ボストン南部のフォール・リバー、ハワイのパールハーバー、ピッツバーグのオハイオ川、広島県呉市の鉄のくじら館、ニューヨークのマンハッタン、そしてこれがイスラエルのハイファで見た6隻目の潜水艦・・・・
この記事は8月27日の内容です。
今日はイスラエルに来て、初めて電車に乗る。
まずは、Israel Railwaysのホームページで鉄道マップをチェック。乗る駅はTel Aviv Ha Shalom駅。
英語のサイトがあるので便利だ。
下りる駅は、ハイファ Haifa駅。念のため、Haifaのヘブライ語もチェックしておく。万が一、英語表記がない場合は、ヘブライ語で判断しなければいけないためだ。ホームページでは、列車の検索もできる。Tel AvivからHaifaまでは20ー40分間隔で鉄道が運行していた。
これらをメモの代わりに写真に収める。
自宅から駅に向かう途中にあるジャーマン・コロニーの再開発地で、
AKIKOという寿司バーが建設中だ。テル・アビブは、中華レストランより日本食レストランのほうが多い、世界でも珍しい街。また新しい日本食レストランができる。僕は、中華料理のお店も増えてほしいと願っているのだが・・・・
Tel Aviv HaShalom駅に到着。
駅の入り口では、空港と同じように荷物をX線にかけて、人は金属探知機ゲートを通らなければならない。鉄道に乗るだけなのに、この警備態勢。これも世界でも珍しい光景だ。
初めての駅。非常にワクワクする。
ホームで列車待ちをしている間にも次々に列車が到着。
この2階建て列車に乗ってみたい。
あちこち写真を撮っていたら、警備員に声を掛けられた。僕が日本人だとわかると、普段話をして去っていく。日本人で良かった。
ハイファ行きの列車が到着。残念ながら、2階建て列車ではなかったが座席に座っただけでかなり満足。ハイファまでは往復で55シュケル(約1540円)のみ。かなり割安に感じるだけでなく、列車はまるで日本の特急列車のような雰囲気。
WiFiも常備していて、
電源プラグもある。
おまけに英語での駅名表示付き。
もちろんヘブライ語の表記もある。そしてトイレ付き。これならヘブライ語がまったく読めなくても、まったく問題ない。
あと気になったのは、自転車が積めるかどうか。通勤時間帯を避ければ、折りたたみ自転車を載せることができる。
これなら目的地に自転車を持って行って、自由に動き回れそうだ。イスラエルは小さな国なので、街では自転車が大活躍。これがオタワ(カナダ)なら、買い物に行くのも数十キロだ。
約一時間後、列車は目的駅に到着。
車両とホームの隙間は、列車から出入口の床が飛び出す仕組みで安全性を高めていた。
ハイファ・バト・ガリーム駅の正面出入口
駅から歩いて、海岸を目指す。
住宅街を抜けると、
海が見えてきた。
そして砂浜 バド・ガリーム ビーチに到着。
テル・アビブのビートと比べると比較にならないくらい小さな規模だが、海の向こうに大型タンカーがいることを考えると、港の規模はかなり大きそうだ。
ちなみにこのビーチの場所はここ。こうしてみると、日本からかなり離れた場所にいるなぁと思う。
「地球の歩き方 イスラエル」で紹介されていたプロムナード・・??
