「不毛の沙漠を豊かな土地に変えたい!!」・・・そんな壮大な夢を抱いた小さなお爺ちゃんが沙漠の小さな農村にやって来た・・・こんなお爺ちゃんの移住に当然、村人は困惑、、、「本当に!?本物なの?」/ベエル・シェバにこんな素敵なレストランがあるとは・・・多国籍料理レストラン「Arabica」はかなりオススメです/お爺ちゃんとお婆ちゃんの静かに眠る絶景ポイント at Sde Boker - Today→Tomorrow

▲PAGE TOP

2/18/2014

「不毛の沙漠を豊かな土地に変えたい!!」・・・そんな壮大な夢を抱いた小さなお爺ちゃんが沙漠の小さな農村にやって来た・・・こんなお爺ちゃんの移住に当然、村人は困惑、、、「本当に!?本物なの?」/ベエル・シェバにこんな素敵なレストランがあるとは・・・多国籍料理レストラン「Arabica」はかなりオススメです/お爺ちゃんとお婆ちゃんの静かに眠る絶景ポイント at Sde Boker

こんな素敵な場所にお爺ちゃんとお婆ちゃんが静かに眠る・・・・

2014年2月16日の内容です。

今日もテル・アビブはいい天気。
 昨日に続いて、今日も南へ移動。
 4号線から40号線へ。
 交通量がほとんどないのに、衝突事故が起きていた。
 この季節はイスラエル南部もこんなに緑が豊か。
道端に咲くのは、
 菜の花?
 雨が降り始めるとイスラエル南部も緑が豊かになるが、、、4月から半年間、雨が一滴も降らなくなると・・・
こんな景色になる。▼これは2013年8月29日に撮影したこの付近の写真です。同じエリアとは思えないほどの別世界。
途中、渋滞に巻き込まれテル・アビブから1時間ほどで、
 ネゲブ沙漠の玄関・ベエル・シェバに到着。
 なにもない緑地を通って行きたので、かなり大きな都市に感じる。

 旧市街は、何となくオシャレな感じがするエリア。
 こんな何でもない窓も素敵に見える。
 公園の芝生も青々としている。
 今日のランチは、ベエル・シェバで人気のレストランARABICA。
  1. Arabica, Beersheba - Restaurant Reviews - TripAdvisorwww.tripadvisor.com › ... › Beersheba Restaurantsこのページを訳す 評価: 4 - ‎31 件のレビュー
    Arabica, Beersheba: See 31 unbiased reviews of Arabica, rated 4 of 5 on TripAdvisor and ranked #9 of 36 restaurants in ... this restaurant has been operating in Beer Shevafor more than 9 years now, but in the past 3 years they have changed  ...
まだランチが始まったばかりなので、お客は少ないがしばらくすると大勢のお客さんが訪問。
 ビジネスランチを注文。まずは大きなパンとボリュームたっぷりのサラダ。ドレッシングが良かった。
 これは豆のスープ。熱々ですごく美味しかった。
 これがメインの添えのスイートポテト。濃厚でスイートでホクホク。
 そしてメインのハンバーガー。これもボリュームがかなり大きい。肉はミディアムレアでジューシー。
ケチャップを付けなくても塩コショウがしっかり効いていて美味。
 焼きナスの上に乗ったシャシリク(串焼きの肉)。炭火焼きなのか、香ばしい焦げがいい感じ。
このレストラン、かなりオススメです。

美味しいランチの後は、レストランの前にある広場に注目。
 白い場所に立つと、
 地面に書かれた絵が立体的に見える。
 ドライブ再開。道の途中にも、
 こんな?(ハテナ)なブルトーザーのオブジェが置いてある。
 ベエル・シェバから南に行くと、
 ぐっと緑が少なくなり、
 道路の両側に沙漠の遊牧民ベドウィンの人たちが住むテントやバラックが見えてくる。
 こんな場所にも芸術が存在。さすがイスラエル、芸術の国だ。
 ネゲブ沙漠を南東へ移動。
 ラクダ注意の大きな看板。走りながら、ベドウィンが飼っているラクダを何頭も見かけた。
 こんな道をひたすらドライブ。信号もなく、交通量も少ないので非常に快適なドライブだ。
 ベエル・シェバから車で30-40分くらいで木が生えている場所に到着。
 ここが沙漠のど真ん中にある農村(キブツ)・Sde Bokerだ。
場所はここ。

大きな地図で見る
こんな小さな農村に世界中から観光客が集まる。
駐車場に車を停め、入り口へ。
通路の周りはオリーブの木が生い茂る。
歩道でこんなプレートを幾つか見る。


