いつもと違う夜が始まった・・・・・
いつもどおり、美しい夕焼け。ゆっくりと地中海に太陽が沈んでいく・・・・
日没まであと数分。日が沈むにつれ、月がゆっくりと輝き出す。今日は月の満ち欠けで新月から10日目。今月9月の新月の日は4日だった。その日はユダヤ暦の新年の日。そして今日は、新年の日から10日目にあたる。
ユダヤ暦の新年から10日の今日は、日没と同時にいつもと全く違うことが起こるらしい。こんな巨大都市テル・アビブでそんなことが起こるとは信じられないが、まもなく、それは始まった。
まずはテレビ番組が終了・・・・。イスラエル国内放送はすべて停止。放送されるのはCNNやBBCなどイスラエル国外のテレビ番組だけだ。
そして、外から人々の話し声がよく聞こえるようになる。さらに驚くことに、道路の真ん中を人々が歩き出す。
ベビーカーもご覧のとおりだ。別に道路が工事中、または封鎖されているわけではないのに・・・・。
普段、車が絶えない交差点もご覧のとおり。
日没とともに、走っている車が消えた・・・
テル・アビブの繁華街のひとつ、ディゼンゴフ通りの夜7時半。この光景が信じられない。
レンタル自転車を借りて、あちこち見て回ろうとしたが、
案の定、貸出も中止されている。
なんと、ディゼンゴフ広場の下を子供達が遊びまわっている。
普段、たくさんの車が絶え間なく行き交うディゼンゴフ通りのど真ん中で、スケボーを楽しむ女性。
近くのシナゴーグからは歌が聞こえてきた。ユダヤ暦の新年から10日にあたる今日はヨム・キプル(大贖罪日)。今日の日没から明日の日没までの丸一日がヨム・キプルとなる。
ユダヤ人にとって、この一日は、断食をして、神様に罪の許しを願う祈りをする日。断食だけでなく、水も飲まない、顔も洗わない、歯もみがかない、ひげもそらないなど。ただし、子どもと病人は例外となっている。
敬虔なユダヤ教徒は、白を基調とした服を着る。基本的には毎週金曜日の日没から土曜日の日没のシャバットと同じだが、このヨム・キプルは最も厳格な一日とされる。そのため、すべての公共機関と交通、お店は休業になる。そして旧約聖書の 『ヨナ書』 が読まれる。
ひときわ明るい年中無休24時間営業のスーパーマーケット”ティブ・ターム”は営業しているだろうと思ったが、
大きな錠前で頑丈にロックされていた。
ビーチに向かうが、
ここでも路上で子供達がはしゃいでいる。
道路を逆走してサイクリングを楽しむ男性。写真を撮っているとポーズをしてくれた。
車がまったく走っていないので、子供達の歓声が響き渡る。
ただしさすがに警察官は働いていた。警察はもちろん、救急車や消防車とイスラエル軍はヨム・キプルでも働いている。
1976年10月6日のヨム・キプルの日に、エジプトとシリアの連合軍がイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けて大成功。イスラエル国内はヨム・キプルのため、皆が休んでいたためだ。この戦争で当初の劣勢を何とか挽回し、イスラエルは勝利したものの損失は甚大となる。この戦争以来、ヨム・キプルでもイスラエル軍は警備体制を緩めることはなくなった。
ユダヤ教の行事なら、イスラム教徒には関係ないはず・・・。そんな思いつきでアラブ人地区のヤッフォまで散歩。
ヤッフォにたどり着くまで、あちこち散策しながら歩いてきたので、お腹はペコペコ。そしてヤッフォに着いたら・・・・
やばい。空腹で辛いのに・・・
さすがにヤッフォ港のモールは営業しているだろうと思ったが・・・
断食の辛さを実感・・・・。
アラブ人地区で観光地のヤッフォのお店も休業していた。
人がまったくいないので、お腹がぐうぐうなる音が響く。とりあえず壁画でも見ながら、とぼとぼと歩く。
こんな絵もあった。
劇場もお休み。
車も走っていない。
オールドヤッフォ地区をとぼとぼ歩く。喉も乾いてきた・・・・
フローティング・オレンジが見える。もう少しで、ヤッフォの商店街がある。
わずかな希望も虚しく、この通りのお店もすべてお休み。
ここから5分くらい歩いた場所に、1軒だけ営業中の商店があった。食料は売ってなかったので、とりあえずドリンクを飲む。断食は僕には、とても無理だ。
少し元気になり、テル・アビブの自宅まで歩く。街中は相変わらず子供達の歓声。
みな夜の散歩を楽しんでいる。この人達は日没前にたくさんご飯を食べたのだろうが、僕は何も食べていない・・・・
ユダヤ新年の日(9月4日)でも、普通に営業していたam.pm.は営業中だろうと思ったが・・・・
明日の20時まで休業と書いてあるのだろう・・・・。
お腹が空いて空いて・・・・、なんで僕まで断食しなければならないんだ!!!
ヨム・キプルは明日の日没まで続く・・・・