爆弾シェルターは必須、そしてドアにはユダヤ教のお祈りを捧げる小さな神具!?今までとちょっと違う家探し!/外食が高い!おそらくどこよりも高い!ただし美味しい!こんな寿司バーでも美味しい寿司が食べれます at River/テルアビブの都市開発の歴史を知る in Shalom Tower - Today→Tomorrow

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7/28/2013

爆弾シェルターは必須、そしてドアにはユダヤ教のお祈りを捧げる小さな神具!?今までとちょっと違う家探し!/外食が高い!おそらくどこよりも高い!ただし美味しい!こんな寿司バーでも美味しい寿司が食べれます at River/テルアビブの都市開発の歴史を知る in Shalom Tower

午前中、お金を節約するためコインランドリーで洗濯し、午後、お腹がすいたので合計5000円の寿司を食べる・・・・非常にチグハグなテルアビブ生活もすでに一週間が経過。


私が滞在しているホテルには、ランドリー設備がない。ほかはすべて揃っているのに・・・・。やはりランドリーサービスはあるのだが、使ったことがないのでちょっと気がひける。

コインランドリーに行く途中で見つけたのは、
 ライムと
 オレンジかな?
 コインランドリーで待っている間に、あちこち見て回る。このあたりにはウェディングドレス屋さんが多い。
 仕事で何百組も新婦さんを見てきたが、このドレスが似合うような大人っぽい日本人の新婦はあまりいなかった。可愛らしいものを好むのが日本人の特徴。
 このお店には、かなり興味がある。
 ラジコンをいっぱい売っている。試しに一個買ってみたくなるが、あいにく置き場所がない。
 この雑草は、、、
 久しぶりに見たツユクサだ。日本でも滅多に見ることがなくなった貴重な植物。私の小学生時代にはあちこちで見かけたが。遠く離れたイスラエルで見ることができて、嬉しい。
 大型スクーターが到着。いかつい女性が乗っているスクーターのヘッドカバーには、
 「母」。。
 現金輸送中のガードマン。写真では見えないが、右の男性は右手に拳銃を持ったまま歩いていた。
イスラエルのガードマンを見ると、さり気なく拳銃はもちろん、機関銃を所持している。そしてコレもよく見る。日本では100万円近くするセグウェイだ。
 あちこち見ているうちに、乾燥機が終了。やはりホテル生活は好きでない。
午前中、家探しに出かける。ホテルまで不動産業者が迎えてきてくれて、物件を回る。
一軒目は、まだオーナーが滞在中の部屋。カナダと比べるとかなり狭いが、
 リビングから地中海が見える。
 2件目も家具付き物件。非常に簡素な作りの部屋。
 奥の部屋にはソファーベットがあり、4人が宿泊可能。
 メインベットルームはこんな感じ。
 リビングから眺めると、目の前には高級ホテル。その向こうはビーチだ。
 部屋も数室あるが、カナダと比較してはダメだと思いつつ、ちょっと息苦しい。このような部屋でも家賃は相当高い。東京が割安に感じるほどの価格帯で、あのニューヨーク・マンハッタンを凌ぐほどだ。

次の物件はイギリス大使館の裏に位置する閑静な住宅エリア。
 リビング。
 テラスから眺める景色は、綺麗に清掃された住宅街。
 キッチンの収納は多数ある。そしてディッシュウォッシャーも当然ある。
 バスルーム。
 小部屋が付いている。その広さは4畳半くらい。部屋がこんなに狭いのかと思う事なかれ、これがイスラエルで設置が義務付けられているボムシェルターだ。
爆風にも耐えるドアは鋼鉄製で非常に頑丈。
 蝶番の部分も鋼鉄製。吹き飛ばされないように、鋼鉄の凹凸もある。
 換気も万全。一昔前は、外出する際に毒ガスマスクの携帯を義務付けられていたことを考えると、当然の設備だ。
 ボムシェルターのドアと部屋の様子。
 通常の部屋との違いは明らかだ。
 これも気になったものの一つ。
 ドアに必ずついているこの器具は、宗教上の理由で付けられている。
 滞在しているホテルのドアにも当然あるのは、「メズザ Mezuzah」と呼ばれる神具。ユダヤ人は部屋に入るたびに手を当ててお祈りします。ケースの中には、トーラーのミツワーによってヘブライ語の銘刻文を記した羊皮紙が入っていて、目の高さの位置でかならず斜めに設置されます。
とりあえず今日の物件チェックは終了。

