復活したイエス・キリストが弟子の前に現れた場所エマオに行く・・・・・でもなぜここがエマオだと???理由はある女性の「夢」です/こんな美しいモザイクの教会がなぜもっと有名にならないのか!?・・・・その理由はじっくり精査して見るとわかります St. Stephen's Church in Bet Jimal/ワインで有名なラトルン修道院はワイナリーとして訪れると楽しい!しかも修道院公認のあの冠(かんむり)も売っています at ラトルン修道院/エルサレム近くの最も重要な戦略地、、、それを簡単に手に入れたイスラエル。理由はパレスチナ兵士の上司のお葬式!?/エルサレム郊外にあるレバノン料理レストランは超オススメです - Today→Tomorrow

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2/09/2014

復活したイエス・キリストが弟子の前に現れた場所エマオに行く・・・・・でもなぜここがエマオだと???理由はある女性の「夢」です/こんな美しいモザイクの教会がなぜもっと有名にならないのか!?・・・・その理由はじっくり精査して見るとわかります St. Stephen's Church in Bet Jimal/ワインで有名なラトルン修道院はワイナリーとして訪れると楽しい!しかも修道院公認のあの冠(かんむり)も売っています at ラトルン修道院/エルサレム近くの最も重要な戦略地、、、それを簡単に手に入れたイスラエル。理由はパレスチナ兵士の上司のお葬式!?/エルサレム郊外にあるレバノン料理レストランは超オススメです

あまり知られていないテル・アビブとエレサレムの間にこんな素晴らしい教会がある・・・・と思いきや、、、でも本当に美しい。

2014年2月8日の日記。

CNNでは日本の積雪のニュース中。
 今日は土曜日でシャバット(安息日)。朝は非常に静かだ。散歩中に見つけた竹のイミテーション。
 またテル・アビブに新しいSushiバーができたようだ。場所はKing George St.とBograshov St.の交差点。
 Ben Tsiyon BlvdのCafeだけは賑わっている。
 2月にも関わらず、コンテナでは
 朱色のインパチェンスと
 白いベコニアが元気に咲いていた。
 頭上には”ブラシの木”の花が咲いている。
 公園の池には、
 金魚?コイ?がたくさんいる。
 立体駐車場の壁に書かれた巨大なイラスト
 車が落ちているように見える。これはいいのだろうか?
 静かな交差点の横断歩道に落ちているのは、
 かなりアダルトなビジネスカード。
 近代的なビルの
 入り口の上には、
 怖い置物。
 テル・アビブの落書きらしい・・・
 不気味な顔。
 これまた近代的なビルの
 なかなかいいデザイン。
 花はいつも美しい。
 テル・アビブでちょっと怪しい界隈へ。
 安息日なのに、お店が開いているので便利な場所だ。
 自爆テロの多発地帯だったセントラルバスステーション。
 その角にあるこのお店は豚肉を専門に扱っている肉屋さんだ。土曜日も営業中。
 すぐ近くアパートメントのど派手な部屋。
 セントラルバスステーションのすぐ近くの公園では移民の人達が抗議の一貫でキャンプを開き、ここで寝泊まりをしている。
 ちょっとくすんでいるが、
 南国の花の代表、ブーゲンビリアも咲いていた。
 このごろテル・アビブでも比較的安いコーヒーショップが増えてきた。

 この刃物屋さん前の歩道には、
 ハサミやニッパーが埋め込まれている。

 そしてお店のウィンドウガラスには、
 イスラエルは姉、アメリカは妹というメッセージなのか・・・・怖い。
 すぐ近くのお店の上には、
 お立ち台のような光景。
 朝のテル・アビブ散歩の後、車で東へ。先週日曜日に訪れたBet Jimalに向かう。
 今日は駐車場がほぼ満車だった。
 そして教会へ。
 人がたくさんいて賑やかだ。
 しかし今日も正面の入り口は閉まっている。
 どうしてだろうと思っていたら、訪問者たちは教会の横から裏側へ回る。
 そして裏側へ。
 そこに小さな教会 St Stephen's Churchがある。
 皆、ここに向かっていた。
 この教会は1930年に建てられた新しい教会で、5世紀のビザンチン時代の教会跡地にある。
教会の入り口にはその時代の古いモザイク画が飾られていた。
 この小さいドアから教会内部へ。。
 これはすごい。
 礼拝堂の壁画が見事。




