平穏でのどかな農村のようだが・・・いまでもロケット弾が飛んでくる住宅地。60年前には農民一丸になってエジプト軍と戦う Yad Mordechai /これがストラディバリウスの音色か!数億年円のバイオリンの音色の良さは僕には分からないが、演奏は非常に良かったVadim Gluzman & Angela Yoffe コンサート/イスラエルの伝説のパン屋さん?Said Abu Elafia & Sonsのベーグルはオススメですが、ドーナッツはイマイチ!/4000年前の世界最古のアーチ型ゲートを見ても、あまり感動がなくなってきました in Ashkelon National Park - Today→Tomorrow

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1/04/2014

平穏でのどかな農村のようだが・・・いまでもロケット弾が飛んでくる住宅地。60年前には農民一丸になってエジプト軍と戦う Yad Mordechai /これがストラディバリウスの音色か!数億年円のバイオリンの音色の良さは僕には分からないが、演奏は非常に良かったVadim Gluzman & Angela Yoffe コンサート/イスラエルの伝説のパン屋さん?Said Abu Elafia & Sonsのベーグルはオススメですが、ドーナッツはイマイチ!/4000年前の世界最古のアーチ型ゲートを見ても、あまり感動がなくなってきました in Ashkelon National Park

自宅から車で30-40分。
のどかな農村のような集落に飾られているのは、ここに飛んできたロケット弾の数々・・・

やはり世界はクリスマスホリデーなのかテル・アビブの街は観光客が多い。
これは普段生活の光景だが、さっそうと走るセグウェイも多い。
 車でヤッフォへ。ここも大渋滞だった。やはりヤッフォに来るには自転車が一番。
 やっとの思いで車を駐車して徒歩。
 たまにこんなストリートアートを見つける。
 気温は20℃くらいだろうか。昨年まで過ごしていたオタワ(カナダ)とは対照的な冬だ。ちなみにオタワの本日の気温は-23℃。
 安息日の土曜日でもヤッフォならレストランが開いていると思ったが、予想に反して閉店のお店が多い。
 またアートを見つけた。
 結局、レストランは諦めてヤッフォで大人気のパン屋さんへ。
 このお店Said Abu Elafia & Sonsは1880年創業のヤッフォで初めて開店したパン屋さん。

  1. Said Abou Elafia and Sons | Let's Gowww.letsgo.com › ... › ISRAEL › JAFFA › FOODこのページを訳すSaid Abou Elafia and Sons. 7 Yefet St. }03 681 2340. The word“institution” gets thrown around too much by restaurants, but this place is the real deal. Popularly regarded as the best bakery in the country, Abouelafia, as it's commonly known, ...
ドーナッツなどパンの種類も豊富だが、ドーナッツは僕のお気に入りのドーナッツ屋さんの方が美味しい。
 だがこのお店のうりはこのベーグル。ベーグルにお気に入りの具材を挟んで上下を軽く焼く。
オタワの友人Jから聞いていたとおり、めちゃめちゃ美味しく、ボリューム満点。
 ドーナッツ2個とチョコクロワッサン2個、ピザパン?1個と上のベーグル、そして水ペットボトルで合計82シュケル(2460円)。この値段を聞いてボッタクリと思うなかれ、これがイスラエル価格だ。

近くの公園のベンチでの食事を終えて、車は4号線を南下。
 テル・アビブから40分弱でYad Mordechaiというキブツ(集産主義的協同組合の集落)に到着。
場所はここ(緑の矢印)。

大きな地図で見る
この場所にYad Mordechai National Parkがある。


入り口には機関砲が展示。
もともとは第二次世界大戦で使われていたナチス・ドイツ軍の装甲車。終戦後、エジプト軍に使用されていたものだ。
受付建物の奥には戦車もあった。
ヘブライ語のみの説明なので詳細は不明。
公園入口から坂と階段をのぼる。
丘の上には、
機関銃が展示されている。
土のうを積んで作られたバンカー

