ユネスコ文化遺産に登録されているキューバ郊外の都市Trinidad。その繁栄の陰には、暗い歴史がある。
この記事は4月14日の内容です。
シエンフエゴスから南下。
広大な牧場には、やせた牛。これは肉牛だろうか?乳牛だろうか?いずれにしてもコレでは商品にならないのではないだろうか。
地元の人たちがビーチで海水浴をしている。
楽しそうだ。
ドライブすること1時間ちょっと。革命に広告パネルが見えてくると、
1988年にユネスコ世界文化遺産に登録されている都市Tridadに到着。
いまも古い石畳が残る町並み。
円柱が並ぶ美しい建物は、18-19世紀に建てられたサトウキビ農園の経営者の元住居。周囲は当時のままの石畳の道が続き、格子がはめられた窓、オレンジ色の瓦屋根の家並みが続く。
景観はよいが、この石畳はガタガタなので車の乗り心地が非常に悪い。まるでケベック州のオールドモントリオールの石畳のようだ。
家の中を覗いてみると、観光客向けのサービスや商品を提供している店ばかり。
トリニダは陶器と織物の町としても有名。ファゴッティングと呼ばれる手芸方法で作られた織物が並ぶ。
これは涼しそうな洋服。可愛らしい刺繍がポイント。
観光客用の馬車が待機中。この石畳では、かなり揺られることは必至。
建物は、あちこちが朽ちて非常に危ない状況だ。
私達のグループは、ガイドの楽しい案内を聞きながら散歩。
案内された場所は、市立歴史博物館 Museo Historico Municipal de Trinidad。
この扉から中へ。
豪華な館内は、奴隷を使ってサトウキビ農園を営み巨万の富を得たイスナガ夫妻の元邸宅。
夫に先立たれたイスナガ夫人は、同じくサトウキビ業を営むドイツ人ヘルマン・カルテーロと再婚。
スタッフの女性が手に持っているのは、キューバ紙幣。観光客に見せて、売り込もうとしていた。
鳥の剥製の飾り物。
ホコリっぽくて、ちょっと汚い。
トリニダの町は、1514年近くに黄金を探しに来ていたディエゴ・デ・ベラスケスによって築かれた。
港が築かれ、交易が徐々に拡大していく。
結局、黄金は見つからなかったもののサトウキビのプランテーションができ、トリニダは作物の交易で繁栄。
そして富豪たちによってこのような豪邸があちこちに建てられた。
その富豪たちの巨万の富を築いていたのは、アフリカから来る
黒人奴隷だ。
トリニダは奴隷貿易の町として、さらに発展する。
その様子を描いた絵。奴隷貿易は19世紀中頃の奴隷制度廃止まで続き、繁栄の象徴である建物を残し、徐々に衰退する。
急な階段を上る。
階段の上には、ギフトショップが開店中。
さらにこの階段を上る。
非常に急で狭い螺旋階段。
ギシギシと音を立てる通路を渡り、さらに狭くて急な階段がある。この道のりは、恐怖だった。
まるでハシゴのような急な階段を上ると屋上に到着。
ここからの眺めは格別だった。
トリニダの町を一望できる。
トリニダ中心部にあるマヨール広場も見える。
トリニダの象徴的な建物は、元サン・フランシスコ修道院。現在は、革命博物館になっている。
この建物は、ロマンティコ博物館。サトウキビで成功した富豪たちが所有していた家具調度品が展示されている。
はるか向こうに海が見える。トリニダはかつてあの海の辺りにあったが、この内陸地に移動して再建。
理由は、カリブの海賊。繁栄を続ける町は、たびたび海賊に襲撃されたため、この内陸部に移動をした歴史がある。こんな山間に町ごと引越しをしなければならないとは・・・・カリブの海賊がいかに恐れられていたか想像ができる。
再びこの階段を下る。
再び1階に戻り、展示物を鑑賞。
当時の繁栄ぶりがわかる調度品が並ぶ。
昆虫採集の飾り物。
奴隷達の働く姿を描いた絵の下には、
手錠とムチ。
アフリカから連れてこられた奴隷の運命と引換に一部の人が裕福になる歴史がわかる。
スペインの植民地からの独立。そして、
アメリカ資本の流入によるバティスタ政権下で、富を搾取されたキューバ市民。
やがてキューバ革命が起こり、現在のキューバが形成された様子がわかる。
この家主の子孫は、いまどこで何をしているのだろうか?お金を求めて、巨万の富を得ても結局、一家は滅びる様子は、アメリカやカナダを含めてあちこちで見てきた。それは現代にも通じる歴史の輪廻だ。
キレイな濃いピンクのハイビスカスが咲いていた。
よく見ると、このハイビスカスは八重咲き。東京なら高値で取引されるのは間違いない。
博物館を出て、トリニダを散歩。
町のあちこちで露店が出ている。
売られているのは、素朴な美しさを感じる民芸品の数々。
マヨール広場を通り、先へ進むと、
賑やかで大きなレストランがあった。
美味しそうな匂いの元は、コレ。
