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8/30/2012

陥落したホワイトハウスの木片を見ながら、なぜホワイトハウスが白くなったのかを知る/アメリカ国歌の由来も知り、アメリカとカナダの北東部国境を決めた条約の実物署名を見る/オタワの寿司食べ放題の店は、かなり進歩しています!Sawa Sushiは今なら10%OFF

午前中の所用を終え、午後から外出。自宅から数分の近い場所ですが、あまり足を踏み入れたことのないエリアLowertownの東部をサイクリング。道の向こうの丘の上にある建造物

 自宅のそばにこんなものがあったとは!オタワに来てもう3年、まだまだ知らないことがたくさんあります。
 この丘のある公園は Macdonald Gardensという公園です。

Macdonald Gardens Park in Sandy Hill, Ottawa, Ontario, Canada

www.bytown.net/macdonaldgardens.htm - このページを訳す共有
December 12, 2005: Macdonald Gardens Park in Sandy Hill, north of Rideau Street, is being upgraded by local volunteers in conjunction with the City of Ottawa. In the early days of Bytown, this park was used as a cemetery by the Anglican, ...

 公園の中にある小屋。その屋上の機器が気になりました。

大気の状態をチェックする機械でした。
この公園の横には、トルコ大使館や
 オシャレな住居が並びます。
 リドー川を越えて、Beachwood地区へ。
 Tim Hortonsで軽食。地元紙をチェック。一面はオンタリオ州の小学生の算数の成績が沈滞しているという記事です。
 そしてもう一つ小さな記事が目に付きました。ユダヤの団体が、インドにあるヒトラーというお店の名前の変更を求めているという記事です。
 リドー川をオタワ川方面に移動中。

 そしてコレがリドー滝。リドー川がオタワ川に合流する場所です。
今日は風が強い日で、オタワ川に浮かぶヨットがかなり傾いています。
 夕方からWar Museumへ。今日は木曜日、17時より無料で開放されます。

 入り口に入って正面に、1812年に勃発した英米戦争の特別展示があります。

米英戦争 - Wikipedia

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米英戦争(べいえいせんそう、英語: War of 1812)は1812年6月-1814年12月、イギリス及びその植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族と、アメリカ合衆国との間でおこなわれた北米植民地戦争であり、インディアン戦争である。


War of 1812 - Wikipedia, the free encyclopedia

en.wikipedia.org/wiki/War_of_1812 - このページを訳す共有
The War of 1812 was a military conflict fought between the forces of the United States and those of the British Empire. The United States declared war in 1812 for several reasons, including trade restrictions brought about by Britain's ongoing ...


この肖像画はSir Isaac Brock。カナダ側のセントローレント川にあるアッパーカナダを統治していた統治者です。

アイザックブロック - Wikipedia

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アイザックブロック(英:Sir Isaac Brock、1769年10月6日 - 1812年10月13日、バス勲章)は、イギリス陸軍少将であり、イギリスの植民地アッパー・カナダの統治者であった。戦闘における優れた指揮と戦略家としての名声を得、特に米英戦争においては劣勢で ...

Isaac Brock - Wikipedia, the free encyclopedia

en.wikipedia.org/wiki/Isaac_Brock - このページを訳す共有
Sir Isaac Brock KB (6 October 1769 – 13 October 1812) was a British Army officer and administrator. Brock was assigned to Canada in 1802. Despite facing desertions and near-mutinies, he commanded his regiment in Upper Canada ...


そしてLaura Secord。このおばさんの告げ口によって、アメリカ軍に大勝利を収めました。

Laura Secord - Wikipedia, the free encyclopedia

en.wikipedia.org/wiki/Laura_Secord - このページを訳す共有
Laura Secord (née Ingersoll, 13 September 1775 – 17 October 1868) was a Canadian heroine of the War of 1812. She is known for warning British forces of an impending American attack that led to the British victory at the Battle of Beaver ...