機関銃とともに展示されているのは手榴弾
トーチカからトーチカへ身を隠すように移動できる通路。
機関銃が照準を合わせる先には・・・・
エジプト軍が攻めてきた。
1948年(イスラエル独立戦争)、このキブツにエジプト軍が攻めてきた。この丘でキブツの住民たちは、エジプト軍の進軍をくい止めるため必至に抵抗した。
この丘から見えるのは、いまは”あの”ガザ地区だ。このキブツから南エリアはガザ地区とイスラエルの紛争のため非常に危険だ。ニュースで放送されなくとも、毎週必ずイザコザが起きているエリアだ。
通路の足元を見ると、アリが動きを止めていた。
小さなアリに混じって、まるで巨神兵のような大型のアリがいた。この世界で生きるのも大変そうだ。
エジプト軍が向かってくる丘から離れて次の場所へ。
キブツの中心部にこんな慰霊碑が立っていた。
若い男性の写真。
そして装甲車。
ヘブライ語なので意味不明。
このモニュメントから小さな丘を上る。
階段の両脇には白いデモールホーセカが咲いていた。
丘の上には破壊された給水タンクの残骸。
当時のキブツの写真。
キブツの真ん中に建っているのが、この給水タンクだろう。
この給水タンクの年代別の写真が展示されていた。
1946年の写真では、この給水タンクの上にエジプト国旗がはためいている。イスラエル独立戦争前、このキブツはエジプトに支配されていたのがわかる。
近くに音声ガイドがあった。ガイドはイスラエルの独立宣言をするベン・グリオン初代首相の声とともにイスラエル独立戦争の様子を紹介。
丘から眺める現在のキブツの住宅。いたって普通の落ち着いた住宅地に見えるが・・・・。
次の場所はキブツ内にある博物館。
博物館前にアロエの花が、
たくさん咲いていた。
今日は安息日なので休館しているようだ。
建物には写真パネルが飾られていた。
1936-1943年、この場所にユダヤ人入植者達によってキブツが作られる。
丘の上に破壊される前の給水タンク。そして楽しそうに遊ぶ子供達と笑顔で見守る母親の姿。
1948-1949年にはキブツが発展していく様子がわかるが、イスラエル独立戦争最中の1948年5月18日にエジプト軍がこのキブツに進軍。女性と子供達はちかくに疎開し、キブツの男たちは持ち前の貧弱な武器で必至に抵抗する。
エジプト軍に400名ちかい死傷者を出すほどの抵抗をしたが、キブツ抵抗者たちも26名が死亡、32名が負傷する。結局、キブツはエジプト軍に制圧された。しかしエジプト軍による制圧からわずか半年後、イスラエル軍がこのキブツを取り返し、再びキブツに戻った入植者達によって今日がある。
現在ではイスラエルとエジプトは和平条約を交わしているので侵略される可能性はほぼないが・・・。
この写真パネルの横には柱に固定されたロケット弾の残骸がある。
2004年から2012年に飛んできたロケット弾の残骸だ。
最近のは2012年11月のロケット弾(2008年イラン製)。このキブツは、ガザ地区から2kmしか離れていないため時折こんなロケット弾が飛んでくるらしい。ここに展示されているのは、ごく一部のみ。あまりにも数が多いので報道されないほどの多数のロケット弾が、現在でもこの辺り一帯に飛んでくる。
近くの家から家族の楽しそうな声が聞こえてくる・・・この住宅地がいまなおロケット弾の脅威にさらされているとは想像もできない。
キブツを離れ、少し北へ向かう。
周りは工業地帯だ。
1992年に建てられたデンマークのCarlsberg工場。
この工業地帯のそばには、1日に33万㎥の淡水を生み出す世界最大級にして世界最低コストで運営されている海水淡水化プラントがある。

アパートメントが多くなり、
街らしくなってくる。
ガザ地区から約9kmしか離れていない場所は、こんな近代的な都市Ashkelon(人口11万人)がある。
街のすぐそばにあるアシュケロン国立公園に到着。
  1. Ashkelon National Park | Israel Travelerwww.israeltraveler.org/en/site/ashkelon-national-parkこのページを訳すIn addition to well-kept lawns, charming shaded corners and a beautiful beach,Ashkelon National Park offers a journey in time into the past of one of the most ancient cities in the world.
園内は非常に広いので、車で移動する。
芝生の上で楽しく遊ぶ家族連れ。
BBQを楽しむ家族。
かなりワイルドなドルフィン駐車場に駐車。
駐車場のすぐそばは地中海だ。
砂浜から階段を登ってくるウェットスーツを着た男性。
大きなモリにぶら下がっているのは、魚が数匹ぶら下がっている。今晩のオカズだろう。
海岸線の様子。
北部には美しい砂浜が広がる。
海岸線に横たわる円柱。
海岸線は城壁になっていた。
岩場には貝殻が無数に落ちていた。
駐車場から再び、車で移動。あちこちに古代の壁がある。
これはBBQケータリング会社の大きな設備。数家族でBBQを楽しむときは、こんな業者も利用できそうだ。
これはセントマリー教会の遺跡。5世紀のビザンチン時代に作られた教会でイスラム帝国時代にも使われていたが、938年にイスラム教徒とユダヤ教徒によって破壊。のちに十字軍によって再建(1153年)された。
また城壁の残骸。
車は駐車場へ。
公園内には無造作に石柱が転がっている。
かなり手の込んだ装飾が施されたものも多数ある。
散歩していると前に遺跡があった。
近くにあったパネルの図。
この場所をラクダが回り、
その動力で井戸から水を汲み上げる構造だ。
同じく散歩していた男性の方には、カラフルなオウムが鳴いていた。
広場に到着。
広場の真ん中にも遺跡があった。良く見るとレンガのようなものが見える。
この広場には今も円柱が立っている。
そして無造作に転がる装飾円柱。
こんな貴重な石柱の上で記念撮影をするカップル。円柱の扱いが雑だ。
広場の奥には巨大な建造物遺跡がある。

