下って下って下りまくった最終地点にあるのは、水辺なのに木も草も見当たらない巨大な湖・・・・
この記事は2013年12月7日の内容です。
ここはヘルツェリア。テル・アビブ北部に位置する高級住宅地。
ヨットハーバに停泊するたくさんのヨット。
ヨットハーバーに隣接するショッピングモールとホテル。このヨットハーバーには他の国ではあまり見ることがないものもある。
これではなく、
こちら。
警備艇だが、機関砲付きだ・・・・・very Israel。
階段の横にあるのは、
大きなサボテン。
猫もいる。すでにイスラエルに住んで半年近く。カナダでは見慣れない景色がすっかり日常になった。
階段を上るとヘルツェリア唯一のアポロニアビーチが一望。
現在時刻8:30ごろ。すでに皆さん、お楽しみ中だ。
朝早いので、人影はほとんどなし。
いるのは警備員くらいだ。
モール内もご覧のとおり、開店前でひっそりしている。
朝のドライブを終了し、自宅へ戻る。それからすぐまた外出。
車はすでにエルサレム近郊を通過中。
そしてエルサレムの東側へ。分離壁の向こうにある建物はパレスチナ自治区内。
手前にはバラックが見える。
エルサレムを超えてから、ずっと下り坂。
緑もだんだんとなくなってくる。
そして間もなくこの状態。
荒涼とした大地をひたすらドライブ。
車はどんどん走る。このあたりまで、テル・アビブから車で1時間ほど。
沙漠地帯にあるのは、バラックのような建物のみ。あれは沙漠の民ベドウィンたちの小屋だ。
さらに下る。道路の案内標識には「Sea Lebel」
標識の先にパーキングスペースがある。そして青に白文字で「Sea Level」の文字。この文字がある場所がまさに海抜0mだ。
それよりも気になるのが、全く動かないコレ▼
置物かと思ったら、まばたきをしている。そしてすぐそばにはアクセサリー類が並ぶ露店。売主はどこかと思ったら、木陰でゆっくりとくつろぎながら・・・・
スマホでゲーム中。ベドウィンのイメージを根底から覆す光景だ。
パーキングに入って先に見えるのは、
いかにもイスラエルらしい変てこオブジェ。
まわりの景色はこの状態。これでもインターネットがつながるようなので、ネットで仕事をする僕でも仕事をしながら生活ができるかも・・・・
駐車場から、さらに下り坂のドライブ。
「-150」の表示。もちろんこれは、海抜マイナス150mを示す。
さらに進むとやがて山岳地帯から平野が見えてきた。
そして沿道にはお店が並ぶ。
園芸屋さんもある。
そして動かないラクダもいる。
こんな場所でもお店がならび、生活している人いるのか!?
低い丈のナツメヤシは、デーツ(ナツメヤシの実)をとる農場だ。
沙漠の向こうに動くものが見えた。
拡大するとヒツジとヤギたち。
飼い主も見えた。こんな厳しい環境で生活を営む人たちだ。
そして「-300」。ここまで来ると日本の南西に広がる東シナ海の海底(平均水深200m)よりも低い場所。
さらに下る。
案内標識によれば、そろそろこの道も最終地点になる。
向こうに大きな湖が見える。
逆側には雪?
まるで雪のようなだが、あれは塩だろう。ところどころに家が立ち並び、工場も見える。ここが世界の底辺だ。
道はついにT字路に。
場所はここ。
T字路を左に行くとヨルダンなので、とりあえず右折。
ナツメヤシファームやビニルハウスを眺めながらの快適なドライブ。
そして目的地の一つに到着。
こんな沙漠のど真ん中に観光バスが見える。
立派な駐車場にはたくさんの車が停車中。
施設も立派だ。
Qumran National Park-רשות הטבע והגניםold.parks.org.il/.../data_card.php?Cat...parks...このページを訳す2013/08/18 - The uncovering of the remains of the settlement of Qumran, on the northwestern shore of the Dead Sea, and the Dead Sea Scrolls found nearby, ignited the imagination of both Jews and Christians. In addition to the oldest ...
