つい最近までイメージしていたパレスチナ自治区と違う光景がここにある・・・・
イスラエルに来て、もう2ヶ月。今朝、初めて経験するのが銀行ATMでお金を引き出すこと。
ヘブライ語だけしかないのでは?と思い、恐る恐るタッチパネルに触れるとご覧のとおり。ヘブライ語はもちろん、英語、ロシア語、アラビア語に対応していた。Englishを見て、ドキドキが収まる。今日は土曜日でシャバット(安息日)。バスも電車も動いていないのでタクシーでテル・アビブ北部にあるバスターミナルセンターへ。
ここは1980年-90年代に自爆テロが頻発した場所。その時代だったら、絶対にこの周辺には来ないだろう。
現在は自爆テロも落ち着いているが、このバスターミナル周辺は今も治安が悪い。
何だかよくわからないマーケットが開いていた。治安が悪いと言っても、身の危険を感じることはない。
タクシーとシェルート(乗り合いタクシー)は、安息日でも営業中。何となく雰囲気が悪いが、治安は特に問題なし。
ここでエルサレム行きのシェルートを探す。英語も通じるので全く問題なし。ただし個人タクシーの勧誘には気をつけること。案の定、個人タクシードライバに「エルサレムまで100シュケルだよ」と声をかけられる。彼を無視して、間もなく見つけたエルサレム行きのシェルート。
シェルートに乗り、車内で料金を払う。ちなみにエルサレムまで片道35シュケル(約1000円)。今日は安息日で割高の料金でも、安い料金だ。
降りる場合は、ドライバーに直接申告するか、天井にある「STOP」ボタンを押す。
シェルートが出発。運転は非常に荒い。高速1号線を快適に走る。
気が一本も生えていない丘を良く見ると、
どうやらお墓のようだ。
テル・アビブを出発して、45分くらいでエルサレムに到着。
車内から外壁に貼られていたポスターを見ると、日本の城が描かれていた。ヘブライ語なので、内容はわからない。
間もなく、終着点に到着。土曜日は、ダマスカス門のそばに到着する。
エルサレムの路面電車も金曜日の日没から土曜日の日没までお休み。
シェルート到着点から徒歩2-3分で、ダマスカス門近くにあるバスターミナルに到着。
土曜日なのに、ここのバスは稼働中。理由はもちろんパレスチナはユダヤ人ではないからだ。
18番のバスが目的地に行くはずだが・・・・
バス停にいたおじさんに英語で聞くと、このバスを教えてくれた。
バス車内で運転手に乗車賃を払う。料金はなんと7.3シュケル(約250円)、非常に格安だ。
ただし値段相応で、車内は非常に汚い。
まもなくバスは出発。
右手にエルサレムの路面電車基地が見えた。
そして東エルサレムの住宅地が広がる。
集合住宅の屋上にある太陽熱温水器をよく見ると、右手の住宅地のは白い温水タンク。
左手の住宅地は黒いタンク。この黒いタンクは、パレスチナ人の住宅のもの。白いタンクは、「イスラエルっぽい」としてパレスチナ人は敬遠するらしい。
路肩に黄色い看板が建っている。書かれている内容は、「パレスチナ自治区内の修理のために(作業)車を渡したり届けたりすることは禁止されています」。
街の看板が、だんだんとアラビア語に。ちなみに今走っているエリアは、まだイスラエル内。
やがて右にコンクリート壁が見えてくる。この壁の向こうがパレスチナ自治区だ。
まもなくイスラエルとパレスチナ自治区の間にあるチェックポイントを通過。チェックポイントはイスラエルが管理。撮影は厳禁なので、写真はない。パレスチナ自治区に入ると、すぐに駐車場がある。パレスチナ自治区の車両がイスラエルに入ることはできない。もしチェックポイント通過するときは、ここで車を降りて徒歩でチェックポイントを通過しなければならないが、パレスチナ人がイスラエル内に入ることはまず無理なのが現状。
駐車場の片隅で、フルーツが売られていた。
パレスチナ自治区側から見たコンクリート壁。
アラビア語で落書きされている。
国連の旗が屋上にはためく建物。
パレスチナ自治区内をバスが走る。
黄色のナンバープレート(左)はイスラエル、右の白地のナンバープレートはパレスチナのもの。
イスラエル内でパレスチナナンバーを見ることはないが、一方、パレスチナ側ではイスラエルナンバーが結構、走っている。
これはイスラエルで見たことがない。いかにもアラビックな光景だ。
大きな電気屋さん。
そして近代的なコンドミニアム。
韓国車メーカーのKIAの販売店があった。韓国車はイスラエルでもパレスチナ自治区でもよく見かける。
これがパレスチナ自治区内の普通の住宅地。
Googleのバナーがあったが、アラビア語もわからないので意味不明。
TOYOTAの立派な建物を見つけた。韓国者に負けず劣らず、日本車も健闘中だ。
ドミノ・ピザ
そして三菱自動車の販売店もある。
これはゴミを散らかすな!という公共広告?