床に残るモザイクタイル。当時はこのタイルで床が覆われていたのだろう。なんとも贅沢な作りだ。
そんな遺跡公園もいまでは市民の憩いの場所。
古代の遺跡でピクニックとは、実にイスラエルらしい。
あまりにも数が多すぎて、公園のあちこちに転がる円柱。
水車の遺跡はまるで公園のオブジェだ。
中には綺麗に飾られている遺跡物もあるが・・・・
あまりにも数が多いので、そのほとんどが駐車場の車止めのように雑に扱われている。
また遺跡。
発掘作業の様子。
銅製の遺物が出土したようだ。
また遺跡。
これもラクダ動力の井戸だった。
あまりにも遺跡が多いので、貴重な遺跡よりもこんな木のほうが目にとまる。
根元から倒れたマツが枯れずに生きている。立派だ。
そしてイスラエルにはどこにでもいるカラス。姿恰好があまりにも似ているので僕はこのカラスを「ペンギンガラス」と呼んでいる。
再び海岸線へ。
ビーチには泳いでいる人はいないが、釣りを楽しむ人。
4輪バギー。
そして?? これはイスラエル軍の監視兵だろう。ガザ地区が近いからだろうか。
海岸線から再び丘の上を散歩。
素敵なベンチを見つけた。
ベンチからはこんな景色が楽しめる。
パネルがあった。
砂浜の港の様子。このアシュケロンは海岸に面した港湾都市だったのがわかる。
まるでチューリップのような葉が生えていたが、植物名は不明。
丘の上からアシュケロンの街並みが一望できた。
次は、この遺跡。
ゲートのようだ。
幅2mで長さ15mの通路。
壁から察するにかなり古そうだ。
そして反対側。
このゲートはThe Canaaite City Gateと呼ばれる城門。Canaaiteとはカナン人の意味。この門は約4000年前(紀元前1850年頃)に作られた世界でもっとも古いアーチ型の門。
門に向かって右には、
頑丈な城壁が続く。この城壁は12世紀半ばのムスリムの街だったときに作られたもの。この壁は十字軍に対向するために作られた。
壁にはこのパネルが設置。これは銅製の子牛の像。これは嵐の神様を意味して、これを壺に封じこめて旅の安全を願った。
門の前に咲いていた
透明感の黄色が美しい花。
門の前いあるパネルには、
この遺跡、当時のアシュケロンの街の全景がある。かなり大きな街並みでこの街の繁栄ぶりが想像できる。
この門は上▲の図によるとJaffa Gateにあたる。
アシュケロンの名前は、現在の通貨単位であるシュケルに由来。当時、商業港だったこの都市の名前は重さの単位であるシュケルの名前から名付けられた。

遊歩道にはアシュケロンにゆかりのある人たちのイラストが立っている。
カナン人の絵。紀元前2000-1500年にカナン人が都市としてアシュケロンを作った。
紀元前1200-1000年には海の民と呼ばれたペリシテ人の都市として発展。当時、ペリシテ人はアシュドド、アシュケロン、エクロン、ガザ、ガトの5つの自治都市を主な拠点にしていた。
紀元前37年-西暦324年にはローマ帝国によって統治。
その後、ムスリムと十字軍がこの街をとったりとられたりする時代になり、
最終的にはムスリム人の都市なる。
簡単にいえば、このような都市の歴史になるが、複雑な戦歴なので詳細は省く。

比較的新しい城壁だなと思ったら、この壁はムスリムの攻撃に対向するために十字軍が再建した城壁だった。比較的新しいといっても今から900年前の時代だが・・・
アシュケロン国立公園を見終えて、帰路へ。四国ほどの面積しかないイスラエルには、こんな遺跡公園が国立公園だけでも63もある。
自宅から眺める夕日。エジプトの方向に沈む太陽。わずか300kmしか離れていないエジプトだが何かと遠い国だ。ぜひ行ってみたい国の一つでもあるが、当分、治安問題で行けるような状況ではない。
夜八時過ぎ、徒歩で外出。
ちかくのお店の一面が資生堂の広告だった。
日本人として、やはり嬉しい。
モダンなテル・アビブ美術館の建物。
今晩、この美術館内にあるホールでコンサートがある。
夜20:30開演のコンサートは、ピアノとバイオリンのみのコンサート。
バイオリニストはVadim Gluzman氏(男性)。ピアニストはAngela Yoffeさん(女性)。
Vadim Gluzman氏が演奏するバイオリンは、ストラディバリウス「Leopold Auer 1690年製」だ。
博物館でしか見たことのないストラディバリウスの音色を生で聞けるとは、非常に嬉しい。
今回のコンサートではないが、彼の演奏がYouTubeにアップされていたので、リンクを貼っておく。
バイオリンの音色がどれだけすごいのかは僕には到底わからないが、数億円以上もする高価なバイオリンを貸してもらえるほどのバイオリニストだけあって、演奏はいままでに聞いた中でもトップクラスだった。

今日の曲目は以下のとおり。
演奏終了後、自宅ちかくのカフェ The Streetsで一緒にコンサートを聞いた友人らと食事。
僕のシュニッツェル
これはミートボール
やはりこのカフェは美味しい。

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