 祭壇の上の壁画。



 とにかく細かいモザイク画。


 目立たない通路にもモザイク画でびっしり。
 でも良く見ると、、、

 やはり、、、
 こんなモザイク画で敷き詰められた教会は初めて見たが、このモザイクはタイルではなく、
 ペイントだった・・・・。
 ペインドだが、見る価値は十分にあるのでおすすめのスポットです。Bet Jimalの美しい草原が広がる。
 美しいモザイク・ペイントを見た後は、山道へ。
 上り坂をドンドン登った頂上付近に大きな彫刻があるらしい。駐車スペースに車を停めて、徒歩。
 そして広場へ。
 そこにあったのは大きなモニュメント The Scroll of Fire Monument。
 高さ8.5mの銅製で2つの巻物の形をしている。
 巻物の隙間内部にあるプレート。
 巻物の表面には、ホロコースト時代からイスラエルの建国までの歴史が刻まれていた。
 こんな山奥にかなりの人達が、この巨大彫刻を見に集まっていた。しかも観光客ではなくイスラエル人のみ。イスラエル人は週末になるとイスラエル中をくまなく見て回るようだ。イスラエルの国土は日本の四国しかない。イスラエルの周辺国はアラブ人の国でイスラエル人にとってかなり危険なので、イスラエル国土を隅々まであちこちを散策しているようだ

ローズマリーが、
 淡いムラサキの花を咲かせていた。
 再び山道のドライブ。
 エルサレム近くになり、小さな集落にもこんな近代的なビルがある。
 しかし入居テナントはゼロ。
 次の目的地はここ Castel国立公園

 駐車場に車を停めて、丘を登る。この公園は無料のようだ。
 途中咲いていたのは、桜のような
 アーモンドの花だ。
 さらに丘を登る。
 上っていくと地面には細長い切れ込みが増えてくる。
 ここは見晴台。
 ここから眺める景色はこれ。
 さらに丘の上を目指して、登る。
 道の途中にあるのは、トーチカだ。
 この切れ込みは兵士が移動するバンカーだった。銃弾に当たらないようにこの切れ込みを歩きまわるようにできている。
 あの砦が丘の頂上。
 頂上には立体地図が置いてあった。
この砦の場所は、ここ。

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旗の向こうに見えるのはエルサレム。
そして砦の下にあるのは、
テル・アビブとエルサレムを結ぶ重要な陸路・高速1号線だ。
この場所は戦略的に非常に重要なポイントに位置する場所。イスラエル建国前の1947年までこの場所はパレスチナ軍の統治エリア。当時のユダヤ人はエルサレムの人口の60%(約10万人)を占め、エルサレムは国連によって管理されていた。
この砦にはパレスチナ軍の兵士が1号線を常に監視。そのためエルサレムに住むユダヤ人とテル・アビブ側は分断状態にあった。1948年3月にこの砦にこもるパレスチナ軍のスナイパーが1号線を通るユダヤ人のトラックを危険に晒す。
翌月の4月、ついにユダヤ人の武力組織ハガナ(イスラエル軍の前身)がこの砦へ。そしてこの砦を激闘のすえ攻略し、ユダヤ人の支配下になる・・・・が、パレスチナ軍も黙っていなかった。ユダヤ人に乗っ取られたショックを挽回すべく今度は総力をあげてこの砦をユダヤ人から見事に奪還する。
いまは家族連れでバンカーめぐりをして遊べるようになったが、当時はわずか一週間の間にパレスチナとユダヤ人との間で占拠したりされたりの激戦の地。再び、パレスチナ軍によって分断されたユダヤ人は黙っていなかった。4月9日、ユダヤ人はこの砦を再び占拠すべく戦闘を開始した・・・・が、なんと砦に攻め入ったときに罠かと思うような驚きの光景を目にする。それはこの砦にパレスチナ軍の兵士がいなかったことだ。
結局、ユダヤ人の2度目の進撃で、この砦は戦闘もなくユダヤ人により占拠される。一方、パレスチナ軍はユダヤ人が砦に攻め入っているころ、、、、、先日亡くなった司令官のお葬式に参加していた・・・・・これは史実である。