ローラセコール - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/ローラセコール共有
ローラセコール(英:Laura Ingersoll Secord、1775年9月13日 - 1868年10月17日)は、米英戦争で功績を称えられたカナダの王党派女性である。 ... ローラは1797年に王党派のジェイムズ・セコールと結婚した(インガーソル家は王党派ではなかった)。

イギリス軍にアメリカ軍の奇襲作戦の情報を伝える情景を描いた絵。

今も昔も情報が如何に重要かを思い知らされます。

 そしてこちらが特設展示の本会場。今年は米英戦争から200年の記念の年です。
 特設展示を見た人へのアンケートによると、57%の人が1812年の戦争を”カナダの独立”として受け入れているようです。
 展示会場の中央です。1812年をアメリカ、イギリス、カナダ、そしてネイティブの4つのセクションに分けて展示しています。
 そしてコレが当時の覇権地図
 青がアメリカ、緑がイギリス(カナダ)、そして斜線がネイティブの覇権エリアです。
まずはアメリカを中心にした展示

 ニューヨーク州の軍服
 そして、この焼け焦げた木片こそ、あのホワイトハウスの一部です。
 1814年8月、イギリス軍によりホワイトハウスは攻撃され、炎上。この木片は焼け残ったホワイトハウスの一部でした。終戦後、1817年にホワイトハウスは再建され、焼け残った外壁を白いペンキを塗って隠し、建物もすべて白に統一しました。下の写真は、再建中のホワイトハウスです。
 ホワイトハウス - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ホワイトハウス共有
テレビドラマについては「ザ・ホワイトハウス」を、その他の用法については「ホワイトハウス(曖昧さ回避)」をご覧ください。 .... 戦争による焼失: 1814年8月、大統領官邸は米英戦争のブラーデンスバーグの戦いでの敗北により、イギリス軍の焼き討ちにあい、石積み .... 第35代ケネディ大統領のジャクリーン夫人が、1961年ホワイトハウスを歴史博物館とすることを訴えたことで設置された。 .... さらに空からの攻撃への備えとして携行式の地対空ミサイルも装備されているといわれるが、さすがにこちらの方はその詳細が必ずしも ...

White House - Wikipedia, the free encyclopedia

en.wikipedia.org/wiki/White_House - このページを訳す共有
The White House is the official residence and principal workplace of the President of the United States. Located at 1600 Pennsylvania Avenue NW in Washington, D.C., thehouse was designed by Irish-born James Hoban, and built between ...

これがホワイトハウス襲撃の際に使われたロケットミサイル。

これは、1814年のボルチモアの戦いの舞台、マックヘンリー要塞に掲げられていたアメリカの星条旗。

フォートマクヘンリー - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/フォートマクヘンリー共有
フォートマクヘンリー(英:Fort McHenry)は、アメリカ合衆国メリーランド州ボルティモアにある星形の砦である。 ... この砦が受けた唯一の攻撃が米英戦争の時のボルティモアの戦いで艦隊によるものであった。1814年9月13日の夜明け時に始まったイギリス艦船 ...

ボルティモアの戦い - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/ボルティモアの戦い共有
アメリカ軍はイギリス軍の猛攻を凌ぎ切り撤退させたことで、米英戦争を終結に向かわせる転機となった。 この戦いは、特にイギリス海軍の艦砲射撃を25時間耐え抜いたマクヘンリー砦の守備隊と、その中で砦に翻る星条旗を見て心を動かされたフランシス・ ...


 この旗を見た詩人Francis  Scott Keyによりアメリカ国歌の元となる「マックヘンリー要塞の防衛」が作詞されました。

フランシススコットキー - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/フランシススコットキー共有
フランシススコットキーフランシススコットキー(Francis Scott Key, 1779年8月1日–1843年1月11日)は アメリカ合衆国の弁護士であり、アメリカ合衆国の国歌である"The Star-Spangled Banner"(星条旗)の歌詞を書いた、アマチュアの詩人。


星条旗 (国歌) - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/星条旗_(国歌)共有
和訳例:星条旗. Defence of Fort M'Henry. 「マクヘンリー砦の防衛」(後の米国国歌になる詩)。1814年に印刷され、砲撃を受けながらも現存している2枚のうち1枚。 国歌の対象, アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国. 作詞, フランシス・スコット・キー(1814年) ...


