疑ったが、パレスチナのポスターが売られていた。
 緩やかな階段をのぼる途中にあるのが、

(6)ベロニカがイエスの顔を布で拭う
 壁にベロニカの文字が見えた。現在、この場所はベロニカ教会になっている。イエスの顔を拭った布にはイエスの顔が浮き上がったと言われ、現在はサン・ピエトロ大聖堂(イタリア)に大切に保管されている。
 しかし一般には公開されていないため、真偽は不明。女性信者たちが壁に触れて祈っていた。
 再びVIA DOLOROSAを歩く。
 そして突き当りの場所にあるのが、

(7)イエスが二回目につまづいた場所
当時、この場所には裁きの門があったとされ、イエスの罪状はこの門の上に貼り出された。
この門の敷居にイエスがつまづいたと言われている。
 二回目につまづいた場所のすぐ横の階段。この道を進む。
 そしてすぐの場所にあるのが、

(8)エルサレムの娘たちに「泣くな」と語った場所
この場所でイエスはエルサレムの娘たちに向かって「私のために泣くな、自分たち、自分の子供達のために泣くがよい」と語った。
 この場所は聖ハラランボス・ギリシア正教会(現在)の壁で、記念の十字架がある。
 いま来た道を一旦引き返し、再び商店街を歩く。
 こんな商店街の真ん中を十字架を背負って歩いたとは・・・
 非常にわかりにくいが、フレッシュジュース販売店の横にある階段を上る。
 道を間違っているのではと勘違いするほど、人気がない。

 角を曲がりながら、進んで突き当りの場所にあるのが、
 (9)イエスが3度目につまづいた場所
実際に躓いたのは、さらにこの奥の場所と言われている。
この場所は、聖墳墓コプト教会の入り口付近。
 小さな門から広場に入る。すぐそばに聖墳墓教会の十字架が見える。
 この広場では、たくさんの洗濯物が干してある。庶民的でこのような光景は好きだ。
 道をフレッシュジュース屋さんまで戻り、再び坂道を上る。
 道なりに進むと、
 今日、ランチをとったレストラン付近に到着。
 さらに進み、
 わかりづらいが、正面の小さなゲートをくぐると、
 目の前にあるのが、聖墳墓教会だ。そして正面右横にあるのが・・・・
(10)イエスが衣を脱がされた場所
(11)十字架に釘付けにされた場所 
この窓の中にあるローマ・カトリック小聖堂の中でイエスは衣を脱がされ、小聖堂の祭壇でイエスは十字架に釘付けにされたと言われている。
聖墳墓教会の大きな入口の中へ
入り口に入ると、
 正面に見えるのが、
 十字架から降ろされ、遺体に香油を塗り、埋葬されるイエスの壁画だ。
この部屋の右隅に2階へ上る狭い階段がある。
 早速、上る。
 短い行列ができていた、
 その行列が続くのは、この祭壇。
 祭壇の下に潜り込み、祈る人々・・・

(12)イエスが息を引き取った場所
 この場所にイエスを貼り付けにした十字架が立てられた。
 ここがゴルゴタの丘だったとは・・・
 祭壇の下に潜り込む人たち。
 この窪みが、十字架が立てられた場所だ。
 十字架が立てられた場所の隣には、聖母マリア像がある。
 (13)聖母マリアがイエスの亡骸を受け取った場所
 聖母マリア像の上には、息を引き取ったイエスに寄り添う聖母マリアの姿が描かれている。
 この2階から下を見ると、
 1階に下りる。床にある石板に頬をよせて祈る人々。
 皆、真剣な表情で石板に祈りを捧げる
 聖書を石板に当てる男性。この石板の上でイエスの亡骸に香油をつけたと言われている。
 聖墳墓教会の入り口の左側に奥に続く通路がある。
 その先の大行列。
 この祭壇の中に入る人々の長い行列だ。
 (14)イエスの墓
 30分くらい並んで、やっと中へ。
 そしてこれがイエスの墓。
 全長約1kmの道のりは、ここで終わる。
今も変わらない繁華街の中を罪人の汚名を付けられ、十字架を背負って処刑場まで歩いたイエス。
大勢の大衆の視線にさらされ、その中で我が子を見つめた聖母マリアの心情を思うと、とても心が痛い。

VIA DOLOROSAは、ラテン語で「悲しみの道」。
いまも世界中からキリスト教信者と観光客がこの道を歩く・・・

外にでると、すでに日が暮れていた。
 エルサレムの商店街と抜ける途中で見るものは、
 こんなお店ばかり。
 キティーちゃんがユダヤ教正統派の女性が履くスカートを身につけている。



 夜のエルサレムも美しい。
 3大聖地に隣接しているのは、近代的なショッピングモール。
 巨大なサッカーボールのモニュメント
 イスラエルの人気店がほぼ揃ったショッピングモールだ。


 これからテル・アビブに戻るまでに、皆で休憩。
 このイチゴが沢山のったデザートが美味しかった。

  1. RoladinJerusalem - Restaurant Reviews - TripAdvisorwww.tripadvisor.com › ... › Jerusalem Restaurantsこのページを訳す 評価: 4 - ‎24 件のレビュー
    RoladinJerusalem: See 24 unbiased reviews of Roladin, rated 4 of 5 on TripAdvisor and ranked #98 of 417 restaurants in Jerusalem.

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