非常に寂しい。いかにもイスラエルぽい休憩場所がある。
海の一部がエメラルドグリーンに輝いていた。
岩場なので釣り人はいるが、泳いでいる人はいない。
砂浜があるが、海藻が流れ着いていた。
大きな観光設備。
山の上に行けるロープウェイがある。
形が非常にユニークだ。この山には人気観光スポットのエリヤの洞窟と修道院がある。
ただし今回、この観光スポットはパス。線路を通り過ぎ、高速自動車道をまたぐ陸橋の下には、
潜水艦の残骸がある。前回、ハイファに来た時に車からこれが見えたのでなるべく早くここに来たかった。
展望塔には、「 77-צ 」の数字とヘブライ語。この潜水艦は元々イギリス海軍所属。1967年11月にイスラエル軍船籍になり、1968年1月9日にイスラエルに向けて出航。そして1月25日未明に消息不明となる。
以後、懸命な捜索虚しく行方不明のまま。その後、30年を経過した1999年にキプロス島付近で発見された。沈没した原因はいまだ不明。
歪んだ展望塔。
事故かもしくは戦闘によるものなのか・・・。潜水艦乗りの知人が、映画でよく見る「ピコーン、ピコーン」というソナー音が潜水艦内で聞こえたら、もう終わりだと言っていたことを思い出す。この展望塔が展示されている場所は、非合法移民・海軍博物館 Clandestine Immigration and Naval Museum。
Clandestine Immigration and Naval Museumwww.amutayam.org.il/このページを訳すקישור למורשת חיל הים. מועדי אזכרות. תאריכון. גלעד לזכרם - אתר ההנצחה לחיילי חיל הים. מפעלי הנצחה. קהילה עסקית. מיזמים עסקיים. אינדקס עסקים. גלריה. לוח אירועיםGoogle+ ページ · 最初のクチコミを書こう
דרך אלנבי 204 חיפה, イスラエル |
博物館内は、どことなく地方の寂れた展示室のような雰囲気。
1948年にテル・アビブで勃発した海戦。独立を目指すイスラエルと中東アラブ諸国との戦争の一端で起こったテル・アビブ付近での海戦を説明するパネルだ。この第一次中東戦争に勝利したイスラエルは、その後、独立国としての地位を固めることになる。
船の機材がたくさん展示されている。
これは船の速度を測るログ。左側の小さなミサイルのような器具を海に入れ、くるくる回転する早さをメーターで測って速度を確認する。
航海には欠かせない平行定規とデバイダー
これは方位を測るコンパス。
そしてクロノグラフ。船の揺れや温度による狂いを最小限に抑えた高精度のゼンマイ式時計。
天体観測をする六分儀。
1948年10月にイスラエルをさんざん苦しめた火薬を満載したボート。敵にボートごと突っ込み爆発するボートだ。人間魚雷とは違い、爆発する前に操作員は船から避難する仕掛け。
上の自爆ボートの模型。
続いて、マシンガンを携帯した水中活動をする兵士。
アクアラングと
腕時計。
テーブルの上には、水筒サイズの爆弾。
水中で隠密行動をする兵士たちが、この爆弾を船底に仕掛けて船を沈没させていた。
まだまだ続く、展示の数々。
潜水行動で戦闘任務中の兵士。
ミサイルの姿勢を制御する電子機器。
続いて、船の模型展示。
潜水艦の模型もある。
大きな鉄製の筒がある。これも兵器かと思ったら、
2002年1月にパレスチナに密輸しようとした兵器の容器だった。対戦車ミサイルなどの兵器をこの容器に入れ、海に投下。海に投下されたこの容器を探し、武器を密輸する計画だった。
計画は失敗に終わり、イスラエル軍によりこれらの武器は接収された。
大きな船の下にも展示がある。
ここからは非合法移民に関する展示。
この船PATRIAはイスラエルから国外追放処分を受けた移民を乗せるための船。イシューブ(イスラエル建国前からパレスチナ地区に住んでいたユダヤ人の共同体)の決議により国外追放処分となった216名
の移民は思いがけない事故でこの船とともにハイファ港の海に沈んでしまった。
ハガナー(かつてのユダヤ人による軍事組織でイスラエル国防軍の基礎)によって作られた3隻のボートのうちの一つ。パレスチナ地区に入植してくるユダヤ人に脅威を感じたアラブ人は1920年になると、各地で暴動をおこす。これを受けて、ハガナーが結成された。