次はイギリス側から見た米英戦争の展示です。
 イギリスは当時、フランスとの戦争により米英戦争に軍備を回す余裕がありませんでした。
そこでネイティブに武器を与えて、戦争をしていました。
この鷹が、当時ヨーロッパでイギリス軍と戦っていた敵のシンボルです。
イギリス軍に余裕など、あるわけありません。有名なシンボルなので、みなさんはご存知でしょう。


このシンボルを掲げるは、あのナポレオン軍です。

ナポレオン戦争 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/ナポレオン戦争共有
ナポレオン戦争(ナポレオンせんそう、英: Napoleonic Wars, 仏: Guerres napoléoniennes)は、1803年にアミアンの和約が破れてから1815年にナポレオン・ボナパルトが完全に没落するまでに行われた戦争である。狭義ではナポレオンが皇帝に即位して以後( ...

この星条旗は、アメリカ軍の軍艦USS Chesapeakeの船上にはためいていました。
 1813年6月、アメリカの戦艦U.S.S. Chesapeakeはボストン港の沖合いで、イギリスのフリゲート艦H.M.S. Shannonと遭遇。短時間の激闘すえ、Chesapeakeの船体は致命的なダメージを受けました。
この戦闘で艦長も重傷を負い、最後の命令“Tell the men to fire faster. Fight 'til she sinks, boys. Don't give up the ship”と言い残し戦死。
この言葉のうちDon't give up the shipの部分が、Oliver Hazard Perry提督によりU.S.S. Niagaraの戦闘旗に刺繍されました。この言葉は現在でも名言として有名です。

ちなみにOliver Hazard Perry提督の実弟が、日本に開国を迫ったあのペリーです。

1814年12月、常に劣勢であったアメリカとナポレオン軍との戦いで疲弊しきったイギリス軍は、ベルギーで停戦条約 ガン条約 を結びます。これにより、アメリカとイギリス(カナダ)の北東部の国境が確定されました。そのときの署名の実物です。

Treaty of Ghent - Wikipedia, the free encyclopedia

en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Ghent - このページを訳す共有
The Treaty of Ghent (8 Stat. 218), signed on 24 December 1814, in Ghent (modern-day Belgium), was the peace treaty that ended the War of 1812 between the United States and Great Britain. The treaty largely restored relations between the ...

ガン条約 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/ガン条約共有
ガン条約(ガンじょうやく、Treaty of Ghent)は、米英戦争の停戦条約で、1814年12月に南ネーデルラント(ベルギー)のヘント(ガン)で結ばれた。 この戦争でアメリカは常に劣勢であった。しかし幸いなことに、イギリスはナポレオン戦争で軍事的、経済的に疲弊 ...


次の展示は、カナダ視点の展示です。
 カナダは、当時イギリスの植民地で、実際に戦っていたのはイギリス軍とネイティブ。
そこで展示も、おのずとトーンダウンしたものとなっています。
その中でも重要なのは、あの女性 Laura Secordおばさんです。
すでにこの女性については、掲載したので省略。
ほかにもネイティブの方たちのボートの模型などが展示。
 これは将校が使っていた持ち運び式の事務用机です。

最後の展示は、ネイティブの視点による展示。

アメリカ軍とイギリス軍の代理であるネイティブの方たちが戦っている絵がありました。

この絵こそ、この1812年に起きた戦争の現状です。

司令官ジョージ・ワシントン(米初代大統領・米英戦争以前に病没)はこの地を領土とするイロコイ族の皆殺しを指揮し、彼らの集落を徹底破壊して、イロコイ族から「町の破壊者」と恐れられた。イロコイ族がイギリス軍と同盟を組んでアメリカ植民政府側に刃向かったからである。ワシントンは軍隊に殺したイロコイ族の皮を剥がせて、軍装の飾りにさせていた。
このようにアメリカ人は多かれ少なかれインディアンに酷薄に接し、また基本的な利害の対立があったので、戦争が起きる度にインディアンには植民者(アメリカ人)に反する側に味方する傾向があった。
上記は、Wikipediaからの抜粋です。
この文章からもわかるとおり、この戦争で仕方なく犠牲になったのは、やはりネイティブの方たちでした。


