隅田川の新大橋。普通の橋ですがゴッホも描いた橋です/小さな祠(ほこら)は、東京大空襲の犠牲者をいまも追悼しています/隅田川を歩きながら、ホームレス問題を考える、、まず生活情報サイト「もしもホームレスになったら・・・これだけは覚えとけ!」をチェック! - Today→Tomorrow

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1/03/2013

隅田川の新大橋。普通の橋ですがゴッホも描いた橋です/小さな祠(ほこら)は、東京大空襲の犠牲者をいまも追悼しています/隅田川を歩きながら、ホームレス問題を考える、、まず生活情報サイト「もしもホームレスになったら・・・これだけは覚えとけ!」をチェック!

ノスタルジックな気分を高めるのは、このお菓子。

今日の早朝ジョギングも隅田川沿いを5kmくらい。
昼前に再び、隅田川から散歩。
 隅田川には東京都観光汽船の水上バスが行ったり来たり。東京に定住していたときも、たまに水上バスに乗っていました。
 双胴船も浮かんでいます。正面から見ると、下の船の部分が細いのが特徴的。甲板が広くできるのも双胴船のメリットですが、一番のメリットはやはり高速走行。水面に接する部分が少ないので、抵抗を減らすことでき高速走行が可能です。ただし旋回性能は悪くなるのがデメリット。
 清洲橋。関東大震災の復興で永代橋とともに「震災復興の華」と言われた橋。ドイツ・ケルン市の大つり橋をモデルにデザインされましたが、第二次世界大戦時に破壊。現在の橋は、米軍が当時研究中だった低マンガン鋼を使用して再建されました。勝鬨橋、永代橋と共に国の重要文化財。
 川の向こうの東京スカイツリー
 消防艇が24時間待機中。
 おたふく南天の紅葉した葉が美しい。
 新大橋の下をくぐります。関東大震災では、唯一被災しなかった橋。
初代の橋は架けられたのは、1694年1月4日。当時、東岸にある深川で芭蕉庵を構えていた松尾芭蕉は完成していく橋を見て、句を読んでいます。


「初雪やかけかかりたる橋の上」
「ありがたやいただいて踏むはしの霜」

さらにこの橋は、歌川広重の絵(左)にも登場し、それがゴッホに多大な影響(右の絵)を与えました。

 防波堤を越えます。このあたりは、いわゆるゼロメートル地帯。満潮時には、土地のほうが低くなる場合もあります。以前この辺には、ホームレスの方たちが青いビニルシートでテントを張って暮らしていましたが、いまは誰もいません。

ホームレスの平均年齢は57歳前後。全体に占める男性の割合は約95%。残り5%は女性ですが、女性の方の場合は、行政の婦人保護施設、NGOなどが運営する女性シェルターなどがありため、路上生活を余儀なくされているのは男性がほとんどです。

カナダではホームレスの人が路上で座り込み、物乞いをされる方をよく見ます。日本では”物乞いは恥”という文化風潮がありますが、それよりも、まず軽犯罪法1条22項で禁止をされているので、不法行為になります。
もしもホームレスになったら・・・これだけは覚えとけ! - NAVER まとめmatome.naver.jp/odai/2128712514330303401共有いったいどんな生活をしてるんだろう。収入源は?気になるホームレスの実態、リサーチしてみます。

 浜町公園をを抜けて、
 明治座のそばで、小さなほこらがありました。1945年3月10日の戦災の犠牲者を弔う祠です。
3月10日の戦災とは、東京大空襲のこと。米軍爆撃機(B-29)325機が出動し、279機が爆撃に成功。10日深夜0時7分の爆弾投下開始から約38万1300発の焼夷弾が落とされ、10万人以上の犠牲者、そして100万人以上の被災者がでたもっとも激しい空襲でした。

ほこらの中。きれいに清掃されています。落とされた焼夷弾による煙は15000m上空の成層圏に達し、爆撃地には秒速100mの竜巻並みの爆風が吹き荒れました。
 東京大空襲から70年余りで世界一の大都市に復興した東京。戦争なんて大昔のようなイメージがありますが、たった70年前の話です。

ホテルに戻り、ランチ。いかにも江戸の寿司というイメージどおりの一皿。

矢の根寿司 ロイヤルパークホテル店 - 水天宮前/寿司 [食べログ]tabelog.com › ... › 人形町・小伝馬町グルメ › 水天宮前駅グルメ共有矢の根寿司 ロイヤルパークホテル店/ (水天宮前/寿司)の店舗情報は食べログでチェック!口コミや評価、写真など、ユーザーによるリアルな情報が満載です!地図や料理メニューなどの詳細情報も充実。
食事後、ふたたび人形町の甘酒横丁へ。これで3回目の100円甘酒のお店。
 今日も美味しく頂きました。

甘酒横丁の由来は、通りの入口に明治初期まで営業していた尾張屋という甘酒屋です。ちなみに人形町は、薩摩浄瑠璃と人形歌舞伎がこのあたりで定期公演されていて、人形遣いが多く住んでいたのが由来。江戸時代初期には、人形町の東地区、大門通りに遊郭として有名な吉原がありました。

期間限定ショップがあったので、ちょっと中へ。
 歯医者さんで見る歯石取りや歯の裏側を見る鏡など、こんなものまで売っているのか!と感心する品揃え。
 水天宮は今日も賑わっています。
 懐かしいおめんの屋台
 駄菓子屋さんは今日も営業中。
 梅ジャムとソースせんべい。子供のころのご馳走でした。
 飴も販売中。
 麻の葉柄の初着?麻は雑草の中でもすくすくと良く育つことからの縁起ものです。
 ホテルでチェックアウトをしている最中、ホールに響いていたのは、お琴の音色。
この音を聞くと、祖母を思い出す、、、、。
動画でも撮影。

海外で暮らす日本人(特に女性)は、日本の伝統的なグッズ(扇子など)を飾っている人が多い。
自分とは違う人種と文化の人の中で暮らしていると、日本人であることを日ごろから意識するからでしょう。

カナダでも暮らすようになってまだ4年ですが、その気持ちがだんだんとわかるようになってきました。

Other photos >> https://picasaweb.google.com/109343164122809862992/20130103



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