料金所で年間パスポートを購入。一年間有効でイスラエル国内の国立公園と自然保護区に何度も制限なく出入りできる非常に重宝するパスポートだ。イスラエル国内に住所があることが条件なので、観光客は買うことができない。
まずはじめにシアターで映画を見る。
ここクムランに人が住み始めたのは紀元前8世紀ごろと言われ、紀元前2世紀にはユダヤ教の一派クムラン教団(エッセネ派)の信徒がこの場所で共同生活を始めた。
数分間の映画を見た後は、中央のスクリーンが上に上がり、通路が現れる。
スクリーンのすぐ裏にある展示。これが世紀の大発見と呼ばれる「死海文書」の発見の様子を再現した展示だ。
通路を進むと当時のクムラン教団の集団生活を様子を展示したホールに続く。
残念ながら発見された「死海文書」はレプリカのみの展示で、本物はこの展示ホールにはない。実際の死海写本はエルサレムのイスラエル博物館に大切に展示されている。
展示ホールは小さいので、すぐに見終わる。続いて屋外の遺跡へ。
死海文書が発見されたこの場所は、発見後にクムラン遺跡として整備され、いまは国立公園になっている。
通路を歩みながら散歩のような見学。
クムラン教団は禁欲的な宗教団体で、ユダヤ教の伝統や習慣を重んじた修行生活をしていた。下はお馴染みの大きなバスタブ。
ただしこれはローマ風呂とは違い、洗礼など宗教的な儀式に使うお風呂だ。
この遺跡は住居ではなく、集会所。普段の住居は山にある洞窟で暮らしていたそうだ。
そのためここの遺跡には宗教的な設備のみ。
これは陶器を作っていた場所。
当時の作成の様子を示したパネルでわかりやすく説明。
この集会所遺跡から向こうに死海が見える。
死海文書と同時に発見された教団規約により、多くの信徒がここに集まって儀式をしていたことや自給自足の生活、そして協同財産制で統率をしていたことが判明している。
こんな場所で紀元前2世紀に自給自足の生活をしていたとは・・・
この広場はデーツを加工するワークスペース。
この場所でデーツ(ナツメヤシの実)を加工する機器が見つかった。
テントの下では、スペイン語でクムランの説明をしていた。
ガイドが指さしている景色。この山々にクムラン教団の信徒たちが暮らしていて、中央の洞窟・・・。
1947年、この付近を歩いていたベドウィンの子供が偶然、洞窟の中で多くの壺を発見。その壺の中には600を超える巻物が入っていた。
その巻物の中には、ユダヤ教に関するあらゆる文献が含まれていて、当時最も古いと言われていた写本よりもさらに1000年も古いことがわかり、「20世紀最大の発見!」と世界の聖書学会に一大センセーションを起こした。
谷底に人影がみえる。
ほかにも壺がないかどうか、探しているのだろうか?
集会所遺跡のある小高い丘からの眺め。
死海の対岸に見える都市は、ヨルダン国内の街。
紀元前130年ごろに最盛期を迎え、数千人の人たちはローマ軍とユダヤ戦争(紀元前70年代)の時代に滅びた。
今残っているのは、その滅ぼされた後の廃墟遺跡。
当時の集会所の様子はこんなに立派だったようだ。
集会所も人も滅びたが、逃亡のために隠された一番重要な経典は壺の中に残り続け、2000年後に発見されるまでひっそりとこの沙漠の中で眠り続けていた。展示ホール横の木に
鮮やかで可愛らしい赤ピンクの花が咲いていた。
建物の横にあるサボテンには、
落書き・・・これはいけません。
遺跡の隣には、お約束のギフトショップ。
立派なショップがある。
メインに売られているのは、もちろん死海グッズ。
大きな食堂には大勢の観光客。昔のクムラン教団の食堂からはかなりの進歩。
Tシャツ類の種類も豊富。
クムラン遺跡を見た後、再びドライブ。
信号もなく交通量が少ないので、非常に快適だ。
今もクムラン教団当時も変わらないナツメヤシ栽培。
ひたすら死海沿いをドライブ。
海抜マイナス418mの快適で楽しいドライブだ。
ドライブルートの途中にはイスラエル軍による検問所。
検問所を過ぎて、しばらく進み脇道へ。
ここに死海コスメグッズといえばのAHAVAの工場がある。
駐車場には、イスラエルらしい変てこオブジェ。
工場の中へ。
入り口の左にあるのは、まるで雪でできたような塩オブジェ。
奥には製造ラインがある。
右奥には直売ショップ。
直売ショップの奥にスクリーンがあり、AHAVAのPR動画を日本語で見せてくれた。
AHAVA工場から再びドライブ。
すぐそばにビーチがあるので立ち寄る。
ここには観光客向けにAHAVAの大きなアンテナショップが営業中。かなり洗練されたショピング空間だ。
お店の横にあるカウンターで入場料を払うと、
向こうに見える
死海のビーチに行ける。
無料の公共ビーチが、この道の先にあるので、とりあえずパス。ドライブ再開。
見晴らしスポットに見慣れたものがあったので、車を停める。
ここから死海が一望。世界で最も低い土地(海抜-418m)にあるのは大きな水たまり、死海。
人生一度は見てみたかった死海が目の前に広がる。
向こう岸はヨルダン。テル・アビブからもすぐの場所なので、イスラエルをひと通り見たら、今度はあちら側をドライブしようと思う。
それにしてもこの石の置物、近くで見てもカナダのイヌクシュクにそっくりだ。
次回へ続く・・・・