展示中の鉄道車両は戦利品と補償品ばかり!?イスラエルの鉄道博物館は、いままで見た中でも特異な歴史を持つ車両ばかり at Israel Railway Museum/最も特異で、実にイスラエルらしい防護車両の中で見たものは、小さな車両に乗せられた「人間の盾」!!/ハイファの街はユニーク。丘にはあまりにも美しい庭園が続くバハーイー庭園。そして、キューバで見た朽ちたような住居とその近くにある超近代的なビジネスビル。超ハイテクなバス運行システムもある - Today→Tomorrow

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9/16/2013

展示中の鉄道車両は戦利品と補償品ばかり!?イスラエルの鉄道博物館は、いままで見た中でも特異な歴史を持つ車両ばかり at Israel Railway Museum/最も特異で、実にイスラエルらしい防護車両の中で見たものは、小さな車両に乗せられた「人間の盾」!!/ハイファの街はユニーク。丘にはあまりにも美しい庭園が続くバハーイー庭園。そして、キューバで見た朽ちたような住居とその近くにある超近代的なビジネスビル。超ハイテクなバス運行システムもある

あちこちの鉄道博物館を見て回ったが、この車両は実にイスラエルらしい・・・・

この内容は8月27日の内容です。

潜水艦を見た後は、ハイファのダウンタウンへ向う。
 途中、大きなサッカースタジアムの横を通過。
 生活雑貨のお店と
 食料品スーパーも通過。
 これはバス専用レーン。ハイファには、完成したばかりの最新のバス運行システムMetronitと呼ばれているバス運行システムがある。
 このバスレーンに埋め込まれている磁気にそってバスが運行するシステムを採用。バスを見るために、しばらくバス停で待っていたが来なかったので先に進む。
 ハイファのシンボル的な存在といえば、
 バハーイー庭園。いつ見ても美しい。今度は夜景を見てみようと思う。
 ランチタイムなので、この中華レストラン Yan-Yan Chinese Restaurantで昼食。
  1. Yanyan.rest-e.co.ilwww.yanyan.rest-e.co.il/このページを訳すThe Wong Family arrived in Israel from China in the 1970's, and settled in Haifa. In 1984, after years of assimilating into Israeli society, the family opened a restaurant in the Lower City. The restaurant was called SiNi, named after their two ... 
本日の開店間もないので他のお客はいなかったが、テーブルについてまもなく、ぞくぞくとお客が来店。
 今日のランチは、豚肉を使ったチャーハン。日本なら500円くらいで食べれそうだが、イスラエルではこのランチでも1000円くらい。味は、やはりイマイチ。「地球の歩き方 イスラエル」でも紹介されていたが、ちょっと残念。イスラエルにある中華レストランで美味しいところはあるのだろうか? オタワにあるカフェ・オリエントという抜群の中華レストランを思い出す。
ランチ後、ハイファ港へ。港に向かう道に、各国の要人やら何やらのパネルがある。
 大きなクルーズ船がちょうど出航をしていた。ハイファにはギリシャなどからクルーズ船が寄港する。
 何度見ても、へんなモニュメント。
 この辺りの景色は、まるでキューバのハバナのようだ。
 かなり寂れた墓地は、キューバよりも・・・・。
 こんな光景をあちこちで見かけるが、
 こんなモダンなオフィスビルもある。これはキューバでは、ありえない光景だ。
 そしてハイファのバスが来た。連結バスだ。オタワのOC-Transpoよりもモダンなデザイン。
 このバスはハイブリット車でもある。
港に沿って歩いていると、左手にモニュメントが見えてくる。
 蒸気機関車のレリーフ付き。
 そのモニュメントを通り過ぎるとまもなく、左手に駐車場に入る道がある。
 場所は鉄道路線のすぐ横。
 歩道橋に黄色に黒字でRailway Museumと書いてある。
 歩道橋を渡り、線路の反対側へ向う。
 すぐ下には列車が見える。
 架線がないので、みなディーゼル機関で動くようだ。
 線路を渡ると、右手に倉庫のような建物がある。
 これがイスラエル鉄道博物館 The Israel Railway Museumだ。

  1. Israel Railways - The Israel Railway museum - רכבת ישראלwww.rail.co.il › Home Page › Funこのページを訳すThe Israel Railway Museum provides an historical overview of railways in the Holy Land and their part in the development of the country from the first line between Jaffa and Jerusalem opened in 1892 under Turkish rule, through two World ...

さっそく中へ。この鉄道博物館は、まるでキューバのハバナにある鉄道博物館のような雰囲気。ハバナの博物館は残念ながら休業だったが、この博物館はちゃんと営業していた。
 入り口の左にある事務所で入場料金を払う。英語が通じるが嬉しい。英語のパンフレットもある。
 屋内には全部で4列の線路がある。まずは一番左のレーンから。
 この車両はSaloon Caach No.98。1922年にイギリスで作られた車両だ。
 パレスチナ鉄道(当時)で使われていたソロンカーで、鉄道会社の社長やV.I.P客、そして政府関係者はもちろん、エチオピア帝国(当時)最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世やベルギー国王夫妻、イスラエル初代首相のベン・グリオンも乗車している。
さすがに豪華な内装。
ちなみに日本でも今年10月に九州でサロンカー「ななつ星」が走る予定。日本の高級サロンカーも気になる。
 廊下は狭いが、すべて木目調で美しい。
 豪華さではハバナで見た大統領専用車料には及ばないが、シンプルで美しいインテリア。

