人の出入りを厳しく制限していた時代に活躍した関所。犯罪のない平和な世の中、そしてフリートレードの時代には、無用の長物です。
小田原厚木道路から、
箱根ターンパイクでひたすら上り坂をドライブ。平坦な道になると右手に大きな芦ノ湖。山の向こうには、富士山が見えます。
道の駅があったので、トイレ休憩。
今日は平日なので、お客様はだれもいませんでした。
再びドライブ。もう少しで進むと、
芦ノ湖湖半に到着。
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箱根と言えば、大学駅伝。町のあちこちに大学駅伝の記念碑が立っています。
澄んだ空気が清々しい芦ノ湖。
3000年前に神山が大爆発してできた堰止湖で、神奈川県最大の湖。水源のほとんどは、湖の湖底から出る湧き水です。
ここからも富士山が見えました。
芦ノ湖に浮かぶ海賊船。
そして黒い水鳥。
まもなく海賊船は出航していきました。
海賊船がいなくなると、このあたりの静けさが増します。
海賊船の波止場のすぐそばにある箱根駅伝ミュージアム。
その博物館の横の道に、、、
箱根駅伝の往路のゴールであり、復路のスタート地点があります。
民家の敷地に箱根駅伝のパネルがありました。
ゲートを見ると、
その向こうの木の上に、ヤドリギが育っていました。
透明感のあるライトグリーンの実がなっていました。この実は液果と呼ばれ、トリが好んで食べます。粘着液に包まれた種子は、食べた鳥の腸内をすり抜け、木の上に落下。粘着液に包まれているため、木にへばりついたまま発芽。根は樹皮に入り込み、寄生します。
箱根駅伝のゴール前の交差点。よくテレビで映される場所。
「襷」の記念碑が建っています。
箱根駅伝ミュージアムの裏口から、館内へ。
館内の展示コーナーは写真撮影禁止。
<公式サイト>箱根駅伝ミュージアム -長きに渡る箱根駅伝の歴史を展示-www.hakoneekidenmuseum.jp/共有富士屋ホテルチェーンの運営する箱根駅伝ミュージアム。箱根駅伝往路ゴール・復路スタート地点の目の前にあり、長きに渡る箱根駅伝の歴史をテーマで区切って展示しているミュージアムです。
博物館を出ると、芦ノ湖には赤い海賊船が停泊中。
やはり赤い方が、景色に映えます。
車で数百m移動して、ドライブインに到着。
やはり冬シーズンの平日の午後は、あまり人がいません。
ここから徒歩。
ちょっとした観光地っぽい商店街があります。
このお店の塀が印象深い。
瓦屋根を積み重ねてできた塀。
このお店のすぐそばにあるのが、
箱根関所です。この門は、京都側にあるので「京口御門」。
箱根町 箱根関所『よみがえった箱根関所』|江戸時代の歴史から現代の ...www.hakonesekisyo.jp/共有箱根町 箱根関所『よみがえった箱根関所』|江戸時代の歴史から現代の完全復元までを紹介。周辺のみどころや交通案内もあります。
門の前には、馬をつなげておく設備。
江戸幕府によって1619年から1869年(明治2年)まで置かれた東海道の関所です。
2007年3月に復元され、観光の目玉として営業。
関所内では、あちこちで当時の面影を再現。人形や動物は、すべて下の写真のようにグレーの色に統一されています。これは、当時の馬の色と役人の服装は特定不可能で、リアルに展示してしまうと誤ったイメージを与えてしまうことへの配慮。
この小さな門をくぐると、
目の前に芦ノ湖が広がります。
この部屋は、役人の休憩や食事に使われていました。
厨房のメインは、釜です。
一番大きな建物の中に、
お役人が数名いました。この面番所()と呼ばれていた場所で、関所の通行許可が出されます。
手前にいるのが、番士(ばんし)。旅人が持つ通行証文をチェック、行き先などを聴取、そして記録などをする役人です。一番奥にいるのが、伴頭(ばんがしら)。関所の運営管理責任者です。
部屋の前では、老婆が女性の髪をチェック中。この老婆は、人見女(ひとみおんな)と呼ばれていた職員。女性の旅人は、髪を解き、からだの隅々までチェックされます。
これは「入鉄砲出女」と言われる江戸時代の重要な交通政策のために行われ、江戸に鉄砲を持ち込むときは、必ず鉄砲手形を持っていなければ、関所の通過は認められませんでした。一方。江戸から出る女性は、身体的特徴(ほくろの位置、妊娠の有無など)が記された女手形を携帯していなければ、江戸から出ることができません。これは大名の妻(実質的な人質)が、許可なく江戸から出て行かないようにするための政策です。
