あまりにも美味しい料理を食べると、同じような料理を食べても感動がなくなる場合あり。鳴門にいったら要注意!将来食べるであろう釜飯の感動をなくす恐れがあるのは、コレ!
この記事は前回の続きです。
ドイツ館の展示を見た後、外へ。すでに日が落ち始めています。
むこうに激しく腕を振る銅像があるので、早速、近くへ。
右腕を高く掲げる銅像は、ベートーベンでした。優雅と言うよりも、一生懸命と言う言葉がぴったりの指揮。
こんな大きなベートーベンの銅像を見るのは、ドイツ・ボンのミュンスター広場にある銅像以来です。
この銅像は、1997年に鳴門市制施行50周年を記念して設置。1982年鳴門市文化会館のこけら落としでは、下の写真のような大楽団で第九が演奏されました。
それ以降、毎年6月1日に一番近い日曜日に第九が演奏されています。
やはりベートーベンと第九は、偉大です。
私が最も好きな第九は、今は亡きカラヤン氏が指揮するベルリンフィルハーモニーの演奏。
ドイツ館の前には、ギフトショップが営業中。この建物は、坂東俘虜収容所の元兵舎を移築したものです。
お店は、鳴門市とドイツ館にちなんだ物産展のような品揃えでした。
このショップの隣には、賀川豊彦記念館もあります。今回は時間の都合でパス。
鳴門市賀川豊彦記念館ホームページwww.tv-naruto.ne.jp/kagawa-kan/共有今年度の「賀川豊彦に関する作文」「わたしの将来・夢」についての作文募集の表彰式を、11月23日に行いますいます。皆様もどうぞご参加ください。(参加費無料); 第4回賀川豊彦チャリティーウォーキング 子どもたちのために歩こう!を、11月24日に行います ...
賀川豊彦 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/賀川豊彦共有賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年(明治21年)7月10日 - 1960年(車に乗って、数分の場所に広がる畑。昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動において、重要な役割を担っ ...
その畑の前にあるのは一見、何の変哲もない公園ですが、、、、。
入口には、「坂東俘虜収容所跡」と書かれ、左には「第九日本初演の地」とあります。第一次世界大戦中、この場所にドイツ人俘虜は収容されていました。
何もないように見えますが、
よく見ると長屋のような建物が建っていた跡があります。この場所に収容所がありました。
この石造りの橋は、ドイツ俘虜たちが作ったドイツ橋を模して作成されたものです。
本物のドイツ橋は、この公園の近くにある大麻比古神社の境内にあります。そこにあるドイツ橋は、1919年に建設され、100年近く経っても微動だにしない石橋。ドイツ人の持つ高度な技術力を証明するその橋は、川床の土台が強固で、セメントを一切使わずに寸分の狂いなく積み上げられた橋です。
1919年4月初旬に着工されたドイツ橋は、2ヶ月で完成。ドイツ人俘虜たちが地域住民との親交の記念として建築、地元から相応の建築費が出されることになっていましたが、ドイツ人俘虜はそれを固辞。理由は、ドイツ人俘虜曰く「松江大佐が、我々俘虜に創造の喜びと働く意欲を駆り立ててくれたことこそが最大の報酬です」。
坂東俘虜収容所は、現在ではドイツ村公園として市民に開放されています。
公園のあちこちに収容所の名残があります。
当時使われていた給水塔
パン工房の跡地
第二給水塔の跡地
トイレ跡
第一給水塔跡
公園の奥にある坂を上ると、
当時も存在した池があります。
池は2つあり、そのほとりを更に進むと、右側に
収容生活中に亡くなったドイツ人俘虜の慰霊碑があります。これはドイツ政府の要請によって建てられた慰霊碑で、1976年に建立されました。
慰霊碑の前には、各収容所で亡くなったドイツ人俘虜の名が刻まれています。
その横にあるのが、古い慰霊碑。1919年8月にドイツ人俘虜によって作られた慰霊碑です。
