四国にある有名な観光スポット。ここに来るまでに、今にも崩れそうな崖を通り抜けるスリルを味わい、次に味わった恐怖はコレ
琴平を出発して、すでに1時間くらいのドライブ。山を越え、
川を越え、、、、。吉野川が見えました。ゆったりと流れていますが、日本三大暴れ川のひとつです。他の二つは、利根川(関東)と筑後川(九州)。
吉野川を渡ると、山間に割りと大きな町 三好市池田町 があります。
本線からわき道へ。
左手にあるのは、”うだつの家”。
もちろん、家は”うだつ”付き。
阿波池田うだつの家たばこ資料館 - 大歩危・祖谷観光ナビ【観る】www.miyoshinavi.jp/02miru/detail.php?uid=SS000013...共有うだつの町並み・阿波池田うだつの家たばこ資料館. 交通の要衝として、たばこ等の集積地として発展した池田の旧街道に残る古いたたずまいは、どことなくさびしげで、ひとりもの思いにふけりたくなるような町並みである。幕末から明治にかけて繁栄したたばこ ...
これです!
この屋根にある隣との境界塀のようなものが、”うだつ”です。
うだつ - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/うだつ共有うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梲と書き、「”うだつ”がある家は裕福な家」という通念から、「うだつがあがらない」とは、ご存知の通り、出世や地位が上がらず、金銭的に恵まれていない状況を意味します。室町以降は卯建・宇立などの字が当てられた。 平安時代は「うだち」といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいった。
このあたりの家は、どこも”うだつがあがった”家ばかり。
あちこちの家に、”うだつ”があがっています。
これは、”うだつ”の土台部分が崩れかけています。大丈夫でしょうか?
この商家は、立派な”うだつ”があがっていました。
いろいろな”うだつ”を見た後、次の目的地へ出発。
ふと右側を見ると、あの”さわやかイレブン”、”やまびこ打線”で甲子園を沸かせた高校野球の名門校・池田高校がありました。
徳島県立池田高等学校 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/徳島県立池田高等学校共有2月3日(日)東京大学にてWikimedia Conference Japan 2013を開催します。参加者・再び山道をドライブ。吉野川を右手に見ながら、進み、スタッフ募集中! 徳島県立池田高等学校. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア( Wikipedia)』. 移動: 案内、 検索. 徳島県立池田高等学校. Tokushima pref Ikeda ...
たまに住宅地を通り抜け、
再び、山間道路。
山の中腹には、民家が建っています。日本は島国ですが、山国でもあるのがわかります。
県道からわき道へ。かなり道幅が細い林道・祖谷街道です。
祖谷街道 - 徳島県観光情報サイト|阿波ナビwww.awanavi.jp/article/0001165.html共有2008/02/01 – 徳島県全域の観光、イベント、宿泊情報の紹介。自然、歴史、グルメ、レジャーなど旅行に役立つ情報が満載!
そして川。川べりに建っている民家を撮影。ちょっと危険な住居だと思いますが、景観がかなり良いです。
それにしても、美しい川
青く輝く川を初めて見ました。
ふたたび林道をドライブ。
なぜこんなところに?住居もなにもない場所に、バス停がポツンと置いてあります。しかも一日2本しかバスは来ません。
右手は、いまにも落ちそうな崖。左手は、いまにも崩れそうな崖。
しばらく進むと展望スポットがありました。ちょっと休憩。
ちゃんとした休憩スポット。
これが展望台。
深い山間とその下に流れる渓流の景色が見れます。
ドライブ再開。この道を作るにはかなりの労力がかかったと思います。
またバス停がありました。よく見ると左隅になにやら、、、、、。
銅像の後姿が見えます。
正面から見ようとすると、ちょっと危険。ガードレールの外は、すぐに奈落の底。
こんなところに小便小僧が立っていました。
しかも立っているのは、絶壁です。
小便小僧 - 徳島県観光情報サイト|阿波ナビwww.awanavi.jp/article/0000791.html共有2008/02/01 – 祖谷川沿いの断崖には、祖谷街道の開設工事で残った岩が多数突き出ています。 小便小僧は、街道中一番の難所といわれる七曲(ななまがり)にあり、谷底まで200mの高さがあり、1968年に徳島県の彫刻家、河崎良行氏が制作したもの ...
ホテル祖谷温泉がありました。
ホテル祖谷温泉iyaonsen.co.jp/共有ホテル祖谷温泉 日本三大秘境の景観を楽しむ 秘境祖谷渓の一軒宿.ホテルが建つ場所は、やはり絶壁。よく建築許可がおりたものだと、感心。
下には、なにやら動くものが、、、
崖の下にある温泉とホテルを往復するケーブルカーでした。
山の頂上付近は、白い雪化粧をしていました。
再び、ドライブ。
そして鉄橋。
左手には、大きな学校があります。
住宅が連なっています。
そして巨大な駐車場。かなり大掛かりな予算が組まれて建設されています。こんな山奥に??よほどこの観光スポットが人気があるのか、もしくは予算の無駄使いか。上の駐車場に車を停めようとしたところ、地元のおじさんが「もっと安くて目的地に近い駐車場があるよ」と教えてくれ、この駐車場に駐車。
このあたりのお土産屋さんやレストランは軒並み、廃業していました。
このお店も、、、、。屋根には天国地獄洞窟めぐり案内の看板。よく見ると、、、
地獄は閻魔様、天国は、、、、??