役人のいる部屋のとなりには、武器がずらり。この部屋は客間でしたが、客人がいないときは武器を並べ、通行人を脅していました。
塀の上にあるのは、「掟」。
一、関所を出入る輩、笠、頭巾をとらせて通すべき事
一、乗物にて出入る輩、戸をひらかせて通すべき事
一、関より外に出る女は、つぶさに証文(手形)に引き合わせ通すべき事
付-乗物にて出る女は、番所の女を指出し相改むべき事
一、手負、死人並不審成るもの、証文なくして通すべからざる事
一、堂上の人々、諸大名の往来かねてより其聞えあるにおいては沙汰に及ばず
もし不審あるにおいては誰人によらず改むべき事
右之条々厳密に、可相守者也仍執達如件
(正徳元年五月 奉行)
女性の出入りのことが書かれているのは、箱根関所は主に女性の出入りを厳しくチェックしていたためです。鉄砲の出入りは、他の関所が主に担当していました。
面番所の前にあるのは、足軽番所。
獄屋と呼ばれる牢屋。関所破りなどの罪人を留置する部屋です。関所破りは重罪で、その刑は「はりつけ(公開処刑 柱に張り付け、槍で刺す刑)」です。
こちらの役人は、足軽。門番や周辺警備を担当していました。
ここにも、食事を作る釜があります。
足軽番所の裏にまわります。箱根関所の建物はすべて、炭のような黒色。これは柿渋と松を焼いた「すす」を混合した渋墨という塗料を塗っているため。この塗料は、建物の防腐効果とともに美観を保ちます。
裏手には、井戸と、
まるで牢屋のような、
汲み取り式トイレがありました。
丘の上に上る急な石段があります。
石段を上ると、小さな小屋がありました。
これは遠見番所。その名の通り、周辺への監視所です。小屋の下には拍子木があり、異常が見つかるとこれを叩いて、下にある足軽に伝令。
ここから眺める景色が、また素晴らしい。
丘の上には、他に
見晴らしのいい広場もあります。
また海賊船がやってきました。
音楽が聞こえてきたので、後ろを振り返ると、
置き石型のスピーカー。別にこの形でなくても、よい感じもしますが、、、。
景色を眺めながら、階段を下ります。
今度は、江戸側にある「江戸口御門」から外へ。
門の左手には、矢場という弓矢の訓練施設。
右手には、山の向こうまで、
柵がずっと続いていました。
江戸口御門を出て、すぐの場所に茶屋があります。
茶屋では、お土産と
軽食を販売中。甘酒があったので、頂きました。
茶屋から続く小道へ。
ここから見た芦ノ湖。
立派な杉。
小路の先にあるのは、箱根関所資料館。ここは撮影禁止です。当時の各種手形や日誌、関所破りの記録などが展示されていました。
関所破りの記録は、意外に少なく5件のみ。その一例として、江戸に奉公していた若い娘・お玉がホームシックで故郷に戻ろうと、関所を通らず、山越えをしようとしたところ、運悪く逮捕。池(のちに”お玉が池”と呼ばれます)のほとりで、死罪となりました。
実際に関所破りをしようとした人は多かったようですが、「薮入り(道に迷うこと)」として追放処分にしていたのが実際でした。
箱根関所資料館www.hakonesekisyo.jp/db/data_inc/inc.../fr_data_02_18.html共有各種の関所手形をはじめ、象が関所を越えた話や関所破りの記録、関所日記書抜などの古文書、武器類などを展示してあり、箱根関所の歴史を詳しく学ぶことができます。また、箱根関所復元工事の映像も放映しています。 資料館には売店があり、「箱根関所 ...
資料館を出たころには、日が暮れ始めていました。
再び、江戸口御門から京口御門へ抜けて、車へ。
30分くらいのドライブで、目的地に到着。ここで先に来ていた親戚らと集合。皆で過ごす、2年ぶりの箱根は楽しい。
久しぶりに湯船につかります。カナダで慣れているせいか、日本にいても湯船につかる習慣がなくなりつつあります。
朝は松屋の牛めし、昼は「みのや」のとんかつ定食、今日の食事は、私にとって最高の組み合わせでした。Other photos >> https://picasaweb.google.com/109343164122809862992/20130109