ドイツ人俘虜たちは、本国移送の前に、収容所で亡くなった11人の仲間のために慰霊碑を作ろうと計画。しかし「自分達がドイツに帰国した後、慰霊碑が放置され死者を傷つける」という心配もあるなか、結局、「ドイツに帰国する前に死んだ仲間を弔いたい」との多数の意見で建立。
その後、ドイツ人俘虜たちが心配したとおり、慰霊碑の管理者は誰もいなく、放置されました。
やがて第二次世界大戦終了後の1947年、満州から引き上げてきた人々が、坂東俘虜収容所に住むことになりました。
この収容所に暮らしていた高橋春枝さんは、裏山で薪拾いをしていたところ、草むらからドイツ語で書かれた慰霊碑を発見。1948年にシベリアから引き上げてきた夫とともに、収容所跡に住み、定期的にこの慰霊碑を清掃し、献花。やがて地域の人々も清掃を助けるようになりました。
春枝さんが、この慰霊碑を発見してから13年後の1960年、この慰霊碑の清掃が徳島新聞で紹介されます。新聞記事を見た当時のドイツ大使・ハース夫妻と神戸総領事・ベルガー夫妻が、この慰霊碑を訪問します。
一方、ドイツでは坂東俘虜収容所でともに収容生活をした仲間がドイツ各地で「バンドー会」を結成。
1962年、バンドー会メンバーのライボルト氏が在ドイツ日本国大使館宛に坂東俘虜収容所の近況を知りたいとの手紙が発端となり、坂東(現在の大麻町)とバンドー会が再び交流を始めます。
バンドー会に収容所の近況を伝えようと坂東の”独逸人を偲ぶ協議会”は、8mmフィルムで収容所跡地を撮影し、ドイツに送付。このフィルムは、ドイツ各地のバンドー会で上映されます。そのフィルム上映によって、ドイツ人俘虜たちが建てた慰霊碑が、いまも高橋春枝さんらによってきちんと管理されていることを知ったバンドー会は深く感謝し、慰霊碑への感謝として募金を坂東に送金。1963年、その募金で坂東(大麻町)で、慰霊祭を行います。
そして1964年、高橋春枝さんに、ドイツ政府からドイツ功労勲章が贈られました。
現在、ドイツ人俘虜慰霊碑の横には、墓地があります。
その墓地の奥の墓石に彫られた文字は、”春枝”。この墓石の正面には慰霊碑が、、、。
高橋春枝さんは、いまも慰霊碑を見つめながら永眠されています。
池のまわりは、石碑がいつくかありました。
この石碑は、独日文化交流育英会が鳴門市に菩提樹30本を寄贈したことを記念したもの。
赤十字からの記念碑もあります。
再びドライブ。
この近くに坂東俘虜収容所を映画化した”バルトの楽園”のロケ地があります。今回は時間の都合で、パス。
バルトの庭www.ithiroba.jp/~barutononiwa/共有鳴門市大麻町ドイツ館の近所に映画「バルトの楽園」のセットを移築した「バルトの庭」車での移動中、向こうから鳴門線の列車が走ってきました。です.
鳴門線 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/鳴門線共有鳴門線(なるとせん)は、徳島県鳴門市の池谷駅から鳴門駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(地方交通線)である。 高徳線を介して徳島市と淡路島に面した鳴門 市を結んでいるが、淡路島および京阪神方面との連絡は高速バスが主流で、こちらは都市 ...
海岸線をドライブし、着いた場所はこの食堂。今日の夕食は”びんび屋”です。
びんび家 びんびや - 鳴門市その他/魚介料理・海鮮料理 [食べログ]tabelog.com/tokushima/A3601/A360102/36000021/共有 評価: 3.5 - レビュー 174 件 - 価格帯: ¥1,000~¥1,999
びんび家/びんびや (鳴門市その他/魚介料理・海鮮料理)の店舗情報は食べログでチェック!口コミや評価、写真など、ユーザーによるリアルな情報が満載です!地図や料理メニューなどの詳細情報も充実。
食堂の前は、海産物販売コーナー
美味しそうな魚の切り身と
イワシ。しかも安い!