だんだんと住宅地が整然としてくる。
プジョーの販売店もある。
ARAB BANKのATM。
その近くにある園芸店。
園芸店に隣接しているのは、園芸学校の美しい庭園。
だんだんと街がゴチャゴチャしてきた。
そして大きな都市に到着。ここはパレスチナ自治区の行政機関が集まる都市Ramallah ラマッラ。
バスターミナルに到着。
ここでバスを降り、街を歩く。
テル・アビブも賑やかだが、ラマッラはそれ以上かも!?
テル・アビブよりも気温が低いラマッラ。今日も半袖では少し肌寒いくらいの気温だ。
売られている洋服は、いかにも中東っぽいものばかり。
香水専門の露店。
花苗を売る露店。
そしてこの男性が売っているのは、
何かのドリンクかな?
女性が出てくるのは、
ちょっとしたショッピングモール。
ド派手な靴がずらりと並ぶ。50シュケルは日本円で約1400円。
さらに街を歩く。
ラマッラはかなり大きな都市だが、パレスチナ自治区(ガザ地区を含む)にある都市で10位(人口)にも入らない。
僕が持っていたパレスチナ自治区のイメージとはだいぶ違う光景だ。
このショッピングモールはかなりお店が多いし、品数も豊富。
だが20年前の西欧のショッピングモールに来ているように感じる。
驚いたのは、このマネキン。右のヒョウ柄のアラビックファッションもすごいが、左のノースリーブファッションの服が売られているのに特に驚いた。イスラム教徒の女性でも、自宅ではこんな恰好をしているのだろうか?
これも一昔前の光景。
ここにもこんな露出が激しいファッションが売られている。
お菓子屋さんを覗く。
キャンディーと一緒に並んでいるのは、香辛料。いかにも中東だ。
カッコいいお母さんと楽しそうな男の子。
再び外へ。
日用雑貨の露店。
パン屋さんをあちこちで見かける。
美味しそうなフルーツショップ。
ここにもドリンク”男”。
中央広場の真ん中に巨大なライオン像と噴水がある。水が貴重なはずなのに、ふんだんに水が噴き出している。
これもよく見かける植物。何かのハーブだろうか?
走っている車は、グレードが高いものも多い。
とりあえず街中を散策すると、
ベツレヘムでも見つけたあの世界的な珈琲店に非常によく似ている、、、、
カフェ。良く見ると、「&」の文字がついている。
細長い形をしたファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)。
裏通りも賑やかだ。
イスラエルとの境にあるチェックポイントの駐車場で見かけたフルーツがここでも売られていた。まわりでは、甘い香りがする。
広場の真ん中にパレスチナ旗。
なぜかポールを登る”男性の像”付きだ。
日本人でこのパレスチナの街並みを知っている人は少ないだろう。
やっと見つけた観光客のカップル。
かなりカッコいいアラビックファッションに身を包んだモデル。
そこで売られている露出の激しい服。そしてそれを包み隠す典型的なアラビックファッション。
さらに裏通りへ。
いろいろなイベントに使われる劇場を発見。それよりも気になったのが、劇場の前にある、、、、
このお店。似ている!すごく似ているがサンドイッチを売っているわけではなさそうだ。
さらに散策。
たくさんの靴が並んでいる。
おじさんが大切そうに運んでいるのは、
コーヒー?? この一杯は、いくらするのだろうか?