 この部屋は化粧室。落ち着いたグリーンのタイルが美しい。
 もちろん便器もある。
 園となりは、厨房。古い冷蔵庫が歴史をかんじさせる。
 同じレーンにあるのは、1893年にベルギーで作られたこの車両。
 中は貨車かと思うような作り。この車両は救急車両。
 車両内には、当時の写真が展示中。第一次世界大戦の時には、戦争の前線から負傷した兵士をこの車両でエジプトの病院まで運んでいた。
 次は二列目の線路。先頭にあるのは、人力トロリー。
 その次にあるのは、この可愛らしい蒸気機関車(1902年ドイツ製)。
 イスラエルで唯一の現存している蒸気機関車だ。
 その次にあるのは、この車両。ヒジャーズ鉄道で使われていた車両で、シリアのダマスカスから合うじアラビアのメッカまで走っていた。
この車両は、ムスリム聖地であるメッカに向かう巡礼者たちの交通手段として活躍していた。ヨルダン-ヤルムーク渓谷間の坂道のためにブレーキも付いている。
 この交通手段の一番の目的は、オスマン帝国の宗教支配やヒジャーズ地方に対する軍事支配を強めるため、さらにダマスカスとヒジャーズ地方との交易を強化するためでもある。
この車両の内部にはも当時の写真が飾れている。
 このヒジャーズ鉄道は、第一次世界大戦中にイギリスの支援を受けたアラブ勢力により破壊される。
ヤルムーク渓谷にかかるこの橋は二度も破壊された。この写真は1945年にハガナー(イスラエル軍の前身)によって破壊されたときに撮影された。
 これが当時の路線図。この鉄道がいまも残っていたら、中東にどれだけの利益を与えたのだろう。
 続いて3列目の線路。まずはこのディーゼル機関車(1958年ドイツ製)。
 DEUTZ(日本語の発音 ドイツ)と書かれている。この車両はホロコーストによる補償でドイツからイスラエルに渡った。
 運転席が非常に近代的。この機関車は工事用車両として活躍していた。
 次はBrake Van No.1419。1939年ベルギー製でエジプト鉄道で使われていたが、1956年のシナイ戦争のとき、イスラエルがエジプトから奪った車両。
 このディーゼル機関車もドイツ製(1955年)。
 巨大なディーゼルエンジン。
そして近代的な運転席。この機関車もホロコーストによる補償でドイツからイスラエルに来た車両だ。
 続いて最後の4列目。この博物館はイスラエル最大の港湾都市ハイファにある。まずは港についたコンテナを鉄道に載せる大型クレーンの模型。
 次の車両は1970年製のBritish Railways(イギリス)の車両。イスラエル鉄道がイギリスから中古で買った客車だ。
 車内は冷房が効いていて快適。この客車内で当時の鉄道を紹介する動画を上映している。
 以上で、鉄道博物館の屋内展示は終了。
 続いて屋外。屋外の展示は、無造作に車両が置かれているだけ。この客車は1961年にフランスで作られた車両。
 線路の下にあるバラスト(砂利)をメンテナンスする工事車両。
 屋外展示の光景。
 この機関車の説明パネルは見つからなかった。
 1964年にスロベニアで作られた客車。イスラエルの車両は多国籍だ。
 1955年にドイツで作られた発電車。これもホロコーストの補償としてドイツからイスラエルに渡った車両だ。
 このタンク車は、イギリス軍がイスラエルに残した車両。
 ほぼ朽ち果てた木造貨車。
 この工事用車両はシナイ戦争のときにエジプトから奪った車両。
 車内に工具が保管。
 この巨大なクレーン車は、脱線した車両を持ち上げるための車両(1959年ドイツ製)。
 ディーゼルエンジンで重さ30トンまでの車両を持ち上げることができる。
 この客車の説明パネルはなし。
 車内に入ることができた。
 続いてディーゼル電気機関車(1961年ゼネラル・モーターズ製(アメリカ))。この機関車も1967年の6日戦争(第三次中東戦争)でイスラエルがエジプトから奪ったものだ。
  重さ120トンまで載せることができる貨車(ベルギー製)。
 鉄道博物館(入り口)の反対側。
 イスラエル初のディーゼル電気機関車(3台あるうちの一つ)。1998年まで使われていた機関車で動力機関はアメリカ製、車体はベルギー製(1951年)。
 蒸気機関クレーン車(1918年イギリス製)。もともとはイギリス軍の車両で25トンまで持ち上げることができる。
 こちらも蒸気機関クレーン車。30トンまで持ち上げることができるクレーンは、1950年のイギリス製。これも1967年の第三次中東戦争でイスラエルがエジプトから奪った戦利品だ。
 一般的な鉄道展示はこれで終了。
 あとは珍品コーナー。トラクター列車?
 小さなディーゼル電気機関車。
 これもトラクター車。
 そして極めつけは、コレ!
 外に向けられた銃身。
 グルっと回って、 ここが車両の入り口。見ての通り、まるでバンカーのような車両は、見た目通り鉄道員と乗客を守るための兵員車両(1936年製)。
 ここがこの車両の入り口。
 分厚いコンクリート製の壁。
 当時、このようにマシンガンで警備していたのだろう。
 車両内には、警備中の兵士の写真と破壊された車両の写真がずらり。
 その写真の中でもっとも目を引いたのが、この写真。右には、鉄道の上を走る自動車で警備中のイスラエル兵数名。そして、その前にある小さな車輪付きイスに座らされたアラブ人の人質。この写真が撮影されたのはエルサレム付近。当時このように人間の盾を使ってパトロールをしていたそうだ。
 今まで見た鉄道博物館とは、かなり趣がちがうイスラエルの博物館。来た時に渡った歩道橋を再び渡り、向う側にある別館へ移動。
 鉄道に乗ってあちこち見て回るのが大好きだが、

この博物館で、鉄道の歴史は平和利用だけではないことを知る。 さらに続く・・・・


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