極めてお洒落気のない外観
店内に入って、右手にあるショーケースには、飾り気のないシンプルな魚料理
海岸線の道路に面した路面店ですが、店内はご覧のとおり、大盛況。
なんとなく豪快な雰囲気が、徳島のことなら何でも知ってるU氏おススメのお店らしいなと思いながら、待つこと10分くらい。
まずはてんぷらの盛り合わせ。
そしてほぼ同時に刺身盛りも来ました。
見た目は普通の料理ですが、、、、、一口目からハシが止まりません。
ご飯は、ほんのりと塩っけのある薄味で、新鮮な素材の味を凝縮した一品。正直、これは危険!
これからどんな釜飯を食べれば、この釜飯ほどの満足感を得ることができるのか?
どんな釜飯を食べても、「やっぱりびんび屋の釜飯のほうが美味しい」となってしまうのが必至!
今後の釜飯を食べる喜びが吹き飛ぶ一品です。
私の拙い食の歴史の中で、このシンプルな海鮮料理は忘れることのできない思い出になるでしょう。
このお店を教えてくれたU氏へのせめてものお礼として、綺麗に撮ったこの写真をお届けします。
場所は変わり、すでに香川県高松市の中心部。
高松にはお洒落なお店が多い。この雑貨店もこの花屋さんもお洒落です。
今晩、宿泊する宿に車を預け、さっそく夜の散歩。中央公園に立つのは、菊池寛の像。
そしてまるでツリーのようなイルミネーション。
このイルミネーションも見事です。
公園のあちこちに電飾がありました。
小学生による夢の寄せ書き
特設ステージでは、可愛い女の子たちのダンスパフォーマンス。お母さんとお父さんがカメラを構えて、応援。
一方、別のステージ。こちらのダンスでカメラを構えるのは、少しためらいが、、、、。あまりシャッターチャンスにこだわらず、周りの目を気にしながら、サッと撮りました。それにしてもパラパラ、実際に見ることは稀ですが、なかなか興味深い。
子供達にもギャルにもウケそうな幼稚園バス
大勢の来場者で賑わう公園
人ごみが途切れたところで、パッと撮影。ゴミ一つ落ちていないことに驚きました。やはり日本だぁと感心。
こちらは驚きのたこ焼きを販売中
タコの山
そしてタコ焼き器からはみ出るタコ
ご当地なのでしょうか、時代の移り変わりなのでしょうか、見たこともない夜店がありました。
高松の町は、ところどころモダンです。
ですが、昔ながらの光景も。
こちらの通りは、なんだか懐かしい昭和の雰囲気
高松は、夜の散歩が楽しい町です。
Francfrancのお店。北米では見ないなぁと思ったら、日本企業でした。
幻想的に青く光るクリスマスツリー
そして夜の高松港
どこの港湾エリアにも、雰囲気のあるお店があります。
シャッターを遅めに撮影しているので、人影がお化けのようにうっすら見えます。
せっかくだから簡単な食事でも、、、と思ったら、どこも予約でいっぱいでした。今日はクリスマスイブです。
高松城のお堀。
高松城 (讃岐国) - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/高松城_(讃岐国)共有高松城(たかまつじょう)は、日本の香川県高松市玉藻町にあった城である。 ... 別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、 高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。 高松城は、 ...
旅先でどうしても気になるのが鉄道の駅。JR高松駅のモダンなデザインが美しい。駅前の池に駅の照明が反射しています。
駅舎の中はごらんのとおり、
駅のホームには、出発待ちの列車が待機中
宿泊先からかなり歩いてきたので、帰りは電車に乗ることに。
高松築港駅から琴電に乗ります。
高松琴平電気鉄道 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/高松琴平電気鉄道共有かつては琴電(ことでん)・TKR、後に片仮名書きのコトデンの愛称で親しまれていたが、民事再生法適用申請後、イメージを一新するためにことでんと平仮名書きに改めた( ただし、駅名には漢字の「琴電」が引き続き使われる)。車両の社名銘板の表記は「高松 ...
どこか懐かしい列車内の風景
ホテルのそばにある瓦町駅で下車。結構、大きな駅に驚いた。
瓦町駅 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/瓦町駅共有メインゲートの西口はフェリー通り(高松市道魚屋町栗林線)に面し、その瓦町駅前広場は面積3,970m2の都市型の駅前広場となっている。改札から連続する2階部分はペデストリアンデッキになっており、順に地上は瓦町駅前バスロータリー、地下1階は瓦町駅前 ...
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