午後からクリーニング店へ。
 ワイシャツと他2点をドライクリーニングに出して、3点で合計4000円弱。
 ランドリーサービスも行なっているらしいが、とても高くつくので断念。
 よほどいい餌をもらっているのか、水槽の魚はまるまる太っていた。
テルアビブに来てすでに一週間が経過したが、この町はいままで滞在したどの都市よりも物価が高いように思う。昼夜外食して、クリーニング、そしてコーヒーを飲むだけで合計1万円はかかる。
ガソリン代は、1リットル200円、消費税は17%などなど・・・。テルアビブに住む2割は低所得者層と言われているが、テルアビブの低所得者の年収は日本の平均年収くらいあるのではないかと思うくらいだ。
なんとか安い店を探さないと・・・・。
 低価格をアピールするお店で日本のファストフード店と同等な商品(例えば一番安いハンバーガー)でも一品450円くらいの価格。
 Dizengoff Centerにある携帯電話会社Orangeで携帯電話をチェック。オンラインで各社の値段をチェックしたかったが、すべてヘブライ語表記のため、店頭で英語で説明してもらう。
Orange פרטנר תקשורת - דף הביתwww.orange.co.il/
このページを訳すאתר הבית של חברת התקשורת orange המציעה שירותי סלולר, שירותי טלפון קווי, שירותי אינטרנט, מכשירי smartphone ומגוון רחב של מוסיקה ומשחקים להורדה המסופקים ע"י פרטנר תקשורת. 

一昔前の携帯電話(上)は、買取価格で18200円。一昔前のスマホ(下)は27500円の買取価格。それに通話料金が月々6000円位かかる。
他にも安いプランはないかと思い、とりあえず保留。

ちょっとお腹が空いたので、この携帯電話販売ブースのとなりにある寿司カウンター River で食事。
 出てきたSUSHIはこちら。ミックスプレートで47シュケル(約1320円)
 私達が日本人だとわかるとスタッフがサラダをサービスしてくれた。
 上の巻き寿司があまりにも美味しかったので、味噌汁を追加注文。味も濃厚で美味しい。とくにワカメが乾燥ではなく、生ワカメだったのが嬉しかった。しかし豆腐がいまいち。マイナス点があってもかなり美味しい味噌汁だった。
 続いてマグロの握りを注文。
 そしてサーモン炙りも。すべてが非常に美味しかった。シェフはタイ人で、日本人ではないが、これがイスラエルクオリティーなのか!?お茶はなかったので、水を注文。
以上寿司3皿と味噌汁+水(ペットボトル)の合計で、5000円弱くらい。値段もイスラエルバリューだ。

Dizengoff Center前にある木には、
 見たこともない綺麗な花が咲いていた。花の色は、なんとなくアルストロメリアに似ている。
 カラメル市場入口の交差点は、いつも大混雑。
 メイン通りではなく、今日は左の通りを歩く。
 このNachalat Binyamin St.は、布を切り売りするお店が軒を連ねるエリア。
 裁縫には興味がないが、好きな人にはたまらない通りだろう。

 街路樹にホースが巻きつけてある。
 そのホースは建物から伸び、
 街路樹の根本へ・・・。住居のクーラーから出る水を街路樹に与えていた。水の有効利用だが、景観は悪い。
 あちこち散策しながら、Shalom Tower シャロームタワーに到着。
1963年に着工し、1965年に竣工。高さは140mで34階建てのこの高層ビルは、当時、中東でもトップクラスの高さを誇るビルだった。