車で移動し、パレスチナ軍とユダヤ人が死闘を繰り広げた砦からすぐの場所へ。
ここはEin Hemed国立公園
この公園は湧き水がでる場所。
たくさんの人達が水の公園を楽しんでいた。
まるで玉川上水のような景色。
この水道にそって歩くと、右側に大きな遺跡が現れる。
これは12世紀に建てられた十字軍の砦。
これが当時の様子。
この入り口から内部へ。
中はヒンヤリしている。
大きな石器が置いてある。
この場所では、農作業もしていたようだ。
中庭へ。
そしてまたドア。
ここもヒンヤリしている。天井もしっかりしていた。
保存状態の良い遺跡だった。
石橋をわたって、駐車場へ戻る。
緑豊かな公園で、
くつろぐ市民。
モクモクの煙の源は、
めちゃめちゃ美味しそうなチキン。
この公園でのイスラエルの週末は平和だ。
ここにも小さな遺跡がある。
湧き水の出てくる場所だ。
この辺りの地層の様子。
公園を出て、ちょっと遅目のランチ。
とくにランチの場所を決めていなかったので、とりあえず人が多いこのレストランへ。
イスラエルでレバノン料理 The Lebanese restaurant at Abu Gosh
15時近いのに店内は満席。
席についてすぐに出てくるのは、オリーブとピクルス、ファラフェルとパン。
フムスとサラダ、そして
チキンの串焼きを注文。ここは非常に美味しい超おすすめのレストランです。
美味しい食事のあと、またまた先週日曜日に訪れたラトルン修道院へ
ワイン畑の間を抜けて、
駐車場に車を駐める。
先週日曜日は寂しい感じだったが、今日は人で多く楽しい感じ。
まるで参道のように露店が出ていた。
商品もバラエティーに富んでいる。
こんなバックまで売っていた。
そして修道院へ。
ゲートを抜けて、
前回はこのエントランスまでだった。
今日は奥のゲートも開いている。
ゲートを入って、まもなく右手に大きな修道院がある。
建物と比較して小さな入口。
入り口の上には食事中のジーザス。
そしてこれが礼拝ホール。
静寂した大きなホールに・・・・ぎこちないオルガンが静かに鳴り響く。練習中だった。
窓から日光が降り注ぐ。
ステンドグラスはかなりシンプル。
床もシンプル。
修道院の見学はこの礼拝ホールのみ。そしてこの修道院の”売り”へ。
この修道院を有名にしているのは、何と言ってもワイン。
種類はそんなにないが、数はかなりの量。
ワインだけでなく、蜂蜜やジャムも販売中。
オリーブオイルもある。おみやげに最適。
オリーブオイルやワインをすでに買った人は、修道院公認のこんなお土産はどうでしょう・・・
この修道院は、ワイナリーとして訪れることを薦めます。

次にラトルン修道院のすぐそば、1号線を挟んで反対側にある遺跡へ。駐車場はないので、路上に駐車。
 
場所はここ。


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さっそく園内へ。
 入り口で入場料金を払う。
 パンフレッとがあったが、中国語と韓国語はあるのに日本語はない。
 小さなギフトショップ。
 古そうな遺跡だ。
 モザイク画もある。このモザイクはもちろん本物だ。
 そして大きな遺跡。この場所にかつて教会 Emmaus Nicopolisがあった。
 この大きな遺跡の入口付近にもモザイク画がある。
この階段から遺跡内に入る。
これがかつての礼拝ホール。
イエスと弟子が食事をしているパネルがあった。
エルサレムで十字架の刑により殉教したイエス・キリストの死後、二人の弟子がこの地で復活したイエスに出会ったとされている。
この出来事は聖書に記載されている。
 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながらやり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを開放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「あぁ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自身について書かれていることを説明された。
 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いてますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席についたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだとわかった次第を話した。
                                    ルカによる福音書24 13-35
こんなパネルも展示中。1992年4月2日に前ローマ教皇ベネディクト16世もこの地を訪れている。
キリスト教徒にとっては、まさに聖地。
丸く形作られた石造りが素晴らしい。
反対側の出口から出て、
園内を散歩。
また遺跡があった。
これはユダヤ人のお墓跡とのこと。
アーモンドの花も綺麗だが、
地面には鮮やかな赤色のポピーがたくさん咲いている。
先ほどの大きな遺跡の裏の丘に登る。
丘の上には、この遺跡を管理している教会がある。
公開されていないため、中に入ることはできない。通用口に置いてあるシクラメンが見事。
ちょっと作りがだらしがないが、この器とよく調和している。
丘の上の教会には小さなミュージアムが公開中。ここが入り口。
中に入ると、簡単な展示コーナー。
部屋の奥にも
モザイクがある。
移設されたモザイクだが、もちろん本物。
ミュージアムの前には、ワークショップもあるが今日は閉店中。
ワークショップ内の様子。
あと気になったのは女性用のトイレの中が丸見えだったこと。
それにしてもこの場所に復活したイエス・キリストが現れたとは・・・・と思いつつ、あとになって調べたら復活したと言われるエマオと思われる場所は複数あるようだ。
なぜこの場所がエマオであるとされるのかという理由を紹介しているパネル。
それによると、1878年のイースターの月曜日、ベツレヘムのマリアムさんが夢を見る。それは復活したイエス・キリストが弟子にパンを裂いて分けた地エマオ」についてだった。その夢を見てから2週間後、他の修道女とベツレヘムを出発したマリアムさんがここラトルンのこの遺跡に辿り着いた時に・・・・『私が夢見た場所はここです。ここで主が弟子にパンを裂いて与えたのです』と・・・・・・。

それ以来、ここは聖書に記されたエマオの地であると言われています。

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