木には大きなサソリの飾り物がついていた。キューバの医学状況の良さは前回述べたとおりだが、サソリの毒でガンの特効薬を作る特許をキューバが持っていることはあまり知られていない。
どのように作用するのかは、” サソリとナノ粒子で癌を撃退 ”でしょうかいされ
さらに歩く。
こちらは窓に鉄格子がはめられた住居。これは18世紀以降に建てられた住居。
木製の格子は、18世紀以前に作られた建物。
キューバのこんな田舎町で、このようなギフトショップがあるとは驚いた。
ちょっとした広場に到着。
大事そうに囲まれたまだ背の低い樹木。
その根元に赤いリボンがつけられている。ガイドによると、これは繁栄の”おまじない”とのこと。
古い石畳の道路にビンテージカーはよく映える。
再び移動。
ガイドもかぶっている麦わら帽子が売られていた。
10分ほどの移動でついたのは、このバー La Canchanchara。
店中は観光客だらけ。
この奥で、飲み物を作っている。
バーテンダーが手際よく作っているのは、カンチャンチャラという飲み物。サトウキビの蒸留酒でラムのようなお酒アグランデンテに、
ハチミツとレモン汁を入れ、氷を入れて飲むカクテルのようなこの地方の伝統的なアルコール飲料。
価格は、一杯2.5CUC。味は甘くて、爽やかな酸味を感じる。口当たりがよいので、どんどん飲めるがアルコールがかなりキツイので要注意。
1740年に建てられたこの建物が少し変わった構造をしているのは、家主が元海賊だったから。
今では観光客がカンチャンチャラを飲みながら、楽しいキューバ音楽を聴いているとは当時の誰が想像していただろうか。
ここで聞いたキューバ音楽は動画で見れます。
店の看板の下には、あのキューバン5の面々。
楽しいトリニダだった。ただしこの町だけを見にハバナからわざわざ来るのは、ちょっと疑問に思う・・・。トリニダのその他の写真>> https://plus.google.com/photos/109343164122809862992/albums/5868040133124699137
トリニダから離れ、山をどんどん登っていく私達。
途中で見かける住居はまるでバラック小屋。もちろん、いまも人が住んでいる現役の住居。
山の頂上付近に到着。ここに駐車。
駐車場には、サボテンがあちこちに生えていた。
サボテンの花が抜けたあと。まるで蛸壺のような形。
これから花開くつぼみ。
駐車場横にある階段を上る。
階段両脇にサボテンが咲いている。
これはテキーラの原料になるリュウゼツランと同じ種類の植物。
よく見ると、葉に名前が刻まれていた。
階段を上ると目の前に見晴らし台がある。
ここでしばらく景色を楽しむ。
向こうに比較的大きな町が見える。
あの町は、
先ほどのトリニダの町だ。
左からアイルランドから来たカップル(男性のみ)、緑のポロシャツはガイド、右のカップルはロシアから来た。皆、英語がうまいので会話に不自由は感じない。
足元にあるのは、
小さなメダル!キューバでも見つけた。
階段を下りる途中で、
白いカタツムリを見つけた。
ドライブ再会。山を登ったり、下ったりを繰り返しながら、
宿泊地に到着。
まるで国民休暇村のような建物。
エントランスロビーは日が差し込み、いい雰囲気だ。
さっそく部屋へ。部屋はかなり広い。
ベットもちゃんとしている。
ただし、冷蔵庫はご覧の通り。電源が抜かれているので、まったく役に立たない。
外を散歩。駐車場のサークルに
鮮やかな赤色のアマリリスが咲いていた。
ベコニアはあちこちに咲いている。
よく見る植物。この植物の花を初めて見た。
宿泊施設はご覧の通り。キューバとしては、かなり上質な建物だろう。
庭もキチンと整備され、ゴミ一つ落ちていない。
さらに奥にある施設に進むと・・・
屋内プールがあった。水が張られ、ちょっと寂れた感のある地方の公共プールのようだ。
スカッシュのコートもある。
ただしこのあたりには見慣れない大きな鳥が何羽もいた。
初めて見た鳥。しかもちょっと醜い。大きさはハトの3倍くらいもある。近寄ると羽ばたいて逃げていき、再び近くに寄ってくる。
この施設は廃墟だった。こんな場所がすぐ近くにあるのが、いかにもキューバらしい。
この巨木は何だろうかとよく見ると、
葉っぱに見覚えがある。日本でも観葉植物として売られているゴムの木だ。それにしてもとてつもなく大きい。
午後19時から食事の時間。場所はこの建物。
室内は広い。
料理は期待していなかったが、
とても美味しかった。
お代わり自由で素朴ながらも美味しい食事だった。アジア人は私達だけで、あとはほぼロシア人。
二つ向こうのテーブルからはドイツ語が聞こえた。
4月14日のその他の写真>>https://plus.google.com/photos/109343164122809862992/albums/5867819500979386641