ここが入り口。入り口には、警備員がいて荷物チェックと金属探知機でボディチェックされる。
 ビルの1-2階はテルアビブの歴史を紹介する無料展示室。
 1909年に彼ら60家族のユダヤ人がJaffaから北の地域を購入して、開拓したのがテルアビブの始まり。
 当時、古都Jaffaの北部にある砂丘に過ぎなかった土地を購入した60家族は、土地の配分をクジ引きで決め、
 あとはひたすら町を作るため、炎天下の中必死に働いたようだ。
 3年後の1912年には、すでに町として形成。奥にある建物が、現在シャロームタワーがあった場所だ。
 南に位置するJaffaは、地図だと最下部。
 そこからだんだんと街の発展が北上していく。

 1935年には、ハヤルコン川まで都市が拡大。アラブ人地区のJaffaを飲み込む形でユダヤ人コミュニティーのテルアビブが発展。そのため、テルアビブの正式名称は、いまでも「テルアビブ・ヤッフォ」と規定されている。
 テルアビブが生んだ偉大な詩人たちの人形が飾られている。
 他にも陶器タイルの展示。
 そしてユダヤ人の偉大な芸術家や学者の写真が壁に飾られていた。
 アイザック・スターン氏は日本の勲三等旭日中綬章を受賞した著名なバイオリニスト。
 アルトゥール・ルービンシュタインは、20世紀を代表するピアニストの一人。彼が弾くショパンは僕も大好きだ。
 Reuven Rubinはルーマニア出身のユダヤ人。イスラエル初代ルーマニア大使も努めた画家。
 漫画家の手塚治虫氏かと思った人物は、Baruch Agadati氏。映画監督兼プロデューサー。 
 その他にもユダヤ人の多彩な顔ぶれが並ぶ。
 興味深い写真があった。テルアビブ草創期の写真と
 現在のテルアビブ。全く同じ場所を時を超えて撮影した写真だ。
 ここシャロームタワーは、もともとテルアビブ初の高等学校ヘルツリア高校があったことは前述のとおり。
 当時の学校の先生の集合写真と
 生徒たちの写真も飾られている。
 ユダヤ人が教育熱心なのは、よく知られている事実。

 生徒が描いた絵も展示。左の丘の上の建物は、オールド・ヤッフォ。手前の左右に伸びる線はエルサレムに続く鉄道線路だ。
 砂浜にぽつんと立っている建物が、当時の様子をよく表している。

 続いてバウハウス建築。
 1931年に建てられたモダン建築。東京・青山の同潤会アパートも1920年代に建設されているので、如何に日本が当時最先端の建築デザインを柔軟に取り入れていたのかが分かる。
 昨日、バウハウス・ツアーしてくれたA氏の元ボスがデザインしたバウハウスの写真もあった。
 2F展示ホールのメインは、
 テルアビブ市街の模型。
 これがこの展示ホールがあるシャロームタワー。
 Meir Parkとディゼンゴフセンターもある。
 続いて当時の写真。
 この写真を撮影したカメラマンの両親の写真
 砂浜の上に立つ夫婦、右にラクダ、左にバウハウス。100年にも満たない歴史なのが信じられない。
 立体交差になる前のディゼンゴフ広場。現在、車の交通が激しい大通りだが、この当時の状態に戻す住民運動が話題になっている。。
 エスカレーターで地上階へ。有名なモザイク画があると聞いていたが、これではなく、
 こちらのモザイク画。
 David Sharirによってデザインされた巨大なモザイク画は1995年に完成した大作「テルアビブ・ヤッフォの第二世代」。
 細かいタイルが並べられて、ひとつの絵になっている。
 モザイク画の前には、初めてテルアビブの夜を照らした街灯もある。
 テルアビブ開発当時(1927年)のビーチの写真。非常に興味深い。
 昨日も紹介したが、1909年に建てられた当時の建物。
 すぐ裏に高層ビルが立っている。建築技術の進化を感じる。
シャロームタワーからホテルへ戻る。
 途中、こんな寿司バーを見つけた。
 この小さなブティックは、
 中国製は販売していない。
 こんな古本屋さんもある。
グリーンロードと呼ばれる都市開発で重要な歩道を歩き、
 ディゼンゴフセンターに到着。この大きなショッピングセンターの上にもコンドがあるが・・・・自爆テロに狙われやすいエリア
テルアビブに来て、すでに1周間が経過。早く住む家を見つけたい。

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