暑い沙漠への熱い思いが散りばめられた言葉とともにあるのは、大きな写真版。沙漠を開拓する様子が写されている。
ところどころには屋根付きの小屋もある。
さらに銘板が続く。


沙漠を開拓する熱い思いの言葉を見ながら進むと小さなワイナリーがあった。ここは帰りに立ち寄ろう。
そして着いたのが、
この博物館。
入り口にも沙漠を開拓する思いが綴られている。
この博物館で印象的だったのが、このマイク。なんとイスラエル建国宣言に使われたマイクだった。
博物館を見学して裏側から表に出る。
足元に鮮やかなオレンジ色のビオラが咲いている。沙漠のど真ん中で、こんな華奢な草花を咲かせるのは容易ではない。
ビオラの向こうに屏風状の写真パネルがある。昔のこのキブツの写真だった。木も生えていない小さなプレハブのような家が数軒立っているだけの寂しさ。
矢印が付いている家が
この家▼のようだ。
この家の家主ゆかりの木のようだが、残念ながら今は切り株だけ。
この木も歴史があるのかと思ったら、
花と果実に毒を持つAcokanthera(和名:サンダカンモドキ)だった。
この家の入口。ちょうど係員が外出中だったので、裏に回る。
比較的小さな家のようだ。
しかし裏には頑丈なシェルターが付いていた。
係員が戻ってきたので、さっそく家の中へ。ここが入り口の部屋。
入り口に入って左側にある壁のパネルで家主の遺言を紹介している。「私が死んだら家も家具もすべてイスラエルに寄付します。この家はこのままの状態で保存してほしい」
右側はこんな感じ。
小さな簡易テーブルにコップが6個。
写真には、この家の家主・イスラエル初代首相ベン・グリオンが写っていた。
ドアの向こうにはベン・グリオンの私物が生前そのままの状態で保存されている。
キャビネットもそのまま
本もそのままの状態で保存。
玄関の部屋から奥へ。
右側にはリビング。
パレスチナ西岸地区がヨルダンに属していた時の地図。
部屋には歴史ある品々。
壁にかかっているのは、1948年5月14日にベン・グリオンがテル・アビブで読み上げたイスラエル独立宣言のコピー。
独立宣言の中に、
「WE APPEAL - in the very midst of the onslaught launched against us now for months - to the Arab inhabitants of the State of Israel to preserve peace and participate in the upbuilding of the State on the basis of full and equal citizenship and due representation in all its provisional and permanent institutions.

WE EXTEND our hand to all neighbouring states and their peoples in an offer of peace and good neighbourliness, and appeal to them to establish bonds of cooperation and mutual help with the sovereign Jewish people settled in its own land. The State of Israel is prepared to do its share in a common effort for the advancement of the entire Middle East.」
と書かれているが、イスラエルの独立宣言に強く反発するアラブ諸国との戦争が建国間もなく勃発。
その戦火は現在も消えていない。

ニューヨークの病院で撮影されたベン・グリオンの妻パウラと同僚の写真。
1961年にビルマを訪れた時のお土産のブッタの像。
1970年にカナダ(バンクーバー)訪問のお土産はトーテムポール。
ベン・グリオン夫妻の写真
そして説明がなかったので詳細は不明の・・・
コアラ。
まだまだたくさんの贈り物が飾られている。
正面から見るとメノラーだが。
横から見るとベン・グリオンの横顔
86歳の誕生日を記念してカナダのある団体から贈られた証書
ベン・グリオン夫妻。
ほかにもベン・グリオンの生活がそのまま残されている。
リビングルームから生活スペースへ
バスルーム
寝室。
壁には非暴力でインド独立を果たしたガンジーの写真が飾られている。これがベン・グリオンの理想だったのだろうか。
コーナーにあるのは大きな地球儀。
この地球儀と一緒に撮った写真もあった。
こちらはキッチン。オーブンが狭いことが妻パウラの不満。
ヘブライ語のメモ書きが壁に貼られている。
こちらはゲストルーム。
そしてバスルーム。
これらの生活スペースよりも広いのが、この書斎。
四方の壁がすべて本棚。
新聞を読むベン・グリオンの写真
本棚にはなぜか小さな仏像。
反対側の書棚には、
モーゼの銅像が置かれている。
ベン・グリオンの家を出て、庭へ。現在では木が生い茂っているが、ベン・グリオン存命の時は家の周囲は砂だらけだった。
子供達が遊びながら学べる施設
ベン・グリオンがこのキブツに移住したのは1953年。だが2年後の1955年に政治の世界に復帰したため一旦キブツを離れる。そして1970年の83歳のときから他界するまで再びこのキブツで生活をし始めた。
ベン・グリオンは首相在任中にエイラットからの移動中にこの村に立ち寄ったときに村の若者に「ここでなにやっているの?」と尋ねる。若者は「戦争で戦っているうちにこの沙漠の地にたどり着き、この地を開墾しはじめました」と答える。この返答にいたく感動したベン・グリオンは、「いつか自分も沙漠の開拓をやろう」と決心。この強い決心を彼は生涯忘れなかった。
ベン・グリオンは身長150cmと超小柄。こんな小さな80歳過ぎのお爺ちゃんが沙漠のど真ん中の小さな農村スデ・ボケルに移住するだけでも驚きだが、彼は前年までイスラエル建国の父とも呼ばれる首相だった人物。約20年前にキブツにいたとはいえ、高齢になったベン・グリオンの再移住を知ったキブツの農民たちは非常に困惑したそうだ。