収容所の非合法移民。
壁画も展示
戦車に先導される非合法移民。
兵士が機関銃で威嚇する姿。
拳を上げる民衆。これは非合法移民なのか、昔から住んでいるユダヤ人なのか、不明。
バナーを掲げる非合法移民?、または非合法移民に講義する民衆?これも不明。
非合法移民が作ったオーナメントの数々。
頭上の船のスクリュー
屋外に出て、非合法移民の展示の上にあった大きな船を見学。この船は非合法移民船。もともとはカナダ軍の揚陸船だ。
この入口から船内へ。
1947年9月17日、ポーランドからの難民434名を乗せて、イタリア西海岸付近から出航。大きな船だが、400名以上が登場すれば、かなり手狭だ。この船がパレスチナ(現イスラエル)に向う初めての移民船。
非合法移民がこの船で寝泊まりする様子を再現されている。
9月26日、パレスチナから15マイルの海域でイギリスの軍艦により行き先を阻まれる。移民には催涙ガスが使われるなどして、移民の死亡者1名(負傷者9名)を出す。結局、移民船はキプロスに停泊させられた。その後、この船はイスラエル軍船籍となり、移民船として活躍する。
大きな船だが、操縦室はいたってシンプル。
船長はこの窓から非合法移民を乗せて、イスラエルに向かっていた。
海図はもちろん、地中海。
この移民船の甲板から巨大な潜水艦が見える。
移民船から下り、潜水艦へ移動。
魚雷発射を再現しているのが、印象深い。
潜水艦を潜航させる魚のヒレのような舵。
船底から艦内を見ることができるようだ。
これが中の様子。思ったよりも、スカスカだ。
展望塔を横から見る。
潜水艦の中はもちろん見学可能。この潜水艦はガル型潜水艦。もともとはドイツの206型潜水艦で、イギリス海軍から譲り受けた船だ。
船尾から中に入る。
入り口はエンジンルーム。この潜水艦は通常動力型潜水艦。巨大なディーゼルエンジンが見える。
狭い通路を歩く。
非常に狭い通路の左右に計器やスイッチがびっしり。このゴチャゴチャ感が大好きだ。
床は見学できるように透明パネルが設置。奥には、蓄電池が見える。海上航行中にディーゼルエンジンで発電機を回しこの蓄電池に充電。潜行中はこの蓄電池でモーターを動かし船を航行させる仕組みだ。
このパネルはモーターを制御する装置。
これが船を操る機器類。
潜航/浮上をするため空気を入れたり出したりするバラストタンクを制御するコントローラー
どれがどれだか分かるのだろうか?
深度をキープしたり、変更したりするコントローラー
そしてコレが潜水艦のトップシークレットのひとつ、深水計だ。潜水艦が深さ何メートルまで潜れるかは、潜水艦の最高機密の一つ。
続いて潜水艦の司令室。
海図で潜水艦の位置と方向をチェックする
潜望鏡だ。
司令室の隣の狭い空間には、水洗式のトイレが見える。
緊急事態が発生した時に潜水艦の位置を知らせる装置のレバー
これは魚雷の制御用コントローラー
司令室のすぐとなりは、館長室。かなり狭い。
となりはキッチン。
レンジもある。
狭い通路を前方に進む。
左の個室は士官室。
このベットは船員用だ
船員用ベットのすぐそばに、魚雷発射管がある。
これで終了。潜水艦の後部へ。潜水艦の上下左右の3次元航行に必要な舵は十字型。
これも潜水艦の最高機密の一つのスクリュー。スクリューに接する水の音をいかに防ぐかが、潜水艦の隠密行動に極めて重要。そのため、スクリューの形は、トップシークレット扱いになっている。
潜水艦の他にも、様々な戦闘艦が飾られている。
非常に大きな軍艦もある。
この階段から内部を見学できる。
中に入ると、
ベットルーム。非常に寝心地が悪そうだ。
潜水艦から見ると、非常にゆったりとした空間。
司令室。
巨大なエンジンルーム。
エンジンを制御するコントローラー
船尾は、再びベットルーム
甲板にでる。
ドアが開いていたので、再び艦内へ。
左に入るとすぐにトイレ。
右手はキッチンだ。
奥は艦長室。
艦長室の個室トイレ
前方の甲板からレーダー類を見ると、
日本の無線メーカーKENWOODの文字があった。F1にも搭載されているケンウッドの無線機器は、イスラエルの軍艦でも健在だ。
甲板前方から、潜水艦の後ろ姿を見る。やはり潜水艦の方が、いい!