この真ん中のお店の店名も気になる。
花屋さんを見つけた。
さらに散策。
小さなモールの入口。
ここで売られている服もこんなファッション。いう間でもなくここは、イスラム教エリアなのに・・・。
ちょっとレトロなエレベーターが上下していた。
このあたりで走っている車は、テル・アビブを走っている車より高そうだ。
門が閉まっている庭園の向こうに、、、
教会のような建物が見える。ここは、Quakerの宗教施設。北米フィラデルフィアでよく見かけたクエーカーがパレスチナ自治区でも活動していたとは、驚きだ。
さらに歩く。
何だかとてもオシャレな小路。
エステサロンの看板が多い。
体の線がはっきり出る細身の服を売るアパレルショップ。そして壁には、アラファト議長のポスター。天国で彼はどう思っているのだろうか?
パレスチナ人の女性はみなとてもオシャレだ。
機関銃のおもちゃを肩に下げる男の子。
頭にモノを乗せ運ぶ女性。
真っ黒な洋服だが、シャネルなどブランド品も多い。
これもよく見かけたバターコーンを売るスタンド。僕が大好きな食べ物のひとつだ。
この後、タクシーで移動。車内で見つけたラマッラの観光案内所。
たまたま前を走っているのは、国連の車。
こんな家具屋さんもある。
タクシーは、住宅地へ
駐車場の上にぶら下がっているのは、美味しそうなブドウ。
これも個人邸宅だ。
立派な家もよく見かける。
モスクからイスラム教独特の歌が聞こえてきた。
タクシーで10分くらいで知人宅に到着。入口にあったこのプランターが美しい。
知人宅のバルコニーからの景色。非常に美しいパレスチナ自治区の景色だ。
丘を下った向こうにうっすらと巨大都市が見える。かなり近くに思えるこの大都市は、なんとテル・アビブだ。
夜になると、このバルコニーからテル・アビブの夜景が見えるそうだ。ただしパレスチナ人は前述のとおり、イスラエル内に入ることはできない。この目と鼻の先のような夜景を見ることはできるが、行くことはできないのが現状だ。
これはパレスチナ産ビールのTaybeh Beer。1994年に創設された新しいビールメーカーでエルサレムの北35kmの場所にあるTaybehで作られている。僕はアルコールを飲まないが、日本人の友人によると非常に美味しいとのこと。
これは暖房機。ラマッラは冬になると底冷えするくらい寒く、そのため暖房機が必須。ただパレスチナ自治区内は燃料費が非常に高いため、この暖房機を付けっ放しにすると一ヶ月で12万円くらいの光熱費になるとか。
パレスチナ自治区で生活するのもなかなか大変そうだ。
これはパレスチナの新聞。トップ記事は占領政策を薦めるイスラエル軍の記事。先日、パレスチナ自治区内にあるベドウィン(砂漠の遊牧民)の仮住居(バラック)がイスラエル軍により強制的に撤去された。
理由は、「不法建築」。
一面の写真は地面に伏せた女性とイスラエル軍の兵士たち。何とこの女性は、フランスの外交官とのこと。これは国際問題に発展するようなできごとだ・・・・・と思いつつ、後日、YouTubeでこの写真の撮影直前の動画がアップされていた。
いくらなんでも、これはダメだろう!