 これがネイティブの方たちの武器。銃はイギリス軍からの供与品。
 イギリス軍の要塞に集められたネイティブの軍隊。

この戦争が、代理戦争と言われるのがよくわかります。

展示の最後は、
 当時のコスチュームを着て、写真撮影が出来る無料サービスがあります。
以上で、1812の特別展示は終了。

この博物館には常設で1812年の戦争を展示しています。その展示は以下の通り。

 拳銃があり、
 弾も展示。ビー玉のような弾です。
 こちらは戦場での手術道具。



軍備の展示もあります。
 多数の展示の中に、旧・日本軍のものが二つだけありました。

九八式二十粍高射機関砲 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/九八式二十粍高射機関砲共有
九八式二十粍高射機関砲(98しき20みりこうしゃきかんほう)とは、1938年(昭和13年)に日本陸軍が開発した口径20mmの高射機関砲。フランスのオチキス(Hotchkiss)社製の機関砲を基に開発されており、語頭のHを発音した名称「ホチキス」からホキ砲、また ...


四一式山砲 - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/四一式山砲共有
日露戦争後、陸軍技術審査部は同審査官・島川文八郎陸軍砲兵大佐に対し後続山砲の開発を命じ、1908年(明治41年)に大阪砲兵工廠で試製砲が完成、1911年(明治44年)に四一式山砲として制式制定された。四一式山砲は駐退復座機を備えていたため ...

War Museumを出て、オタワ川沿いをサイクリングしながらの帰路。
 夕暮れの向こうにはアレキサンダーブリッジ。
 丘の上にはParliament Hill
 National Gallery of Canadaが見えます。
 こちらはリドー運河。このLockの名称は The First Lock と言うそうです。

 妻がカードを買うので、Paper Papierで待ち合わせ。
 待っている間に、クマの銅像を撮影。
 このクマは Dancing Bear というそうです。顔をアップ。

File:Dancing Bear Ottawa 2006.jpg - Wikipedia, the free encyclopedia

en.wikipedia.org/.../File:Dancing_Bear_Otta... - このページを訳す共有
English: Dancing bear sculpture (1999) by Pauta Saila, an Inuit artist from Kilaparutua, Baffin Island, located in a courtyard in the Byward Market of Ottawa, Ontario, Canada. Date, 21 June 2006(2006-06-21), 19:24. Source, Dancing bear ...

Byward Marketでは、もうかぼちゃが売られています。ここにもすでに秋の気配が感じ取れます。

今日の夕食は久しぶりの外食。
新しくOPENしたばかりのAll You Can Eat寿司レストラン Sawa Sushiへ

このお店のFacebookページに、10%割引券があるのでお忘れなく!

Sawa Sushi - Food/Beverages - Ottawa, ON | Facebook

www.facebook.com/sawasushi.ca - このページを訳す共有
You have a picture on your menu of what looks like pan seared salmon. (Cooked on the outside not the inside) Which item is it on the menu and do the dumplings go by any other name ? Thanks in advance :). 5 hours ago ...

店内はとても広く、オシャレなバーもあります。またここのサーバーは、アジア人ではない方が多いのも同業店と異なります。かなりフレンドリーなサービスで、素晴らしい。
 寿司はご覧のとおり、シャリの握り加減も良いです。しかもマグロも海老も食べ放題。食べ放題の寿司としては、かなりの上出来です。
 他の料理は、そこそこ美味しいので満足。
 イカ焼きもあります。ひとつひとつの料理が、キレイに飾られているが印象的でした。
 そしてデザートは、小さめ。これならいくつも注文できます。
かなりおススメのレストラン。妻も気に入っていました。



Other photos >> https://picasaweb.google.com/109343164122809862992/20120830#




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