この入口から奥へ進むと、この山奥に来た目的地があります。
細い山道を奥へ、右手に小屋が見えてきました。
階段を下り、
通行料を払います。
通るのは、これ。太い木に、これまた太いツタで支えられている、、
祖谷のかずら橋です。
かずら橋 - 阿波ナビ特集www.awanavi.jp/tokusyu/category/0000013.html共有冬場の厳寒な山野にて採取した自生の「シラクチカズラ」を編み連ねて生み出されるかずら橋は、当時の人々にとっては大切な生活路として祖谷川の数カ所に架けられていたそうですが、今では西祖谷山村の「祖谷のかずら橋※1」 と東祖谷の「奥祖谷二重 ...
かずら橋 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/かずら橋共有祖谷のかずら橋の場合、古文書によると、かって7ないし13の橋が存在したとされる。最古のものは、1646年(正保3年)の「阿波国図」にかずら橋が7つ存在したと記録されている。また1657年(明暦3年)「阿波国海陸度之の帳の写」の祖谷紀行には13のかずら ...
それにしても巨大なツタでできた橋。安全上の理由で、ツタの中心部はワイヤーが通っています。
橋の長さは45m
ツタは、3年ごとに新しいものに代えられます。
床は、ご覧のとおり、すかすかで幼児の通行は禁止。谷の高さは14m。
一歩ごとにつり橋が揺れ、思い出しただけでも、足が震えます。
渡っている様子を動画で撮影。
こちらは橋を渡りきった出口。一方通行です。
恐怖のつり橋を渡った後は、少し散策。上流方面へ。小さな滝・琵琶の滝 がありました。源平の戦いに敗れた平国盛が安徳天皇を奉じ祖谷に潜入、この地に住み着いたとされています。その落人達が古都の生活をしのびながら、この滝の下で琵琶を弾いていたと伝えられています。
この川も美しい。
水が川底まで透き通っています。
下流側を見ると、むこうには渡ってきた”かずら橋”が見えます。
恐る恐る渡っているのが、よく見えました。
散策を終え、駐車場へ。
この帰りの橋からも”かずら橋”がよく見えます。
祖谷のかずら橋のその他の写真>>https://picasaweb.google.com/109343164122809862992/20121225tuta
今日のお昼は、このレストラン・祖谷美人で。
祖谷温泉郷 露天風呂付客室の宿「祖谷美人」iyabijin.jp/共有四国・徳島祖谷の渓谷を臨む旅館【祖谷美人】は、全室、露天風呂付客室でお寛ぎいただけます。Google のクチコミ(4) - レビューを書く
日本 〒778-0102 徳島県三好市西祖谷山村善徳9−3 |
店内は、天井画高く、落ち着いた雰囲気。
注文したのは、もちろん祖谷そば。
そして親子丼。
祖谷そばは、長さが短く、ちょっと太め。その分、そばの風味が豊かで美味しかったです。北海道の亡くなった祖母の手作りそばを思い出しました。
今回は、食べなかったのですが、鮎の塩焼きの匂いが、、、、。これを食べたら、止まらなくなりそうです。
雪が残るテラス。その左奥には、見慣れた置物が、、、、
たぬきの置物が、、、しかも、、。先ほどの小便小僧と同じような光景ですが、
このたぬきは、この高さにもかかわらず、なだらかな放物線を描いていました。
このテラスから見える景色も見事です。
車に乗り、再びドライブ。
ジグザグの山道を行くこと、10分くらいで次の目的地・平家屋敷に到着。
平家屋敷民俗資料館 - 徳島県観光情報サイト|阿波ナビwww.awanavi.jp/article/0001285.html共有2008/02/01 – 当家の祖先である堀川内記は、安徳帝の御典医として治承~養和~寿永の頃まで宮中に仕えたが、平家の都落ちの折、安徳帝を供奉して屋島に逃げのびた。 平家滅亡の後、残党と共に祖谷に入山した堀川内記は、祖谷の山野に薬草が豊富 ...
私達が来ると、庭の犬が大きな声で吠え出し、その声を聞いたおばあちゃんが、家の奥から登場。
アットホームな雰囲気がする資料館です。
祖谷平家まつりのポスターが貼られていました。何かしらアニメちっくなのが、実に日本らしい。
おばあちゃんちの横の上り坂を上り、
階段を更に上っていくと、
古い石垣がある門に到着。
門の中には、土蔵と、
ワラ葺きの家がありました。
こちらが入口。
中に入ると、ちょっと怖い雰囲気。
古い人形が、さらに怖さを増します
奥には、武者の鎧。
そして神棚。
地券と書かれた古い書類。
ショーケースの中には、平家の軍旗と琵琶が飾られています。
そのほか、囲炉裏
茶道具
文房具
そして書状
古い紙幣などが飾られていました。
庭はきちんと整備されています。
平家の落人 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/平家の落人共有平家の落人伝承にある誤解としてよくあるのが、平家の落人の末裔が即ち平家一門の末裔であるという混同である。確かに平家一門が落ち延びたという伝承も少なくはないが、平家の落人という概念が形容するものは「平家方に与して落ち延びた者」であり、平家 ...
再び、ドライブ。
四国の深い山間を通り抜けます。
途中、道路上に書かれた数字があります。
道路と直角に書かれた数字。
高知まで58kmと書かれた案内の下に”82”の表示。
これは災害時に航空機(ヘリコプター)から場所を正確に確認するために書かれた数値です。山中では、まわりに目印のようなものがなく、道路に書かれたこの数字を目印にしているそうです。
ドライブ中に駅を見つけ、ちょっと見学。偶然、そのときに列車がホームに到着しました。
次回へ続く、、、