ただしイスラエル軍がパレスチナ住民を強制的に排除したことは事実。これは世界からもかなり強く非難されている。
そしてさらに気になったのが、この写真。強制撤去された集落に落ちていたパネル。そこには「The Government of Japan」の文字が書かれていた。日本政府がこの集落にも援助をしていた証拠だ。
いろいろと意見はあるが、ここでコメントすることは控えます。
知人宅周辺を散歩。右の柵内で、遺跡が発見されたらしい。このあたりには、遺跡が山ほどある。
向こうの山の斜面には、オリーブの段々畑。
反対側には、建設中の住宅。
これはパレスチナの学校。ちなみに学校は毎週金曜日と日曜日がお休み。なぜ土曜日ではないのか?と聞くと、「土曜日に休むイスラエルを敬遠しているため」とのこと。
会社も同じような休日らしい。「連休がないので、あちこち遊びに行けないのでは?」と聞くと、パレスチナ自治区はまわりをコンクリート壁で囲まれているため、連休でも遊びに行けるところないらしい。遊びに行ったとしても車で1時間くらいでコンクリート壁。これではバケーションは必要ないのだろう。非常に閑静な住宅地に到着。
イスラエルとパレスチナ自治区の平均所得差は非常に大きい。1説によると、パレスチナ自治区内の平均所得は年間20万円ほどとのこと。多くの日本人が持つイメージのパレスチナ人の生活困窮ぶりはこんなデータが基づいているのだろう。確かに貧しい人たちも数多いと思うが、中にはこのような地区に住む人もかなりの数がいるらしい。
知人によると、この地区に住む人の所得は100~200万円くらいらしい。「年収100~200万円でこんな立派な家に住めるの?」と聞いたら、知人が笑顔で曰く「年収ではなく、月収だよ」と・・・・。
ラマッラはパレスチナ自治区内では10本の指にも入らない規模の都市だが、やはりリッチな人は多い。
現在の日本人の平均年収は300万円台と言われているが、それ以上の給与でも向こうの山の住宅に住むことは難しいだろう。「日本だったら、平均年収でも地方都市に行けばあのくらいの家には住めるのに!」とボヤく。
知人宅での楽しい一時を終え、エルサレムへ向う。幸いにも帰りはエルサレムまで知人が車で送ってくれた。ラマッラの街並みを見ながらのドライブ。
パレスチナ自治区のイメージは、今回の知人宅訪問で一変。大変な場所も数多いが、こんな街もたくさんあるらしい。
これも個人の邸宅。このパレスチナ自治区もイスラエルと同じように世界に散らばる同胞からの支援が多い。
だんだんと街が寂しくなってきた。僕が持っていたパレスチナ自治区のイメージは、これよりもさらに荒廃した街並みだったのだが・・・。
まもなくコンクリート壁が見えてきた。この壁の向こうはイスラエルだ。
チェックポイントを通過して、エルサレム近くをドライブ中になんと、
雨!!イスラエルに来て以来、初めての雨を経験。なんだかとても嬉しかった。
エルサレムのバス停は日没とともにシャバット(安息日)も明けて、バスが動き始めた。
窓口は閉まっていた。カウンターの上にある写真に注目。
雪が積もるエルサレムの写真。これも中東のイメージをガラリと変える光景だ。エルサレムでは、雪も降るらしい。積もることはめったにないが、このようになることもある。
テル・アビブ行きのバスが発車時刻を待っている。設備と清潔度はパレスチナ自治区のバスと比べると、天地雲泥の差だ。
バスの床下には荷物も積める。これなら折りたたみ自転車も載せることができるだろう。
定刻通り、エルサレムを出発し、
45分後には、テル・アビブに到着。美しい近代的な高層ビルは、さすがテル・アビブだ。しかしながら、ラマッラもイメージよりもかなり立派な都市だった。
テル・アビブは夜眠らない都市と言われているが、ラマッラはどうなのだろうか?
家路を歩いている時に気がついたが、テル・アビブでは雨の形跡がまったくない。
この街に雨がふるのはいつなのだろうか?