いつの間にか自動運転自動車の走行距離が地球4週分になっていました / カナダの歴史をざっと振り返る in Canadian Museum of Civilization - Today→Tomorrow

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9/27/2012

いつの間にか自動運転自動車の走行距離が地球4週分になっていました / カナダの歴史をざっと振り返る in Canadian Museum of Civilization

Googleが試験走行している自動運転自動車の総試験走行距離が483.000Kmになりました。地球を約12周した距離です。もちろん無事故走行です。プリウスをベースに改造した自動車なのが、ちょっと嬉しい。
 Byward Marketの中へ
 Byward Marketの2階です。
 2階の角にひっそりと置かれている、量り。
 売店もすでに秋の作物を販売中。
 Major's Hill Parkを散歩
 ここに当時、リドー運河建設の拠点があり、地中からコーヒーカップなどが見つかりました。発掘現場の記念碑です。
 National Gallery of Canada の方向へ進んで、

 アレキサンダー橋を渡る途中から見る
 Parliament Hill。その美しさはご覧のとおりです。
 カナダ文明博物館に到着。

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 今日も吹き抜けロビーにて、パーティーが催されるのでしょう。
 2階にある奇妙な像。岡本太郎の作品のような風貌です。
 今日は、Canada Hallを見学。
 カナダに入植した移民たちの歴史を展示しています。

西暦1000年に、北欧のバイキングが現在のニューファンドランド島に上陸したのが、カナダへの入植の始まりです。
 ノルウェーから入植した海路。
 太陽との角度などを測って、航路を決めていました。
 そのころの産業は専ら、漁業です。
 もちろん捕鯨も含まれます。
 当時の様子をマネキンで表現
 大きなクジラの肉がぶら下がっています。
 捕鯨に使う道具。
現在でも、批判を浴びながらノルウェーは捕鯨をしています。日本も調査捕鯨をしています。

1526年以降、フランスは探検家を派遣し、16世紀半ばセントローレント川流域がフランス領に。
1608年にはフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランが永続的な殖民拠点として現在のケベックシティーを築きます。このころからインディアンとの毛皮交易が本格化します。

やがてフランスはアメリカを殖民地としてしていたイギリスとの対立が激しくなり、7年戦争を得て1759年にケベックシティー郊外のアブラハム平原で大敗。1763年のパリ条約によりケベックは英国領となります。当時新たに英国領となった地にすむフランス系移民は65000人のカトリック宗徒。イギリスはこれらのフランス系移民をイギリス国教会への改宗を強要せずに穏健に扱い、1774年のケベック法によりフランス民法展とカトリックを認めた。この穏健政策が、現在でもケベック州がフランス文化を色濃く継承している発端です。

1750年にはフランスからの入植者 アカディアンもカナダに入植。英国軍に追われる歴史は、以前紹介したので省略します。
 1603年からフランス人の入植により、カナダがますます西欧化していきます。

 町並みも欧州らしくなります。
 フランス移民の農家の部屋
 当時の靴屋さんが再現され

 家具や食器が展示されていました。
 修道者による病院と薬屋も展示。
 毛皮貿易の様子も展示中
 毛皮のフードをかぶった女性がゴージャスです。
 毛皮以外にも取引された商品の数々。
 バッファローも取引されました。
 1800年代になると、林業も盛んになります。

 この鉄製の箱は、現金と重要な書類を保存するためのものです。

1774年には、独立意識を高めるアメリカに住んでいたロイヤリスト(王党派)がカナダに入植します。

 1775年、アメリカ独立戦争が勃発し、1783年にアメリカ合衆国が発足。
 1812年に米英戦争が始まると、英国のカナダ領は再びアメリカの侵攻の脅威を受けたが、アッパーカナダでアメリカの侵攻を阻止。

 南北戦争後、産業革命によってアメリカは急速に発展を始め、再びアメリカによるカナダ併合の危機が高まったため、英国議会はカナダを統一を計画。1867年英領北アメリカ法を制定し、両カナダやノバスコシア、ニューブラウンズウィックなどを併せた自治領カナダ政府を成立させた。この立法によってカナダは英連邦の下で自治権を有する連邦となり、オタワに連邦首都が置かれた。しかしながら外交権の付与は実現しなかった。
イギリスから自治権を獲得したカナダ連邦誕生の年(1867年)は日本の明治維新の大政奉還が行われた年でもあります。

 以上のような歴史を紹介しつつ、メインはあくまでも市民生活を展示しています。

鉄道の時代が到来すると、経済活動はますます発展していきます。
 町は活況にあふれ、
 商人たちの豪華な部屋が展示されています。
 こちらは商人の書斎
 発展の原動力である鉄道の駅。
 1885年11月7日、ブリティッシュコロンビア州の鉄道建設工事が最後の線路の固定金具をはめる式典が開催されました。当時のカナダ総督は残念ながら参加できず、半年後に記念として下に展示されている線路の固定金具をペーパーウェイト(文鎮)として贈られました。
 駅の周りに新しい町ができ、発展をしていく状況を展示中。日本では、現在でもリニア鉄道の駅を巡って自治体がしのぎを削っています。
 鉄道が発展し、カナダ中央エリアの農業が大発展。
 その様子は、サスカチュワンの穀物業者 Wheat Pool社の契約書の数を見ても推測できます。

 ウクライナからの移民のお店では、楽器と雑誌を販売

 ドイツ系移民の経営している印刷所も展示。

 ドイツ語の新聞が展示されていました。ドイツ語の勉強を中断してからすでに15年以上経過していますが、何とか読めました。
 こちらはウクライナ教会?と呼ぶのでしょうか?
 独特な雰囲気があります。
 そしてカナダと言えば、知る人ぞ知るストライキ。労働団体の拠点名は、その名も Labor Templeです。
 頻繁にストライキが起こるのは、昔も今も変わりません。

中国系移民が経営するクリーニング業者
 大きな洗濯機と
 アイロンが展示されています。
 この人形は中国語で呟いていました。
 こちらは学校。20世紀初頭の一般的な学校だと紹介されていました。
 教材には、英国王室も取り上げています。
 アフリカ系移民の子供達ばかりの写真。なんだか微笑ましい。

 1900年代のアルバータ州でのエネルギー産業の発展を説明する展示。

 その奥には、漁師のボート。
 木製の壁をよく見ると、、、
 「少供 子供入ルナ」の文字。
 カナダの国旗とともに鯉のぼりがさげられていました。
この漁師のボートは、日系カナダ人から寄贈されました。

 さらに奥には空港ロビーの展示。
 ジェット飛行機の歴史が展示。TOKYOの観光誘致ポスターも展示中。
 真ん中のパンフレットには、鎌倉の大仏でしょうか!?
 1966年にカナダに着いた日本人親子の写真もありました。
 博物館をあとにして、再びアレキサンダー橋を渡る途中、
 右手にParliament Hillを眺めます。
 Major's Hill Parkの花壇はすでに枯れはじめてきました。
 夕日に照らされるアメリカ大使館。
 その建物の周囲は、ご覧のとおりです。かつて何度かカナダに侵攻しようとしたアメリカは、現在では厳重に守られ、外からの進入に誰よりも備えています。
 現代の商店は、、、



 これはお気に入りの本屋さん。
 ヨーロッパ系、アフリカ系、中東系、ラテン系、アジア系などバラエティーに富んだ人たちがバスを待っています。

Other photos >> https://picasaweb.google.com/109343164122809862992/20120927



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