"I have to stand on my head, so the State of Israel can stand on its feet." 
元首相という肩書も関係なく、ベン・グリオンは農村の皆とともに汗水流して働いた。しかしながらやはり元首相ということもあり農作業の合間に政府のヘリコプターがやってきて、彼に助言を求めることもしばしば。ある日、ヨルダン軍が攻めてきたときも政府のヘリコプターがやってきて、ベン・グリオンは「すぐに反撃しろ」とアドバイスというより命令をすることもあったとか・・・・

以上でベン・グリオンの沙漠の家の見学は終了。
ベン・グリオンの家があるキブツは、現在でも農業を営んでいる。
もちろん人も住んでいる。これが現在の住居。
これはベン・グリオンが住んでいた時の住居。
花壇にはアブラナ科のストックが咲いていた。
さきほどのワイナリーに寄り道。
お店はかなり小さい。気さくなおじさんが、このワイナリーの説明をしてくれた。
小さな農場なので、1000-2000本くらいしか製造できないと言っていた。
このレベルをみたら、ベン・グリオンがいたキブツで作られたワインです。
  1. Sde Boker Winerywww.sde-boker.org.il/winery/このページを訳すHebrew version · Winemaking · Winery / Wines · Vineyard · Kibbutz Sde Boker · Topography and Climate · The winemaker · Purchase information · Reviews · Links. © 2004 Sde Boker Winery. All rights reserved. Site built by: Niv Rosen ...
近代的な建物があったがまだ建設中だった。張り紙には「ワイナリーはこの前にあります」。
車に乗り、3kmくらい走ると、
沙漠のど真ん中に近代的な住宅が見えてくる。

住居から道を挟んで反対側には、アウトドア教室。パッと見、軍隊の野営キャンプかと思った。
ここが目的地。
駐車場に車を停めて、
入り口から散歩道を歩く。
沙漠のど真ん中とは思えない道だ。

散歩道が終わり、
広場がある。
左手にあるのは、 The Ben-Gurion Heritage Instituteの建物。
この建物の前、広場の中央にあるのがベン・グリオン夫妻のお墓だ。
左が妻パウラのお墓、右にベン・グリオンが永眠。
お墓の向こうには、
沙漠の壮大な景色が広がる。

お墓の場所は小高い丘になっていて、散歩しながら
沙漠の景色が楽しめる。
こんな沙漠のど真ん中にもかかわらず、植物が育つのは、
根元に張巡された
給水システムのおかげ。イスラエルはこの分野では世界最先端。
ユダヤ人の英知と努力により沙漠の真ん中でお婆ちゃんと孫が安心して暮らせる時代になった。
お墓の回りには、
近代的な住居エリアになっている。公園の遊具もご覧のとおり。
家並みは洗練された近代都市の様相。
きっとベン・グリオンはこんな世界を夢見ていたのだろう。
ベン・グリオンは「沙漠をユダヤ人の英知で開拓しネゲブ沙漠に入植地を作っていけば、アラブの人たちの反発を和らげることができる」と考えていた。
彼はその模範を示そうと自らキブツに入植。
元首相ということもあり、国立の貯水池を建てるなどその貢献は多大だった。そして彼はユダヤ人が人類に大きく貢献することができる証として砂漠を開拓する挑戦に残りの生涯を捧げた。
再び沙漠をドライブ。
こんな変てこオブジェが目立つ不毛の沙漠のこの場所に、
いずれこんな建物が立つ時代がくるのだろうか・・・・・
そのとき和平は実現しているのだろうか・・・・

]]>

AD-contents[1]

Blog Archive

AD-contents-rightbar

-試験公開中-最近の記事(2013/1以降)とこれからの記事のみUP

もっと大きな地図で Today-Tomorrow を表示

Labels

sidebar-right-bottom

Sponsor

Copyright(C)0102030405 All Rights Reserved.