この巨大な軍艦のスクリューは4つ。シャフトが細いので、魚雷なら簡単に破壊できるだろう。
機関砲もある。
潜水士の減圧症(潜水病)を防ぐための減圧室。潜水による水圧により高圧状態にあった血管が、浮上により減圧されると高圧状態で溶け込んでいた窒素が血管内で気化してしまう。血管に気泡ができると血液がスムーズに流れなくなり、重症の場合は呼吸器障害を引き起こす。
船舶のレーダーも展示・・・というか、置いてあるだけの状態。
中規模の船。
そして機雷。
マンガに出てきそうなミサイルもある。
アメリカで作られた対テロリスト用のボート。
一方、こちらはテロリストが使っていたボート。上の対テロリスト用のボートとの見分けがつかない。この船はテロリストがイスラエル中央の海岸付近を攻撃した際に使われた。
1956年10月31日、第二次中東戦争でエジプトの駆逐艦との交戦中に受けた銃弾の跡。他にも魚雷や
機関砲がたくさん展示。
これは三連装ガブリエルミサイル発射機。1973年10月7日、第四次中東戦争におけるイスラエルとエジプト・シリア間で勃発したラタキア沖海戦で、イスラエル軍は、ガブリエルによりシリア軍艦艇を撃沈。この戦闘ではイスラエルのミサイル艇がシリアのミサイル艇と交戦し、シリア艦艇5隻を撃沈した。
この戦闘では約50発のガブリエルが発射されており、シリア側も対艦ミサイルP-15を発射していることから、これが、世界初の対艦ミサイル搭載艦艇同士のミサイル戦とされる。
これは自爆ボート。第二次世界大戦でイタリア海軍が使用していた兵器。1967年に現役を引退。
これもイタリアで使われていた特殊潜航艇。イスラエルはこの潜航艇をイタリアから購入して使用していた。
この大きくてマンガのようなミサイル P-15 テルミート 対艦ミサイル(SS-N-2“スティクス” 全長6.5m)は、世界ではじめて実戦で軍艦を沈めたミサイルとして知られている。1967年10月21日、イスラエルの駆逐艦エイラートは他のイスラエル海軍艦艇とともに北アフリカ北東沿岸を哨戒中、地中海沿岸シナイ半島のポートサイドでエジプトのミサイル艇が放ったこのミサイルにより、沈没。
駆逐艦が小さなミサイル艇の発射した対艦ミサイルに撃沈されたのは世界で初めてのことだった。この戦果は対艦ミサイルにさほど注力していなかった西側諸国にも衝撃を与え、これ以降、ミサイルや対抗策の開発が活発化することになった。
駆逐艦エイラートを仕留めたエジプトのミサイル艇は、その後、イスラエル空軍の攻撃で航行不能になり降伏。だが第三次中東戦争でイスラエルに負けたばかりのエジプトでは、小さな船でイスラエルの軍艦を仕留めたことに歓喜が沸き起こる。これに激怒したイスラエルは、67時間後にスエズ運河にあるエジプトの精油所を攻撃。エジプト全土の80%をまかなう3つの製油所のひとつを破壊し、エジプトの市民生活に大打撃を与えた。
兵器のすぐ横で可憐に咲くプルンバーゴの淡い青い花たちが、今日はさらに美しく見える。
次回へ続く・・・・